53節 気持ちの伝え方
夢の終わりを感じた。
目を閉じたままなのにそれが分かったのはなぜか、自分でもよく分からない。
そもそも夢だったのだろうか。どちらかといえば、死ぬ直前に見ると噂のあれだった気もする。
十年も人間のフリをして暮らしてきたけど、結局わたしは誰をも信用できず、あの目を向けられることも恐れ続けていた。
「外見より内面を見ろ」なんて言葉も聞くけど、わたしにとっては人間の内面こそ信用できない。とーさん以外は、みんな一緒だ。
だったらせめて、外見だけでも好みの相手を選びたい。それで中身も良ければなお良い。そこに、男女の別もない。
リュイスちゃんには「どっちもいける」などと
我ながら、ろくでもない基準の人付き合い。
それでも時々、もしかして、と思う相手に出会うこともある。リュイスちゃんは、今までで一番そう思える子だった。
好みの容姿に、好感の持てる人柄。
境遇には共感を覚えたし、同じような傷も抱えていた。
なにより彼女は、「魔物も生きている」というわたしの戯言に、迷う素振りを見せてくれた。魔物を憎むべき神官でありながら。
いつになく期待した。
もしかしたら、全てを打ち明けたうえでなお、彼女なら受け入れてくれるのではないか、と。
「(まぁ、それもこれも、全部終わっちゃったんだけどね……)」
正体を知られた以上、もう彼女に会う機会はないだろう。わたしの始末に成功したにしろ、失敗したにしろ。
ん? というかわたし、今こうやって考える意識はあるみたいだけど……どういう状態?
そういえばさっき夢を見てたよね。じゃあ、生きてる? それとも、死んだあとでも夢って見れるのかな。
疑問がきっかけになったように、ふわりと、浮き上がっていくような感覚に包まれる。
そして――
***
最初に感じたのは、音。風に揺られる樹々の音が、静かに耳に入り込んでくる。
それから、匂い。土や草の匂いに混じって、花のような甘い香りと、少しの汗の匂い。
まぶた越しではあるけど、わずかに光も感じる。まだ明るい時間らしい。
体の感覚もある。手足は動きそうだし、他の部分にも(おそらく)異常はない。少し、背中側がひんやりする。
けれどそれは首から下だけで、頭部はなにか柔らかく、温かいものに乗せられていた。とても心地いい感触。
なんだろう、これ。ポン、ポン、と、手で触って確かめてみる。
「んっ……」
なにかを押し殺すような声が聞こえた。すごく聞き覚えのある声。具体的には意識を失う直前まで聞いていたような。
確かめるために目を開きかけると、閉じていた視界いっぱいに光が入ってくる。
しばらく、眩しさに目を細める。それが収まって見えてきたのは……逆さまにわたしを見下ろす、リュイスちゃんの笑顔だった。
「おはようございます、アレニエさん」
「リュイス……ちゃん?」
「はい」
寝起きで不意に合った瞳に浮かぶのは、恐れていたあの目……ではなかった。彼女は今までと変わらない優しい眼差しでこちらを見下ろし、静かに微笑んでいる。
わたしは地面に仰向けに寝かされていた。ひんやりするのはそのせいらしい。
でも、頭の周りはほんのりと温かいし柔らかい。もっかい触ってみる。むにむに。
「あの……それ、私の足で……くすぐったいです……」
あ、これリュイスちゃんの足なんだ。むにむに。
眼前には逆さまのリュイスちゃん。そして後頭部の柔らかい感触は彼女の太もも。つまりこれは……
「(リュイスちゃんの、膝枕……?)」
膝枕なんて話に聞いたことがあるだけで、かーさんにもやってもらったことないよ。そもそもかーさん膝枕知らなかったと思うけど。
そっか、膝枕か。じゃあこのほんのり香る匂いもリュイスちゃんのか。道理でいい匂い……じゃなくて。
「……どう、して?」
どうしてまだここにいるのか。なぜ逃げなかったのか。
それを聞いたつもりだったのだけど、彼女は違う意味に捉えたらしい。
「アレニエさんの魔力を、一時的に封印しました」
そう言われ、ちらりと左手に視線を遣ると、普段と変わらない篭手の形状――休眠状態の〈クルィーク〉がそこにいた。左半身の魔族化も治まっている。
「……どうやって?」
あれだけ興奮していた半身を鎮めるには、解消させる対象か、落ち着く時間か、どちらかが必要だったはずだけど……
周囲や彼女自身の様子を見れば、わたしが意識を失ってからそこまで時間が経ったわけでも、その間に暴れたわけでもなさそうなのが窺える。
そんなわたしの疑問に、リュイスちゃんが口を開く。
「魔将を待ち伏せるために使った法術、憶えてますか?」
「え? と……魔力を、沈静化させる、ってやつ?」
「はい。先程の〈流視〉で、アレニエさんの体に流れ込む魔力、その元になっている箇所が、左肩と心臓の間くらいにあるのが見えたんです。だから――」
おそらくそれが、わたしの魔力の核というやつなんだろう。
数年ぶりの解放で溢れ出した魔力。〈クルィーク〉は絶えず湧き出すそれを食べ続けてくれたが、今以上変異しないよう対処するのに精一杯で、左腕の魔族化の解除までは手、というか口が回らなかった。
魔力の流れから原因を見て取ったリュイスちゃんは、通常規模の結界では力が足りず抑えきれないと悟り、小さく、狭く、そして凝縮させ、強度を増したものを、原因である核の周囲にだけ張ることで、遮断した。
そうして遮る間に、〈クルィーク〉が左半身の魔力を捕食することで魔族化を解除。あとは普段のように休眠し、核が魔力を発する端から食べ続ける状態に戻した。
……と、いうことらしい。とりあえずそこまでは分かった。
分からないのは、わたしの正体を知ったうえ、あんな目に合わされたリュイスちゃんが、まだここにいること。しかも、今までと変わらない瞳で。
「……どうして、逃げなかったの?」
「どうして、そんなことを聞くんですか?」
彼女はあくまで穏やかに微笑む。
「だって、あんな目に合わせたのに……もう少しで、死ぬところだったんだよ?」
「私は、生きてますよ。アレニエさんが抑え込んでくれたおかげで」
「……あれは、ギリギリで間に合っただけ、だよ。それに……わたし、半魔なんだよ? ずっと、隠してた。だから……」
だから、てっきり嫌われたと……リュイスちゃんにも、あの目で見られると。そう、思っていた。
なのに、彼女からはそんな気配が全く感じられない。
「それを言ったら、私なんて故郷の村を滅ぼしてますよ。隠し事はお互い様ですし」
「いや、それはリュイスちゃんのせいじゃ――」
「――なら、半魔だからって、アレニエさんが悪いわけじゃ、ないですよね?」
――……!
「さっき襲われたのだって、私が言いつけを破ったからです。アレニエさんは、私を遠ざけようとしてくれていたのに」
なんだろう、なんか……
「それに、半魔は確かに疎まれているし、場合によっては危険かもしれませんが……少なくともアレニエさんは、大丈夫です」
なんか、胸のあたりが、きゅーってする……
「ここまでの旅路はわずかでしたが、アレニエさんの人となりは把握できたつもりです。貴女は自身を悪人だと自称しますが、理由なく悪事を働きはしないし、身近な人を気遣ってもくれる。なにより、私はあの時、貴女のなんの気ない――だからこそ偽りのない一言に、救われたんです。感謝してもしきれません」
それに、視界が歪んでる……こんなの、もう何年も覚えがなかったのに……
「人間でも。半魔でも。例え、魔族だったとしても。私は、アレニエさんのことが好きです。逃げたりしません。だから――」
ああ、こぼれてきた……リュイスちゃんの服が濡れちゃう……
「――だから、泣かないでください。アレニエさん」
そう言うと、リュイスちゃんはわたしの目元を優しく拭う。
――ここで、わたしの理性は職務を放棄したらしい。
腹筋だけで上体を起こしたわたしは、同時に伸ばした両腕で彼女の頭を抱え込み、そして……口付けた。
お互いの顔が逆さまのまま、わたしと彼女の唇が重なる。
「――? ……っ!? むーっ!? むーっ!?」
リュイスちゃんのくぐもった悲鳴が聞こえる。構わずわたしは彼女を抱きしめ、その悲鳴を抑え込んで、柔らかい唇を堪能する。
しばらくして。
「……ぷはっ」
満足し、彼女を解放する。
空気を求めて大きく呼吸し、再び彼女の膝枕のお世話になる。体起こしっぱなしでちょっとお腹痛い。
リュイスちゃんは真っ赤な顔でしばらく荒い息をついた後、すぐに抗議してくる。
「ア、ア、ア、アレニエさん……!? ななななにをして……!」
「ごめん、我慢できなくて」
嬉しさとか愛おしさとかが溢れすぎてもう気持ちを抑えきれませんでした。さっきまで本能全開だったし、そのせいってことで一つ。
「我慢できなくて、って……だだ、だって、私たち、女同士で……!」
「え? なにか問題ある?」
「あるでしょう!?」
「神官は、結構そういう人多いって聞いたけど」
「う、あ……それは、その……」
彼女は耳まで真っ赤にして狼狽している。やっぱりかわいい。
「そんなに嫌がられると傷つくなぁ」
「えっ……い、嫌ってわけじゃ……で、でも、女性同士の関係は、あくまで本分を疎かにしないことが前提であって……」
「わたしのこと、好きって言ってくれたのになぁ」
「それは……言いました、けど……そっちの意味ではないような、その……」
慌ててはいるが、はっきりと拒絶はしないリュイスちゃん。
わたしのことを全部知ったうえで受け入れてくれた、二人目のひと。彼女が愛おしくてたまらない。
「わたしは好きだよ、リュイスちゃん。普通の意味でも、そっちの意味でも」
だからわたしは言葉にする。彼女と視線を交わらせながら、笑顔で。
「…………アレニエさんは、ずるいです……そんな風に言われたら……あんなに、気持ちを伝えられたら……嫌いに、なれないじゃないですか」
リュイスちゃんのその言葉に、わたしは……いつぶりか分からない、心の底からの笑顔を返していた。
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