8節 帝都にて②

「――リュイスさん」


「え……は、はい?」


 唐突に話しかけられた私は、うわずった声で慌てて反応を返す。


「その……少々、お話があるのですけど、よろしいですか?」


「は、はい」


 アニエスさんが、私に話……? しかも、こんな緊張した面持ちで。

 そうして、失礼ながらも警戒していた私の目の前で……彼女は静かに頭を下げた。


「この度のこと、本当に申し訳ありませんでした……!」


「え……あ、あの……?」


 謝罪? 彼女が私に? なんのことだか全然話が見えてこない。

 困惑していると、顔を上げたアニエスさんがゆっくりと説明し始める。


「……貴女も、ヴィオレ司祭が投獄された件は、聞き及んでいるでしょう」


「……はい……」


 ヴィオレ・アレイシア司祭。私が師事するクラルテ司祭の政敵であり、目の前にいるアニエスさんの師でもある。そして、『総本山の神官は貴族のみが相応しい』という保守派の筆頭で、その理念に従い、以前、平民出の神官である私に刺客を差し向けたことのある――


「(……あ)」


 つまりこれは、その時の……?


「司祭さまが捕縛されたと聞いた際、わたくしのわがままですぐに王都まで戻りました。そして投獄された司祭さまに面会し、話を聞いたところ……あろうことか、貴女に、その……刺客を差し向けた、と……」


「……はい」


 やはりそうだ。彼女は、師が敢行した凶行を謝罪しているのだ。


「司祭さまが掲げる理念は理解していますし、一時は捕縛されたことに納得のいかない憤りを覚えることもありましたが……それでも、同じ神官である貴女を害そうとしたことは、いくら彼女でも許されることではありません。ですから……」


「や、やめてください。アニエスさんに謝っていただくことでは……」


 同じ人間、それも神に仕える神官が、はかりごとを用いて殺そうとしてきたことは、確かに大変な恐怖と衝撃を私に与えた。

 それでも、直接加担したわけではない、弟子でしかない彼女にこうして頭を下げさせるのは、何か違うのではないか、と思うのだ。


 それと、これは話の本筋からは外れるけれど……今、彼女は私のことを『同じ神官』と言った気がする。保守派筆頭神官の弟子である彼女が、貴族ではない私をそう呼ぶのは、総本山の政治的に大きな意味を持つ気がする。私やクラルテ司祭のような平民出の神官も、少しは認めてくれているのだろうか。


「いいえ。師が起こした不祥事は、弟子の私にも無関係ではありません。なによりこうしなくては、私の気が済みませんから」


 アニエスさんはかたくなに頭を下げ続ける。結局、先に根負けしたのは私のほうだった。


「あの、分かりましたから! とにかく、私なんかに頭を下げないでください……!」


「『私なんか』とはなんですか。あなたは自身を卑下しすぎるきらいがあります。それでは師であるクラルテ司祭の名にも傷がつきかねない――」


「あれ? 二人仲良くなったの?」


 向こうで会話していたアレニエさんがこちらの騒動に気づいたらしい。これ幸いと私は助けを求める。


「助けてくださいアレニエさん……! アニエスさんががんとして私に頭を下げ続けるんです」


「や、どういう状況?」


 アレニエさんの疑問の声に、アニエスさんが顔を上げ、抗弁する。が……


「邪魔をしないでください。私は彼女に謝罪をしなければいけなくて……そういえば、その節は貴女にもご迷惑がかかったのでしたね。お詫びします」


 再びアニエスさんが頭を下げる。


「これなんの謝罪?」


「え、と……先日、ジャイールさんたちが襲撃してきた件で、彼女の師が首謀者だったので、その謝罪らしいのですが……」


「あー、例の、なんとかっていう司祭か。そういえば、守護者の一人がその司祭の弟子だったっけ。そっか、アニエスちゃんがその弟子か」


 今初めて、アレニエさんの中で噂と認識が繋がったらしい。


「そっかそっか。その時のことを、司祭の代わりに謝りたいと」


「ええ。……本当に、申し訳ありませんでした」


「うん、分かった」


 え、軽っ。


「そのなんとかって司祭を許す気はないよ。リュイスちゃんを殺そうとしたことはまだ腹が立ってるし。でもアニエスちゃんがそれを謝りたいっていうなら、受け入れるよ。直接関わってたわけじゃないだろうしね」


「はい。それで構いません。……ありがとうございます」


「リュイスちゃんも、それでいいかな?」


「え? その……はい」


「うん。じゃあ、この話はこれでおしまい。さて、リュイスちゃん。日も落ちるし、私たちはそろそろ帰ろっか」


「あ、はい」


 確かに外を見れば、夕陽の赤がデーゲンシュタットの街並みを染め始めている。早いところではもう夕飯を食べる頃合いだろう。


「師匠ー! 明日の朝、忘れないでくださいね!」


「分かってるよー。この宿の外で待ってるから」


「約束ですからね!」


 アルムさんの声を背に私たちは退室し、扉を閉めた。そして歩き出しながら、疑問を投げかける。


「約束って……?」


「アルムちゃんがまた剣を教えてほしいって言うから、明日の早朝にまた会うことになって。ごめんね、勝手に決めて」


「いえ、構いませんよ」


 別にこの依頼の間中彼女を拘束しなければいけないわけではない。私を気にする必要はないし、空いた時間は彼女の自由に使ってもらうべきだ。他の人と会う約束であっても、笑って見送るべきで……


「朝早いけど、リュイスちゃんも一緒に来る?」


 けれど、そう聞かれたならば……


「……はい。行きます」


 彼女の問いに、私は控えめに、けれどハッキリと答えた。

 ……私、アルムさんに嫉妬してるんだろうか。嫉妬深い女なのかなぁ、私。

 そんなことを思ったところで……


 コオォォォ――……


 右目――〈流視〉が、ひとりでに急に〝開いた〟。


「く、ぅ……!?」


 私は思わず右目を手で押さえ、その場にうずくまる。押さえた手の隙間からは、青く揺らめく光が漏れ出していた。


「リュイスちゃん……!?」


 驚いたアレニエさんが心配げに声を掛けてくる。けれど今はそれに構っている余裕がない。強制的に映し出され流れる映像が、次から次に目に焼き付けられていく。

 これは、勇者さま――アルムさんの、視点だ。直感的にそれが分かる。


 巨大な円形の建物……大勢の観客……これは、この街の闘技場……? 円の中央で対峙するのはアルムさんと、知らない男の人……長い髪で、巨大な剣を手に持ち、全身に赤銅色の甲冑を着込んだ若い男……その男がアルムさんに剣を振るい、その果てに……――


「――ュイスちゃん……! リュイスちゃん……!」


 再び、アレニエさんが小声で呼び掛けるのが聞こえる。そこで、ようやく映像が途切れる。


「あ……私……」


 正気付いた私は、きょろきょろと辺りを見回す。そう長い間見えていたわけではないらしく、幸いにも宿泊客が気づいて出てくるということもなかった。


〈流視〉は私が任意で開くこともできるが、その場合はごく小規模な流れ――周囲の魔力の流れや、目の前の相手の動きの流れなどが見える程度に過ぎない。

 けれど今のように、私の意思を無視してひとりでに開いた場合。この目は、大規模な災害や、戦の趨勢、人の一生など、普段は到底見ることのできない大きな流れを見せつけてくる。

 今見えたものはその一つ、人の生涯の流れ。それも、勇者であるアルムさんの――


「……もしかして、また見えたの?」


「……はい。……ここでは話しづらいので、宿に戻ってから説明します」


「分かった」


 それだけをやり取りし、私たちは速やかに帰路についた。

 星の見える夜空だったが、私にとっては見えない暗雲が垂れ込めているような、暗い心地だった。

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