15節 石を穿つ

 昔、とーさんに言われた言葉がある。「怒りの悪魔に呑まれるな」、というものだ。 


 悪魔――悪神とも言うらしいが――が抱かせる負の感情、その一つである怒りは、時に人に膨大な力を与えてくれる。

 が……怒りに支配されてしまえば、視野が狭まり、判断力を失い、結果的には破滅してしまう。先代勇者のように。


 それを、まさに破滅する寸前で思い出すことができたのは、リュイスちゃんの制止のおかげだろう。

 それに先刻、わたし自身が怒りに燃えるリュイスちゃんを止めたばかりなのだ。自分が呑まれて暴走するなんて、彼女に合わせる顔がない。


「(……そう。そうだね、とーさん。リュイスちゃん。怒りに呑まれすぎちゃいけない。あの勇者の二の舞だけは、ごめんだもんね)」


 急速に頭を冷やし、急停止したわたしは……突進の勢いを乗せてその場で旋回。回転エネルギーと周囲の風の『気』を一つにし、前方の空間に蹴り放つ!


 ゴオォ!


 風は渦を巻きながら廊下を直線的に突き進み、軌道上にある全てを呑み込んでゆく。


「んなっ……!?」


 横倒しの竜巻は石槍を粉々に砕き、その破片を魔将に浴びせながら、廊下の奥へと吹き抜けていった。

 魔将は全身をズタズタに切り裂かれながらも、その場を動いていなかった。足元を見れば、周囲の石が彼女の身体を支えるように隆起している。おかげでその場に留まれたのだろう。


 竜巻を隠れ蓑に接近していたわたしは、いまだ風に耐える姿勢を取っていた魔将の腹部に左手の鉤爪を突き刺す。


「グぶ……!?」


 相手の呻き声を耳にしながら即座に爪を引き抜き、今度は引き裂くように腕を振るう。何度も、何度も、全身を切り刻んでいく。


「グ……! ア……! ……あぁ!? 調子に乗ってんじゃねぇぞてめぇ!」


 激昂したカーミエは、先刻わたしの剣を折った時のように、急所の多い正中線に石を集め、密集させてゆく。圧縮された石が純度を高め、光を反射する宝石と化す。

 おそらくこの鉤爪でも傷はつけられない。どころかこちらが傷を負うかもしれない。


 だからわたしは手を開き、魔将の身体を、それを守る宝石ごと、巨大化した左腕で掴み取った。


「クっ!? てめぇ! なんのつもりだ!」


 上半身を掴まれ身動きを封じられたカーミエがその場でもがく。わたしはそれを無視して魔将の足元を払い、石の床に押し倒した。そして――


 ズ……


「うぐっ……!?」


 違和感を覚えた魔将が呻く声が聞こえる。そう、これは――


「なん、だ……こいつは……力が、抜け…………こいつ……! 魔力を、喰ってやがるのか……!」


 これは〈クルィーク〉の能力の一つ、『魔力の吸収』。

 普段はわたしの――半魔の魔力を食べてくれているそれは、他者に向ければその魔力を喰らうこともできる。加えて――


 わたしの前方に、赤く煌めく光が現れ、次第に集まり、形を成していく。

〈クルィーク〉のもう一つの能力、『魔力の操作』によって投擲用の短剣の形をとった光は、全部で五本。宙に浮いたそれらが、次には刃先を魔将に向け、勢いをつけて飛来する。


「グアァァっ!?」


 魔力の短剣はわたしの意を受けて飛び回り、身動きの取れない魔将の身体、その中でも防御の手が回らない箇所に刃を突き立てていく。堪らず苦悶の叫びを上げる石の魔将。

 その間にも、わたしは〈クルィーク〉で相手の魔力を奪っていく。


「グ……ガ……。……クソ、がっ……! なめるなよ!」


 叫びと共に、魔将の身体から異常な魔力を感知する。嫌な予感を覚え、即座に手を離し離脱。それでも足りない気がして上体を後ろに逸らす。すると……


 ――ズリュ!


 逸らした上体スレスレに、魔将の腹部から生えた石槍が屹立し、天を突いていた。

 いや、体から生えたんじゃない。自分の体ごと、床から生やした石槍で貫いたんだ。わたしを引き剥がすために。その程度では死なないから。


「クッソがぁ……やってくれたな……」


 今の攻防で、魔将の命の総量はかなり減らせたはずだ。苦悶の声を上げるその身体には、この砦で殺められた死体と同様の丸くくり抜かれた穴が空いている。その身から直接魔力を喰らい、魔力の刃に全身を貫かせもした。


 それでも魔将は立ち上がってくる。腹を貫かせた槍を引き抜き、全身から血を滴らせながら。


 その様を目に捉えつつ、わたしは左手を振り上げる。あと何度必要か分からないが、とどめを刺すまで致命傷を負わせ続けるために。が……

 この目に捉えていたはずの魔将の姿が、ここで唐突に小さくなった。


 しゃがみ込んだ? それとも背が縮んだ? ……いや、沈んでいる?

 よく見ればカーミエの足元は石の床に埋まっており、やがてそれが全身に及んでいく。


 トプンっ


 と、水に潜ったような音を残し、石の魔将は石の中に消えてしまった。

 対峙していた相手が建物の床に潜り姿を消す、というのは、流石に初めての経験だ。異常な事態に、全身が警戒を示す。


 目に見えず、物音もほとんど聞こえない。かすかに魔覚に感じる魔力を頼りに、相手の居場所を探ろうと注意を凝らし、こちらの足元まで接近しているのを感知したのとほぼ同時に。


 キン――!


 と、硬質な音を立てて、わたしの足元から石の刃が閃いた。


「っ!」


 咄嗟にかわし、反撃を試みるが、姿を現したのはその刃だけで、本体は依然石の中に潜り続けている。背びれのように刃を露出させながら石の砦を泳ぐ様は、海に現れるサメという魔物を彷彿とさせた(あまり海に縁がないので話に聞いたことしかないのだが)。


「アレニエさん!」


 リュイスちゃんが心配そうな様子でわたしの名を呼ぶ。それが聞こえたのか、はたまた別の理由からか。石中を泳ぐ魔将が次に狙ったのは、後方で戦いの行方を見ていたリュイスちゃんだった。


「リュイスちゃん! ……このっ!」


 思わず叫び、石の刃を掴もうと左手を伸ばすが……届かない。

 刃はそのまま泳ぐように蛇行しながら、無力な獲物を切り裂こうと高速で迫る。

 助けに入るべく駆け出しながら、しかし間に合わないことを同時に悟る。去来する絶望感に吐き気を覚えながら、それでも諦めずに前を向く。


 ほんの少しでいい。

 少しでも彼女が魔将に抵抗できれば、まだ助けられる。その想いを頼りに足を動かし、両者の挙動を視界に収めようとしたところで、気づく。リュイスちゃんの右目が、青い光を帯びていた。


「《プロ! テク! ション!》」


 言葉と共に、腰だめに構えた右拳に、法術の盾が三重に連なる。

〈流視〉による見切りの賜物か、無駄のない動きで石刃の一撃をかわした彼女は、交差する瞬間、石の刃の根本付近に狙いをつけ、光を纏った拳を打ち付ける!


「《プロテクトバンカー!》」


 ズドドドドンっ!


 拳での一撃を契機に、三重に纏わせた盾が連続して発射され、石の床を粉砕しながら、その中にいた魔将を殴りつける。


「グブ、ぁ……!?」


 拳の威力もさることながら、元から建物自体にもガタがきていたのだろう。通路の中央に穴が空き、瓦礫が魔将と共に階下に落下していく。

 リュイスちゃんはそれを即座に追い、自らも穴の底に身を躍らせ……


「はぁぁぁ!」


「ウブぇ……!?」


 さらなる追撃を加える。

 その声が聞こえたところでハっと気づき、わたしも慌てて後を追う。ここからじゃリュイスちゃんの活躍が見れない……じゃなくて。戦いの結末を見ることも叶わない。


 折れてしまった愛剣を鞘に納めながら、空いた大穴に身を滑らせると、眼下に潰れたカエルのように倒れ込んでいる魔将を確認したため、降りる際に踏みつけて一撃加えておく。


「グぇ……!?」


 ここは、ちょうど建物の一階入り口付近だ。辺りには例の凄惨な死体がいまだに散乱している。


 肝心のリュイスちゃんの姿を探し求めると、彼女は出口を背にして魔将から距離を取り、警戒するように構えを取っている。その表情は怒りに満ちている。


 普段は気弱だし、他者の死に強い拒否反応を示す彼女だが、精神的に追い込まれるとむしろ物凄い爆発力を見せてくれる。今の一連の動きもそれが発揮されたことによるものだろう。魔将の魔力にも臆せず動けたのは、過去にイフと対峙した経験も活きているかもしれない。


 そして、よかった。それでも攻め急がずに、わたしが来るのを待っててくれたみたいだ。あの位置なら、すぐにこの砦を脱出できる。


「リュイスちゃん、外!」


「! はい!」


 こちらの呼び掛けをすぐに理解してくれた彼女と共に建物を抜け出し、砦前の広場まで辿り着いたところで、大きく呼吸する。


 血臭と淀んだ空気から解放され、夜の匂いがする冷たい風を肺いっぱいに吸う。砦に侵入してから大した時間は経ってないはずだが、何時間も中にいたような錯覚を覚えるほど、外の空気が恋しかった。


 そうしていくらか呼吸を整えたところで……


「……てめぇら……よくもやってくれたな」


 砦の入り口から、怒りを隠さない様子の魔将が現れる。


「もう甘く見るのはやめだ。こうなりゃ全力で叩き潰す。文字通りになぁ!」


 その宣言と共に――砦全体が、震えた。

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