回想1 平穏と崩壊

「――勇者は無事にみんなの元に帰り、大層感謝されました。そして一緒に国を創り、最初の王様になった勇者は、その後も人々を見守りながら平和に暮らしたのでした――」


 幼いわたしの耳に、いつものように絵本を読み聞かせてくれるかーさんの声が聞こえる。


 わたしと同じくあちこちが跳ねた癖毛に、けれどわたしとは違う緋色の長髪。絵本に向けた穏やかな瞳は、髪と同じ緋色に輝いている。


 これは多分、死ぬ前にわたしが見ている夢。わたしが〈剣帝〉に拾われる何年も前の、かーさんと二人で暮らしていた頃の記憶だ。

 ……って、ずいぶん昔を思い出してるなぁ、わたし。



  ――――



 リメース・リエス。

 ルスト・フェル・ゼルトナー。

 それが、わたしの両親の名前だった。


 リメース――かーさんは、魔具を作成する魔族の職人。その手が生み出す魔具は、人間はもちろん、ドワーフなどが造る物よりも高い品質で、他の魔族はもちろん、実際に被害に遭う人間たちにも噂が広がっていた。


 噂を聞きつけた一人が、ルスト――わたしの本当のとーさん。魔具の入手を目的に、魔物領に単身潜入した人間だった(なんか当時はトレジャーハンターとか名乗ってたらしい)。


 しかし、他の魔族に侵入の痕跡を発見・追跡されたとーさんは、逃走の末、求めていた当の職人の工房に、そうとは知らず身を隠す。

 工房にはもちろん工房主、つまりかーさんがいた。内と外を魔族に挟まれ、進退窮まったとーさんは、それでも最後まで足掻こうと、目の前の女魔族に刃を向けた――



  ――――



 かーさんは、生まれつき『本能が極めて薄い』という、変わり者の魔族だった。

 同族間に居場所を見い出せず、領土の僻地で一人、気まぐれに魔具を造るだけの日々を送っていたという。


 だからだろうか。自宅に侵入し、今まさに襲い掛からんとしていたとーさんを見ても、かーさんは敵意一つ抱かず歓迎し、むしろ追っ手から匿った。


 退屈だった日常の中に突如、それまでは話で聞いたことしかなかった〝人間〟が現れた。かーさんの胸に溢れたのは、希薄だったはずの魔族の本能……などではなく、抑えがたい知的好奇心だった。


 生態、思想、社会、文化等々。思いついた疑問を欲求の赴くままとーさんに尋ね、隅々まで調べたと、かーさんは楽しそうに語っていた。今思うと意味深だ。


 ちなみに『リエス』という姓は、とーさんの名を聞いたかーさんが興味を持ち、二人で相談してつけたものだそうだ。


(――「ルストフェルゼルトナ? 長い名前だねー」


 ――「違う。名前はルストだ」


 ――「? じゃあ、後ろのはなに?」)


 魔族は基本的に名前だけで、姓という概念がないらしい。


 とーさんのほうも、人間に敵意を抱かない奇妙な魔族と争う気になれず、助けられた恩も無視できず、なし崩し的にかーさんと行動を共にするようになり、その末に結婚した。


 と言ってもとーさんは、わたしが物心つく前に、かーさんと――つまり魔族と通じてたとかいう理由で、同族であるはずの人間に罪人として処刑されたらしいが。


 だからわたしは、本当のとーさんについてほとんどなにも知らない。知っているのはかーさんから聞いた話と、わたしの髪と瞳の色がとーさん譲りということくらいだ。


 その後わたしたちは、とーさんの故郷の村、その外れに建てられた小さな小屋(もしもの時は頼るようにと準備してくれていたらしい)に居を移し、二人で生活していた。



  ――――



 ――わぁぁ……すごいねぇ、ゆうしゃ。


「ふふ。アレニエは本当にこの話が好きだよね。もう何回読んだか分かんないよ」


 ――うん! だってすごいもん、ゆうしゃ。わたしも、おっきくなったらゆうしゃになりたい!


「あー、それ無理なんだよね」


 ――えぇ! なんで!?


「だって、アレニエは半分魔族だもの。魔族は、勇者になれないよ」


 ――そんなぁ……ダメなの?


「うん、ダメ。それに勇者になったら、下手したらわたしのことも倒さなきゃいけなくなるよ?」


 ――なんで……? かーさん、なにもわるいことしてないよ?


「そうだけど、そういうものなの。わたしとルストはどっちも変わり者だったから良かったけど、魔族と人間は普通仲良くなれないからね。……それでも、なりたい?」


 ――…………かーさんをいじめるくらいなら、ならなくていい……


「……~~~~あぁ、もう! アレニエは可愛いなぁ!」



 この後、揉みくちゃにされてキスされまくった。


 かーさんはとーさんと結婚するまで、口づけという行為を知らなかった。姓と同じく、魔族にはそういう文化がなかったらしい。

 だから恋仲になった当時、今まさに自分に口づけようとしていた相手にかーさんは、あろうことか正面から疑問をぶつけた。


(――「なんで口と口をつけるの?」


 ――「…………~~てめぇに〝好きだ〟って分からせるためだこの野郎!」)


 顔を真っ赤にしながらとーさんが教えたそれを(そして恥ずかしがるとーさんの姿を)、かーさんはいたく気に入ったらしく、わたしに対しても事あるごとにしてくれる。


 後に、村の友達のユーニちゃんに、「普通は大人の男女でするもの」と言われて驚いた覚えがあるが。


 けれど、いつもそうやって好きを伝えてくれるかーさんが、わたしは大好きだった。

 狭い村の、さらに外れで、人目を避けながら暮らしていても、この頃のわたしは、確かに幸せだった。



  ***



「――……そんなに、泣かないで、アレニエ……わたし、これでも十分、楽しかったんだから……」


 これは…………かーさんが、死んだ日の記憶だ。


 魔族でありながら敵対する人間と添い遂げ、失踪したかーさんは、同じ魔族から恥知らずの裏切り者として追われていた。

 かーさんの造る魔具が人間側に流出するという危惧も、執拗に狙われる要因だったのだろう。

 そしてとうとう、追っ手に発見された。


 例のアスタリアの結界からは離れた土地だったのか(幼少時のわたしは、住んでいたのが地図上のどのあたりなのかも知らなかった)。あるいは、穢れの少ない魔族ばかりだったのか。

 追っ手は結界に反発されることなく人間の領土に侵入し、わたしたちの住み処を襲った。


 彼らにとっては唾棄すべき人間混じり。しかも戦う力もないわたしは、真っ先に標的にされたが……

(魔族としては)力の弱いかーさんは、それでも自身で造り出した魔具を駆使し、わたしを護りながら、追っ手を全滅させた。

 ――かーさんの命と、引き換えに。



「……ずっと、ずっと、つまらないまま生きてきたわたしが、ルストに会って、人間のこと勉強して、結婚して、アレニエみたいな可愛い子供まで生まれて……しかも最期に、そのアレニエを護って、死ねるんだから。……すごく、すごく、楽しかった。ルストが言ってた〝幸せ〟って、こういう感じ、なのかな……」


 ――かー、さん……やだ、よ……しなない、で……


「……あー、でも……アレニエはこれから、もっと、もっと、成長するんだよね。それを見れないのは、ちょっと、残念、かな……」


 ――そう、そうだよ……わたし、もっと……これから、おっきく……だから……


「……これから、アレニエ一人で生きていくのは、大変、だと思う。多分、魔族も、人間も、半魔のアレニエを助けて、くれない……でも、アレニエには、〈クルィーク〉がついてる。それに中には、わたしやルストみたいな、変わり者、はみ出し者も、いるかもしれない……」


 ――かー……さん…………


「アレニエが、そんな誰かに出会えることを、願ってる。……笑って生きていけることを、願ってる」



  ***



 埋葬(かーさんや追っ手の穢れは〈クルィーク〉が食べてくれた)を済ませ、護身用の短剣だけ持ち出したわたしは、村に助けを求めた。一人では、どう生きていけばいいのかも分からなかった。


 この手で土に埋めても、まだかーさんが死んだことを呑み込めなかった。地に足のつかぬまま、それでもなんとか歩を進め、ようやく村に辿り着く。けれど……

 そこでわたしに向けられたものは、恐怖、嫌悪、侮蔑、憎悪……様々な負の感情が混濁した住人たちの冷たい視線と、拒絶の言葉だけだった。


 村の誰かが、かーさんと追っ手の戦いを目撃していたらしい。

 かーさんが魔族であること、そして娘のわたしが半魔であることまで、すでに村中に知れ渡っていた。


 ……その目が、怖かった。

 浴びせられる視線に身がすくんだ。

 気持ち悪さに吐き気を催した。


 そしてわたしは、自身に突き刺さる視線の雨の中に、つい先日にも遊んだばかりの友達が混じっているのを、見つけてしまう。


 ――……! ユーニちゃん……!


(びくっ……)


 ――ユーニ、ちゃん……?


「…………」


 ――……なん、で……なんで、ユーニちゃんまで、わたしをそんな目で見るの……? ……!



 わたしは耐えきれなくなり、そのまま村を飛び出した。


 ……今思えば、仕方がなかったのかもしれない。

 おそらく彼女は周囲の大人に、わたしが穢らわしい半魔だと、もう関わらないようにと、厳しく言い含められたのだろう。

 幼い彼女が混乱し、怯えた瞳を向けてきたこと。それを責めるのは、筋違いかもしれない。

 けれどその頃のわたしにとって、彼女からの拒絶は…………端的に言えば、絶望、だった。


 同時に、思い知らされた。

 この世界で半魔として生きることの現実。かーさんの危惧を。

 たとえどれだけ表面を取り繕っても、一度でも正体を知られてしまえば、途端にあの目を向けられる。

 魔族はもちろん、人間にも隠さなきゃいけない。

 誰も信用できない。誰にも心を許せない。



  ***



 なんの知識も技術も持たず一人で生き延びられたのは、左手の篭手、〈クルィーク〉のおかげだった。

 半身から湧き出す穢れを常に食べ、それを体力や治癒力に換えてくれるため、少ない食事でも動き回ることができ、傷の治りは早く、病気に罹ることもなかった。


 彷徨い、村から離れた森に辿りついたわたしは、そこで生活を始めた。草や木の実を食べ、獣を狩り、木の洞で夜露をしのいだ。

 始めの頃は獣や魔物を警戒して眠ることもできなかったが、少しづつ、周囲に気を配りながら浅い眠りにつけるようになり、そのうちに、眠りながらでも反射的に体が動くようになった。この癖は今でも続いている。


 森での生活に慣れ、徐々に行動範囲を広げたわたしは、街道に足を延ばし、道行く旅人から持ち物を奪うことを覚えた。特に馬車は実入りが良かった。


 どうせみんな、わたしを助けてくれない。

 頼んだって、譲ってもらえない。

 ――なら、力ずくで奪うしかない。

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