8節 一夜過ぎて -アレニエの場合ー

 目が覚めた。

 時刻は太陽が顔を出してまだ間もないぐらい。薄暗さの残る窓の外を、朝焼けがゆっくり染め上げようとしている。


 冒険者稼業で生活していると旅が多い。こうしてうちで眠れる時間は貴重だ。

 だから普段はもっと睡眠を満喫しているんだけど……なんでこんな時間に起きたんだろ。

 仕方なく目を開け、わたしは体を起こした。


「ふぁ……」


 口を開けてあくびを一つ。自分の部屋だし、手で隠す必要も……おっと。今はお客さんもいるんだった。

 といってもそのお客さんは、まだ隣のベッドで小さな寝息を立てていたけれど。


「(そっか……人の気配があったから、いつもみたいに寝れなかったのかな)」


 自分でこの部屋に招いたくせに我ながら勝手な言い分だな。


 スー、スー、と、規則正しく呼吸を繰り返す寝顔を眺める。彼女はこちらに体を傾けながら、その身を丸めるようにして眠っていた。


 明るい栗色の髪が枕の上に広がり、かすかな陽光を受けて輝いている。

 目を伏せていても分かる可愛らしい顔立ち。すべすべで柔らかそうな肌。

 身長はわたしより低いが、胸は彼女のほうが大きかった。いや、そもそもわたしの胸がそんなにないんだけど。


 別段体型を気にしてるわけでもないが、目の前に比較対象があるとなんとなく比べてしまう。重力と寝具に挟まれたその双丘に、なんとはなしに指を伸ばし――

 さすがに悪いかなと思い直し、途中で向きを変え、頬を突く。つんつん。ふにふに。


「……ん……んう……?」


 かわいい。

 かすかな反応はあるものの、起きる気配は全くない。

 昨日はずいぶん気を張っていたみたいだし、疲れているのだろう。もうしばらく寝かせておこう。



  ***



 少し悩んだ末に、わたしはリュイスちゃんの依頼を引き受けることにした。


 理由の一つは、新しい勇者に会ってみたかったから。

 ……同じ街にいるなら直接会いに行け?

 出来るならそうしたいけど、残念ながら下層民は、許可なく中層以上に上がることができない。出入口は騎士団が封鎖している。


 名目は犯罪者や難民の流入を防ぐためだけれど、裏には大昔に国が行った棄民きみん政策の影響が残っているらしい。病や飢えで税を取り立てられなくなった人を、下層に押し込め切り捨てたとか。


 だから下層の人間は今でも国に不信感を抱いているし、国も差別か罪悪感か――あるいは報復への恐怖か――、下層を必要以上に刺激しないよう隔離している。たとえ罪人が下層に逃げ込んでも、騎士団はそれ以上追おうとしない。


 公的な交流はほぼ断絶しているし、『上』では棄民について隠蔽いんぺいしているとかで、もはや互いの事情を知らない人も少なくなかった。


 ちなみにリュイスちゃんのように『上』から『下』に降りる分には、特に制限がない。「なにかあっても自分で身を守るように」というありがたいお言葉が貰えるくらいだ。 


 仮に正式に許可を得て昇れたとしても、下層民の行動範囲は制限される。要人に会う、どころか近づくことさえ許されない。

 ……と、言いながら、実は噂を聞いてからこっそり顔だけは拝んできたんだけど。


 でも、そこまでだった。それ以上を望めば、万が一侵入が発覚すれば……最悪うちに、とーさんに迷惑がかかってしまう。それは避けたい。


 少なくとも王都で暮らしている限り、わたしが堂々と勇者に接する機会は、ほぼないと言っていい。

 けれど彼女の依頼を引き受ければ、旅先でなら、その機会があるかもしれない。


 それに、『世界を救う勇者を助ける』という言葉遊びのような依頼に、ちょっとおかしさを、面白みも感じていた。少なくとも、付随ふずいする危険を上回る程度には。



  ――――



 もう一つの理由は、リュイスちゃん自身だ。


 一目姿を見たときから、その顔に、真っ直ぐな瞳に、まとう空気に、すぐに惹かれるのを感じた。端的に言えば好みだった。

 依頼人が彼女以外だったら、それこそ断っていたかもしれな……いや待って。わたしにとっては結構大事なことなんです。気に入らない相手と一緒に旅するのって難しいでしょ?


 なにせ今回の依頼主は、神官至上主義を掲げる世界最大最古の神殿だ。

 所属する神官の大半が貴族出身で、そのほとんどが選民思想と既得権益まみれと噂される場所が相手だ。わたしじゃなくても渋ると思う。



  ――――



 パルティールは、アスタリアから神剣をたまわった初代勇者が建国した、いわば神から王権を授けられた国だ。

 だから、神官――神と人との橋渡しをする官吏かんり――は重要な役目で、神殿は王族に次ぐ権力を与えられていた。昔は、神官=貴族だったらしい。


 最善の女神に供物を振る舞うのは、信仰に篤く、血筋に秀でた者こそ相応しい。客人に乞食の粗末な食事など差し出せない。そんな言い分だった気がする。


 今は、多くの国で平民出の神官が大勢たいせいを占めている。魔物の対処に必要な神官の数が足りず、貴族だけなどと言ってられなくなったし、領土や国が増えると共に神殿も増えた。

 総本山も部分的にそれを受け入れたけど、貴族こそが神官に相応しいという根っこは変わらない。それに裕福な貴族は、それだけ多くの寄進を納めてくれる。寄進の量=善行の証だ。


 それが多いほど現世での地位に結びつき、そうして得た地位が高い者ほど優先されて、死後アスタリアの元へ導かれ、幸福に暮らせる資格を手に入れられる。らしい。


 けれどそんなのは当然、元から裕福な者だけが優遇される、不平等極まりない資格だ。

 彼女らは金品で善行を積み上げ、最高峰の神殿に招かれ、死後の心配すら必要ない。


 ――下層民は生活苦で寄進をする余裕がない? 知ったことじゃない。富める者、貴い者のみに後の幸福はもたらされるのだ。あぁ、私たちに恵みをもたらす慈悲深きアスタリアに栄光を――……!


 かくて彼女らは自らを選ばれた者とおごり高ぶり、それ以外を見下し軽んずる。

 初めに聖服だけ見た時は、リュイスちゃんもその一人かと警戒したけれど……


 彼女がそういった神官と異なるのは、接してみてすぐに分かった。

 口調や物腰から感じる内面もだが、所作や身だしなみといった目で見て分かる部分でも、貴族らしさを微塵も感じない。……微塵も、は失礼か。

 なら、外部から招聘しょうへい(『部分的に受け入れた』要素だ)された優秀な神官なのかといえば――


 観察した限り、身のこなしは一定以上だと思う。握手の感触からすれば、肉体的な戦闘訓練も受けているんだろう。少なくとも、貴族出身のお嬢さまとは比較にならない。

 とはいえ、招聘されるほど特筆すべきものも、今のところは感じられない。


 術に関しては、わたしは魔覚(注:魔力を感じる感覚器官)が鈍いし知識も無いので、目の前で使ってくれないと腕前の良し悪しも分からない。ただ、「使える法術は三節まで」という発言からすれば、こちらの線も薄いように思う。


 彼女はどういう経緯で総本山に所属しているのか。

 危険と機密だらけの今回の任務に、どうして自ら志願し、そして実際任されたのか。

 周囲に認められるためと言うが、その動機は、命と釣り合うものだろうか――



  ***



 隣で眠る当の本人を起こさないよう、足音を殺して部屋を出たわたしは、階段を下り、一階の広間に向かった。


 ギシ……キシ……


 他の物音がない早朝。年季の入った木製の階段が、普段より大きく足音を響かせる。

 辿り着いた広間は、昨夜の騒ぎが嘘だったかのように静まり返っていた。満杯だった人の姿は微塵もなく、散らかっていた調度品も綺麗に片づけられている。

 ただ、わたしが壊したテーブルの位置だけはぽっかりと空いていた。予備が無かったらしい。


「起きたか」


 死角から突然声をかけられるが、特に驚きはなかった。毎回こうだからだ。

 わたしも、いつもと同じように挨拶を返す。


「おはよう、とーさん」


「ああ」


 とーさんは昨夜と同じくカウンターの奥にいた。今からもう開店の準備をしているのだろう。

 長年一緒に暮らしているが、わたしより遅く起きる姿を見たことがない。たまにあそこから動いてないんじゃないか、と思う時さえある(そんなはずはないが)。


「……引き受けるんだな」


「うん」


 とーさんの話はいつも唐突で簡潔だ。

 会話が不得手なので言葉数が少ないけれど、裏腹に察しはいいので、口を開くと大体こうなる。


 内容を聞けば、わたしが依頼に興味を抱くのは予想がついていたのだろう。

 あの後リュイスちゃんが降りて来なかったのも、推測する材料の一つかもしれない。

 それはわたしが彼女を追い返さず、話に耳を傾けた、という証だから。


「なにを相手にするか、理解したうえでか?」


 わたしがカウンターに歩み寄る間にも、とーさんは言葉を続ける。


「理解したうえで、だよ。滅多に会える相手じゃないし、最悪、顔を拝むだけでもね。それに、リュイスちゃんがかわいかったから」


 見た目に惹かれて話を聞く気になったのは確かだが、真面目で素直な言動にも好感が持てた。昨夜もいい反応を見せてくれたし。 

 それに、依頼の機密を明かしたうえで選択権をくれたのは、多分、彼女の独断だろう。あんなに真っ直ぐ誠意を伝えてくれる相手は珍しい。久しぶりに当たりかもしれない。


「というか、とーさんでしょ。わたしが普段一人だって教えたの」


「……不本意だが、お前が最も適任だった」


 ほとんど表情の変わらない鉄面皮てつめんぴが、わずかにしかめられる。


「相変わらずだね、とーさんは。そうだ、今更だけど、やっぱり本物の総本山からだった?」


 その名をかたる向こう見ずもあまりいないだろうが、念のため確かめておこうと問いかける。

 無言で突き出されたのは、数枚の手紙。リュイスちゃんの持ち込んだ依頼書だろう。受け取り、簡単に目を通す。


 書かれていた概要は、昨夜彼女に聞いたものと同じ。加えて、とーさんに対しての略式の挨拶。そして最後に短い一文。『――貴方の娘によろしく』。


「うわ」


 紛れもなく、あの人からだ。

 総本山からの依頼であること、リュイスちゃんの言葉に嘘はないことも確信できたが……


「……これ、最初からわたし狙い?」


「うちで条件を満たすのはお前だけだと、始めから見越していたんだろう。……それにこちらも、あいつの弟子を簡単に死なせるわけには、な」


「あー……」


 わたしをリュイスちゃんに紹介したのは、店主としての責務と……あの人への、義理だろうか。

 信頼してくれてるんだろうし、引き受けるかどうかも一応こっちに一任してくれたようだけど……あの人絡みと思うと、ちょっともやもやする。

 この感覚は、あまり好きじゃない。振り払うように、わたしは話題を変えた。


「そういえば、よくうちまで来れたね、リュイスちゃん。あの人に紹介されたんだとしても、『上』で暮らしてる子が実際に『下』に降りるってなったら、二の足踏みそうなものだけど」


 いかにも世慣れてなさそうな彼女なら、なおさら。


「〈剣帝〉を探しに来たらしい」


「へえ?」


 思わず声が上ずってしまった。


「……嬉しそうだな」


「そりゃね。わざわざ探しに来たってことは、少なくとも頭から嫌ってはいないんでしょ? そんなの、今じゃ剣士の中でも物好きなのしかいないんだよ? 嬉しくもなるよ」


「……オレには、理解できん」


「とーさんはそうだろうね」


 苦笑する。


「依頼、引き受けて正解だったかもね。報酬はいいし、内容も面白そう。依頼人はかわいい。それに……」


 その先は、口には出さなかった。

 けれどなにを言おうとしていたか、とーさんには筒抜けだったのかもしれない。短く、本当に短く、忠告してくる。


「……あまり、抱え込むな」


 想定とは違う言葉に、しばし眉根を寄せる。


「抱え込む、って……なにを?」


「……いや、いい。忘れろ」


「そう? まあ……うん。大丈夫だよ。別に無理をする気はないし、危ないと思ったらすぐ逃げる。まだ死にたくないからね」


「ああ、それでいい。……いつも通り、気を付けて行け」


 これも、毎回のことだった。


 今回の依頼のような明確な脅威はもちろん、もっと簡単な依頼だとしても、冒険者稼業は常に命の危険がついて回る。場合によっては、今こうして話しているのが最後になるかもしれない。


 だから、気を付けろ。油断せず、目を配り、危険の兆候を見逃すな。生きる手段を模索しろ、と。


 わたしがうちを出る際には毎回言うし、さっきの『不本意』も理由は同じだ。要は心配性なのだ(本人は認めたがらないが)。

 それが分かっているから、わたしもいつも通りに言葉を返す。


「うん。気を付けて行ってくる」

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