16節 角

 ゴゴゴゴゴ……


 砦を構成する石材が、異音を鳴らしながら変形していく。

 それは次第に、武骨でアンバランスな人の形を取っていく。下半身は小さく、上半身が異様に大きい、それでいて見上げるほど大きな巨人となって、物言わぬ雄叫びを上げる。


「~~~~!」


 ビリビリと空気を震わせるそれに、反射的に足がすくむ。

 声を出せたわけはない。相手は石から生み出された人形に過ぎない。

 しかしそれは確かに一つの意思の元に動き、雄叫びを上げたように感じた。――殺す、というシンプルな意思を。


「……リュイスちゃん、ごめん。ほんとは逃げてって言いたいところなんだけど……」


「謝らないでください。この旅に連れ出したのは私です。私が巻き込んだんです。だから……」


「……うん。うん。そうだね。……じゃあ、お願い。死なない程度にサポートしてくれるかな。一人でやり合うのは厳しそうだから」


「はい!」


 なぜか少し嬉しそうに返事をしながら、リュイスちゃんは右目に青い光を灯す。〈流視〉を発動させたのだ。

 そんなこちらのやり取りをよそに、巨人は傍にいた魔将の少女を肩に乗せると、次には拳を振り上げ、わたしたちに狙いをつけ殴りかかってくる。


「っ――!」


 それを、リュイスちゃんは後方に下がるかたちで、わたしは拳の外側に逃げることで、それぞれかわしてみせる。


 ただでさえ巨大な腕が勢いよく振るわれることで、想像以上の速さと長さ、それに威力を伴って襲い来る。避けられはしたものの、傍を通り抜ける風圧だけで吹き飛びそうな威圧感がある。


 強いて例えれば、巨大な棍棒や大きな丸太を振り回す相手と戦うのに近いだろうか。いや、人が扱える武器では例えにならない。それはそうだろう。誰も経験、どころか予想したこともないはずだ。〝直立する建物に殴り掛かられる〟など。


「おら、いけぇ!」


 巨人の肩の上からカーミエが声を上げると、それに従って石材の塊が裏拳のように振るわれる。


「っ!」


 地面スレスレに振るわれた腕をなんとか飛び越え、その腕の上に立ったわたしは、折れた愛剣ではなく黒剣〈ローク〉を左腰から引き抜きながら、巨人の腕を駆け登る。

 なにもこの巨人と真正面から戦うことはない。形作っている術者を討てば元の砦(というか砦を構成していた石の残骸)に戻るはずだ。


「ハっ! やらせるかよ!」


 しかし魔将の元まで辿り着く前に、術者の意を受けた巨人が右腕を振り上げる。


「わっ、と!」


 その上を駆け登ろうとしていたわたしは当然バランスを崩し、咄嗟にしがみつくこともできず、その場で振り落とされてしまう。そこへ――


「吹き飛べや!」


 カーミエの掛け声に応じ、石巨人が左拳を振るうのが見えた。が。


「《プロテクトバンカー!》」


 バチュン――!


 リュイスちゃんの叫びと共に放たれた光の盾が、巨人の左腕を側面から打ち、わずかに逸らし、わたしへの直撃を防いでくれる。


「そういやてめぇにも借りがあったなぁ!」


 邪魔をされたことに苛立ちながら、魔将がリュイスちゃんに声を上げる。わたしもちらりとだけリュイスちゃんに視線を送り、その場を下がるように促す(伝わったかは分からないが)。


 今、カーミエの意識はリュイスちゃんに向いている。だからこの隙に――

 わたしは〈クルィーク〉の魔力操作で空中に足場を生み出し、空を駆ける。そして一直線に標的に駆け寄り、そのまますれ違うように交差し、逆手に握った黒剣を右手で振るう。


「ガっ!?」


 当たった。けれどまた浅い。斬撃は首の半ばまでしか届かなかった。

 まだ慣れ切っていない武器。不安定な足場。それらが手元を鈍らせる。


「てめぇ!」


 激昂したカーミエが巨人に命じ、今度はこちらを叩き落とさんと腕を振るわせるが、わたしは魔力の足場を造り、空中で方向転換。巨人の拳をかわしつつ、再び魔将の首を獲りにいく。

 そこへ、石巨人のもう一本の腕が迫る。


 ゴォっ――!


 固めた魔力を蹴って跳び渡り、唸りを上げて迫る石の塊をギリギリで避けていく。そしてあと少しで本体に届くというところで……踏み出した足が、なぜか空を切る。


「……!?」


 足元に固めたはずの魔力は、石巨人の腕から生えた無数の棘によって破壊されていた。通り過ぎざまに当たるように狙って生やしたのだろう。こちらの足が傷を負わなかったのは運が良かっただけだ。


 そんな考察をしている落下中に、巨人が反対側の腕を振るう。

 足場を造る暇がない。リュイスちゃんの助けも間に合わない。受けるしかない!


「ふん、ぬ……!」


 黒剣を順手に持ち替え、刀身に左手を添わせる。そうして剣の腹で石の拳を受け止め――


「――ぎっっっ……!」


 予想以上の衝撃に、身体が悲鳴を上げる。単純な威力だけなら、以前戦ったイフの風と同等かもしれない。次の瞬間には、わたしの身は遥か後方に吹き飛ばされるだろう。その時――


 ズ……


 左手に、妙な感触を覚えた。刀身を支えていた〈クルィーク〉が、石巨人の拳の接地面から魔力を吸おうとするのを感じる。


 身を固くして力んでいたせいで誤って発動させてしまっただろうか。けれどこの巨大な石の人形を動かす膨大な魔力から多少の量を吸えたところで、正直焼け石に水としか思えない……

 そう考えたあたりで――目の前の石塊の一部、〈ローク〉を押し当てていたあたりの石が、ごっそりと消失した。


「……へ?」


 間の抜けた声を上げるわたしをよそに巨人の拳は振り切られ、わたしの身体は勢いに押され弾き飛ばされる。

 後方には砦の城壁。激突すれば負傷はおろか、即死の可能性さえある。けれど殴りつけられた衝撃と空気抵抗で態勢を整えることも難しい。そこへ――


「《――封の章、第二節。縛鎖の光条……セイクリッドチェーン!》」


 リュイスちゃんの祈りによって顕現した光の鎖が網のように広がり、わたしを空中で受け止め、速度を緩めてくれる。しかしそれでも勢いを殺しきれなかったため、鎖の上で後転し、態勢を整え、足から城壁に衝突する。


 衝撃が壁に伝わり、蜘蛛の巣のように放射状にひびが広がる。反発する力が足から体に響き、全身をジーンとした微細な痛みが伝播する。まぁ、死ぬのに比べたら全然マシな痛みだ。


「アレニエさんは私が護ります! だから前だけ見てください!」


「(ありがと、リュイスちゃん)」


 痛みに耐えながら胸中で礼を言う。そして壁を蹴り、地に足をつけると共に前方に駆け出す。走りながら思いを巡らせるのは、先刻の光景。


 さっきのはまず間違いなく〈クルィーク〉による魔力の吸収だ。左手にはその感触も残っている。

 ただ、いつものそれとは違う部分が多すぎた。魔力が込められた物質自体を食らい、抉っていたようだし、左手の平より明らかに広い範囲の魔力を吸っていた。そう、ちょうど今右手に握っている〈ローク〉と同じくらいの長さと広さの――


「(ん? ……つまり、そういうこと?)」


 なんとなく分かった。今なにが起きていて、なにができるのか。そうとなればもう難しく考えることはない。実際に試してみるのが一番手っ取り早い。


「リュイスちゃん! 潜り込みたいから、援護して!」


「はい!」


 距離を詰めるべく駆け出し、再び巨人と接敵する。

 打ち下ろされる右の拳をかいくぐってかわし、続けて振るわれる左の拳を――


「《セイクリッドチェーン!》」


 ――リュイスちゃんが生み出した光の鎖が石巨人の身体に絡みつき、ほんの少しだが動きを止めてくれる。鎖はすぐに引きちぎられてしまったが、そのわずかな隙にわたしは巨人の懐に侵入する。


 わざわざ足元まで潜り込んだのは、術者本人ではなく、石巨人自体を相手に試したいことがあったからだ。わたしは〝両手〟で黒剣〈ローク〉を握りしめ、振りかぶった。予想が正しければ、この攻撃は通る。


「フっ!」


 短い呼気と共に振るわれた黒剣は、巨人の足首をまるでバターのように容易く切り裂き、抉り取った。自重を支える土台の一部が切り崩され、バランスを崩し、石の巨体が倒れゆく。慌てて足元から脱出した直後、巨人は地響きと共に倒壊した。


「んな……!?」


 魔将が驚きをの声を上げながら、崩れゆく巨人から慌てて飛び降りるのが見えた。


「てめぇ……なにをしやがった……!?」


「さて、なんでしょう?」


 わたしは笑顔でとぼけてみせる。それを見た魔将が今日何度目かの怒りを爆発させた。


「ふざけてんじゃねぇぞ!」


 転倒した石巨人の身体が表面からボロボロと崩れ、それを元に生み出された石片が雨のようにこちらに降り注ぐ。が、わたしはそれを〈ローク〉で切り払うことで致命傷を避けながら前進する。防ぎ切れなかったものが身体を掠め、傷を生むが、気にせず進んでいく。


「くっ……!?」


 巨人の残骸から、今度は石槍が数本伸びてくる。一本を足さばきでかわし、一本を身を縮めてやり過ごし、最後の一本を黒剣で逸らしながら斬り捨て、とうとう魔将の元まで辿り着いたわたしは……すれ違いざまに一切の躊躇なく、その首を断ち切った。


「ガ……!? カ……」


 首を落とされた魔将の身体は、しばらくその場に立ち止まっていたが、やがてグラリと傾き、倒れ伏す。地面に落ちた首だけが活発に口を開いていた。


「この、感触……その剣、魔力を……魔力を宿した物質ごと、喰らってやがるのか……!」


 そう。これは、〈クルィーク〉の『魔力の吸収』という魔術を、〈ローク〉が制御した結果によるもの。

〈ローク〉――『角』の名を持つこの魔具は、どうやらただ制御するだけではなく、力を鋭くさせる効果もあるらしい。


 力が増すわけじゃない。同程度の力を先鋭化させているんだろう。同じ力を振るう場合にただ殴るのではなく、刃物を使うようなものと言えばいいだろうか。

 それによって〈クルィーク〉の吸収は鋭さを増し、斬り付けた箇所の魔力だけでなく、その魔力が宿った物質ごと喰らう、という力を発揮できた。


 分かったのはつい先刻のこと。左手で〈ローク〉に触れた状態で、相手の魔力を吸収しようとしたことで条件が整い、〈ローク〉もまた発動。〈クルィーク〉の魔術を制御・先鋭化させた。


 つまり、〈ローク〉はいつでも起動していたのだ。合言葉など必要とせず、持ち主が触れた状態で魔術を(あるいは法術を)発動させれば、自動的に制御してくれる魔具。


 普段触っていたのが魔力のないわたしだったために、今の今まで効果を発揮できていなかったのだろう。リュイスちゃんに貸していれば、すぐにでも分かったことなのかもしれない。


「ぐ……くそ……この、あたしが……てめぇみてぇな、わけの分からねぇやつに……!」


 地べたの生首が悔しげに呟く。わたしが半魔だということにはまだ気づいていないらしい。それならそのほうが都合がいい。


「あたしは、魔将として成り上がってやるんだ……! こんなところで死ねねぇ……!」


 カーミエは自分の身体に首を回収させ、巨人の残骸を支えになんとか立ち上がったところだった。わたしはそこに、黒剣を手に近づいていく。


「どんなに力があっても、叶えたい願いがあっても、死ぬ時は死ぬ。この世界にそんなルールを持ち込んだのは、あなたたちの神さま、だったよね」


「くそ! 来るんじゃねえ!」


 のろのろと後ずさる魔将にとどめを刺すべく、わたしは駆け出す。そして〈ローク〉を振りかぶったところで――


「――キヒ!」


 笑い声と共に魔将の姿が石に消え、同時に石槍がわたしを串刺しにせんと襲い掛かる。


「っ!」


 間一髪で避け、踏み止まる。


「キヒヒヒヒ! よく避けたな、妙な人間!」


 次の笑い声は、少し離れた場所から聞こえてきた。いつのまにか首は胴と繋がっている。どうやら巨人の残骸の中を移動して、その向こう側まで逃げていたようだ。というか妙な人間て。


「てめえらの面と魔力は覚えた。いずれこの傷の借りは返してやる。勇者より先にてめえらだ。だが――」


 言葉と共に、巨人の――砦の残骸が、鳴動する。


「だが、今日のところはこれで見逃しといてやる。あたしはこんなところで死ぬわけにはいかねぇからな」


 石の魔将カーミエの姿は、その台詞を最後に見失ってしまう。というのも――


 ――ゴバっ!


 砦を構成していた石材が爆発するように四方八方に屹立し、圧し潰そうと迫ってきたからだ。


「リュイスちゃん!」


 慌てて彼女の元に走り寄り、石が届かない距離まで共に避難する。

 石柱の爆発はしばらく続き、少しづつ収まってゆく。やがて完全に石の動きが止まると、森は来た時と同じ静寂に包まれていた。


「アレニエさん……無事ですか?」

「うん、わたしは大丈夫。でも……逃げられた、かな」


 その場に座り込みながら、目の前の惨状に息を呑む。

 爆発したように膨張した石材はガラガラと崩れ去り、夥しい量の瓦礫の山と化している。もし、この惨状を生んだ魔術をまともに喰らっていれば、わたしたちもあの瓦礫の一部に加えられていたはずだ。背筋が寒くなる。


 付近には動くものの姿はない。やはり先刻の魔術を目くらましに逃げられたのだろう。この先もどこかで襲われる可能性を考えると、ここで仕留められなかったのは悔やまれる。が……


「……」


 準備もなしに不意に魔将と遭遇して、生き延びられただけで不幸中の幸いなのかもしれない。無言ですがりつく神官の少女の手に、そっと自分の手を重ねる。


「あ、そうだリュイスちゃん」


「? なんですか?」


「また、〈クルィーク〉を寝かしつけてくれないかな? 放っておくと、こないだみたいに暴れだしちゃうからさ」


 左手を上げ、小さく開閉させてみせるわたし。

 堰き止められていた本能を数年ぶりに解放した前回と違い、今回はあまり溜まっていないので、いくらか余裕があるのだけど。まぁ、早めに封じておくに越したことはない。


「はい、任せてください」


 言うが早いか、リュイスちゃんは両手を合わせ、祈りを唱え始める。以前解放した際と同じ、一定空間の魔力を沈静化させる法術で、わたしの魔力の核を封じてもらうのだ。そうすれば後は〈クルィーク〉が魔族化を食い止めてくれる。文字通りに。


「ふぅ」


 わたしはリュイスちゃんの祈りを聞きながら空を見上げ、短く息をついた。

 騒々しく、忙しかった夜がようやく終わりを告げる。星々の明かりが、暗い空を光で染め上げていた。

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