幕間3 ある勇者と剣の師③

「あ……みん、な……」


 その光景に、ぼくは呆然とした声しか上げられない。


 シエラ。アニエス。エカル。ここまで旅を共にしてきた、ぼくの大切な仲間たち。

 その三人が、ぼくが戦うのを躊躇い、迷っていたわずかな間に、全員打ちのめされ、倒れ伏していた。


 師匠の強さは十分に承知しているつもりだった。少なくともぼくの知る限りでは、彼女以上に腕の立つ剣士は他にいない。

 だからといって、ここまで圧倒されるだなんて……ぼくたちだって、旅や戦を通じて成長したと思っていたのに、これじゃ、師匠と初めて会った時から変わっていない……


 ザっ――


 師匠が、ゆっくりとこっちに近づいてくる。まるで、獲物をじわじわと弄ぶように。


「まだ剣を抜く気にならないノ? もうまともに戦えるのはアルムちゃんしか残ってないヨ」


「っ……」


 彼女に言われ、ぼくは慌てて背に負った鋼の長剣に手を掛けた。使い慣れた愛剣は滑らかに鞘から引き抜かれ、馴染みの重さを握る手に伝えてくる。

 けれど、剣を引き抜いてなお、ぼくは迷っていた。

 このまま師匠と戦って――殺し合って、本当に、いいのだろうか? そしてそれ以前に……ぼくは、この人に、勝てるのか……?

 内心が、表情や剣の握り方に表れていたのかもしれない。師匠がつまらなそうにこちらを一瞥する。


「まさか、まだ迷ってル? わたしはリュイスちゃんを殺して、アルムちゃんを裏切って、魔族の穢れまで受け入れた悪人だヨ? あなたが善良な勇者なら、わたしは討伐するべき悪でショ?」


「で、でも、師匠は……!」


「それに、どうしてこの期に及んで神剣を使わないノ?」


「それは……だって、神剣は、魔を払う神の剣、だから……人に向けるものじゃ、なくて……」


 しどろもどろなぼくの発言に、師匠がほんの一瞬、しょうがないというような顔をする。けれど次に口から出た言葉は、先ほどまでと同じように挑発的なものだった。


「……それで、まだそんな普通の剣で、わたしを止められると思ってるんダ。なめられたものだネ」


 師匠が腰をわずかに落とし、逆手に握った剣を身体の後ろに隠すように構える。――ぞわりと、背筋が冷える。


「いいヨ。一つ教えてあげル――」


 その言葉と共に、師匠の姿が一瞬視界から消えた。

 いや、本当に消えたわけじゃない。いつの間にか姿勢を低くしてこちらに踏み込む彼女を、ぼくの目が捉えられなかったんだ。


 次の瞬間には、師匠は剣を振るっていた。

 移動の勢いや体重、全身の力を剣先にまで伝え、鋭く、無駄なく、一呼吸より短い瞬間で一閃する。ぼくにとっての、理想の剣。


 ――それが今、ぼく自身に向けられていた。脳内では危険を報せる警鐘が鳴り続けている。

 迫りくる恐怖に目を閉じかけそうになりながらも、反射的に自分の剣を置いて防ごうとする。目で追い切れたわけはないが、師匠の剣の残光が不自然に目に焼き付けられた気がした。そして――


 チュイン――!


 衝撃は、ほとんどなかった。ただ、耳慣れない物音が鼓膜に響いた。

 次にぼくは、閉じかけていた目を大きく見開くことになる。だって仕方ない。この手に握る剣の剣身がゆっくりと倒れ、地面に落下していったのだから。


「う、うそ……!? 鋼で打たれた剣が……!?」


 ぼくの剣は、半ば辺りから綺麗に切断されていた。力でへし折ったのではなく、切断だ。それが師匠の剣撃によってもたらされたと認識はすれど、理解が追い付かなかった。


「わたしはその気になれば、鋼より硬いものだって斬れちゃうんダ。そんな普通の剣じゃ、力不足だヨ。――神剣を抜きなよ、アルムちゃン。そうじゃなきゃ、わたしは止められないヨ」


「……でも……でも、ぼくは……」


「それとも、まだ本気に慣れなイ? なら……あそこに倒れてる三人にとどめを刺したら、やる気になるのかナ」


「――! ダメ!?」


 再び左手を掲げ、幾本もの魔力の短剣を生み出す師匠。ぼくはそれに反発するように飛び退き、短剣の射線を遮りながら、背に負った二本目の剣――神剣を抜き放った。


 師匠の左手から、魔力の短剣が撃ち出される。それらは直線ではなく、鳥のように空を滑空し、倒れたままの仲間たちに襲い掛かろうとしている。


「(させない……それだけは!)」


 両親は、ぼくが幼い頃に魔物に殺された。

 引き取ってくれた爺ちゃんと、山奥で二人だけで暮らしていた。同年代の友人なんていなかった。

 だから、勇者に選ばれてから出会えたみんなは、大切な仲間で、友達なんだ。それを奪うというなら、たとえ師匠であっても、何かの理由があるんだとしても――


「《――私は『魔を払う』という名である!》」


 短い詠唱と共に神剣を振るう。

 光を纏い、前方の空間を薙ぎ払った神の剣は、その名の通りに魔を――魔術の効力を払い除け、こちらに向かっていた短剣を全て霧散させた。


「あはは! ようやくやる気になったネ!」


 師匠が、笑みを浮かべながらこちらに迫る。


「……ふっ!」


 短い呼気と共に、再び振るわれる師匠の剣。先刻の一撃をなぞるような、無駄のない滑らかな動作。何千何万と剣を振ってきたであろう、修練の極致。

 そうして生み出した『気』は剣先にまで伝えられ、刃の表面に薄い光の層を形成する。先ほどの残光の正体だろう。どんな原理かは知らないが、この光が師匠の剣にさらなる切れ味を加えている。

 そんな代物を防ぐ手立ては、ぼくにはない。こちらも先刻と同様、相手の剣の通り道に自分の剣を置くしかできなくて、けれど……


 ギキキキ――!


 けれど、先ほどとは違う結果が訪れる。

 神剣は、鋼を切り裂くほどの剣閃にもびくともしなかった。十字の形で師匠の剣を受け止め、拮抗させている。


「……ちぇっ。さすがに神剣は斬れないカ」


 剣を押し付け合った体勢で、彼女が残念そうに呟く。まさか、本気で神剣を斬ろうとしていたのだろうか。……恐ろしい人だ。


 ギァン――!


 互いに剣を打ち付け合い、互いに衝撃で後方に仰け反る。体勢を整え、神剣を構え直したところで……


「アル、ム……」


「! シエラ! 立てるの!?」


 倒れていたシエラが、手にする槍で体を支え、その場で立ち上がろうとしていた。


「はい、なんとか……まだ少し全身が痛むし、目の前がくらくらしますが……大丈夫です」


 それは本当に大丈夫なんだろうか。


 ちらりと後ろを見れば、倒れていたエカルも肘を支えに身体を起こしており、アニエスも同様の姿勢で彼を治癒していた。


「……神剣を、抜いたんですね、アルム」


「……うん。いつもの剣じゃ、相手にもならなかった。師匠を止めるには、全力を出すしかなかったんだけど……正直、全力を出しても、足りないぐらい」


「それなら、全員で協力して当たるしかありませんね」


 シエラはふらつく身体を支えるように地面を踏みしめ、槍を構えた。


「私が先行します。アルムはタイミングを遅らせて攻撃を」


「分かった!」


 シエラが言葉通りに先に駆けていき、ぼくもそれに少し遅れてついて行く。そして左右に分かれ、師匠を挟み込むように迫りながら、時間差で攻撃を加える!


「はぁっ!」


 プリュヴワールを起動させたシエラが左から回り込み、魔力の刃を複数出現させながら、上から下に薙ぎ払う。実体と魔力、二種の刃が頭上から降り注ぎ、獣の爪のように襲い掛かる。


「っ!」


 ザキン――!


 師匠は咄嗟に硬質化した左手を掲げ、薙ぎ払いを防ぐ。金属を引っ掻いたような音が響く中、続けてシエラが素早く突きを繰り出すのが見えた。


「たぁっ!」


 そこへ、右から(師匠から見れば左側から)回り込んだぼくが神剣を振りかぶり、師匠に接近する。


 狙うは、魔族化したという左腕。

 シエラの槍にも耐える硬度を誇っているが、神剣で斬りつければさすがに効果が期待できるはず。のみならず、魔族化を解除させることもできるかもしれない。

 左からはシエラの槍。右からはぼくの神剣。さすがの師匠でもこれを同時にはさばけない……そう思っていた。


 師匠はここで、シエラに向けて左手を突き出した。魔力の刃が身体を傷つけるのも構わず手を伸ばし、彼女の持つ槍を掴み取る。

 一瞬、先刻の光景が脳裏に蘇る。が、すぐに思い直す。また同じことをするつもりなら、その間に左腕をこの神剣で斬ればいい。しかし……


 師匠は今回、槍を上に持ち上げるのではなく、自分の側に引っ張った。そして掴んだままの槍の柄で、ぼくの剣を受け止める。


「なっ……!?」


「残念だったネ」


 微笑みながら、師匠が右手を振るう。その刃はシエラに狙いをつけていて……


「くぅっ!」


 ギィン――!


 槍の上を滑らせ、かろうじて師匠の剣からシエラを庇うように、神剣の刃を差し出す。


「く、あぁっ!」


 そして、そのまま力任せに、振り払うように剣を振るう。


 刃筋も立っていないめちゃくちゃな振るい方。それでも神剣に触れるのを警戒してか(あるいはぼくの腕力を嫌ってか)、師匠が槍から手を離し、一歩遠ざかる。


 そこで唐突に、魔覚に強い魔力を感じた。師匠との戦いに神経を割きすぎていて、ここまで気づけなかったらしい。思わず後ろに視線を向けると――


 いつの間にかエカルが立ち上がり、魔術を詠唱している。その頭上には先ほどと同じ炎の槍が、しかし先ほどよりも大きさを増して、鋭く捻じれ尖りながら撃ち出されるのを待っている。

 隣では、アニエスも法術を準備しているのか、目を閉じ、両手を組んで祈りを捧げていた。

 二人で同時に術を撃ち込むつもりだろうか、と考えるぼくの目の前で――


「《火尖槍! フレイムジャベリン!》」


 エカルの魔術が完成し、標的に撃ち出される……その直前に。


「《攻の章、第七節。星の鉄鎚、ギガンティックハンマー!》」


 アニエスが呼び出した光の鉄鎚が横向きに振り抜かれ、炎の槍を後ろから強烈に叩き付けた。


「――へ?」


 師匠が一瞬気の抜けた声を漏らすのがなぜか耳に残った。

 その一瞬で、光の鉄鎚に叩かれ勢いを大幅に増した炎槍が射出され、師匠に向けて高速で飛んでいく。


「っ――!」


 避ける間もない瞬間の着弾。それでも師匠は反射的に(それもあり得ないこととは思うが)左腕で受け止める。が――


 バチィ――!


 その手が、一瞬で弾き飛ばされる。鋼も防ぐ鉤爪にひびが入る。

 そして標的に衝突した炎槍が……直後に、大爆発を起こした。


「う、あ、あああア!?」


 師匠の身体が、側面から焼かれていく。爆発の勢いに押され、わずかに宙を舞う。

 それでも彼女は倒れなかったが、今日初めて、苦痛に顔を歪めている。


「いけ、アルム!」


「勇者さま!」


 エカルとアニエスが叫ぶ。槍を支えにかろうじて立っていたシエラも声こそ上げなかったが、こっちを見て大きく頷いてみせた。


「……!」


 それらの声援を背に、ぼくは地面を強く蹴った。

 ――これが、師匠と剣を交える最後の機会になる。そんな予感を抱きながら。

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