51節 決着
地面の頭部が鋭く叫ぶ。
同時に、胴体が振り向きざまに斬り付けてくる。
驚きはしないし、予想もしていた。これでも、まだ足りないと。
だからわたしは呼応するように振り向き、魔将の振るう黒剣を掻い潜りながら踏み込む。最小の動きで愛剣を振るう。
間合い。刃筋。力の伝達。断ち切る意志。
それら全てを理想的に満たせたなら……この剣に、断てないものなんてない――!
「「――……」」
少しの間、静寂が辺りを支配する。
手応えはほとんど無かった。必要を完璧に満たした一閃は、だからこそ、遮るものなど何も感じない時がある。
けれど、今度こそ確信があった。最悪の魔将――〈暴風〉のイフ。その命に届いた実感が。
ズル……
と、今になって斬られたことを思い出したかのように、鎧(と、それに包まれた胴体)が切断面からずり落ち、次いでグラリと揺れ、倒れた。風の腕も霧散し、それと入れ替わるように傷口から穢れが漏れ出す。握られていた〈ローク〉がガランと音を立て、地面に転がった。
「…………ク、クク、ハ、ハ……我が、神剣も持たぬ者に敗れる、か。……あぁ、愉快な、充実した戦だった。叶うなら、今少し貴様と斬り合いたいところだったが……これ以上は、身体が保たぬようだな」
胴と離れ、地面に転がる頭部。それが発する声には悔しさと、それを上回る充足感が滲んでいた。
「見事だ、〈剣帝〉の弟子よ。その名に恥じぬ技の冴えだった」
「ん、や……まぁ、〈剣帝〉とは似ても似つかない、邪道の剣だけどね」
あまりに真っ直ぐな称賛に照れくさくなってしまった。純粋に剣一本で戦い抜いたとーさんと違い、わたしは小細工も弄さなければ生き残れないから、その引け目もあったかもしれない。
「戦に正道も邪道もあるまい。貴様の剣は本物だ。胸を張り、誇れ」
「……褒めすぎじゃない? あなたが初めから全力だったら、その剣を交える機会もなかったはずだよ」
「そうか? 貴様ならばそれすら対処し、抵抗していたと思うがな」
「…………褒めすぎだってば」
褒められ慣れてないのでムズムズします。
どうもこのひと調子狂う。というか、いやにわたしへの評価が高い気がする。半魔を蔑視する様子もないし。
「実際、なんで最初から使わなかったの、あの結界? そうすれば……」
まぁ、使われていたら、多分あっさり殺されていたんだけど。
「好かぬからだ」
返答は、想像以上に簡潔だった。
「……好き嫌いの問題なの?」
「問題だとも。我らは、おそらくは人間共の想像以上に、本能や欲求に縛られている。望まぬ行動を強いられる苦痛は、肉体の痛みすら伴いかねん」
境界が近いとかいう例の特性は、魔術以外にも制限があるらしい。
「貴様の言葉を借りるなら、他者の思考を覗き見る趣味など、我にはない。加えて、それに頼ること自体が、剣での勝負に敗れた証ともなる。しかもこれは、刃を交わす興奮も、術理を解き明かす愉悦も、容易に喪失させてしまう力だ。陛下の守護という第一義が無くば、我も最期まで使いはしなかっただろう」
「あぁ……それでどこか諦めた感じだったんだ」
動機が子供みたいで、やっぱりちょっとかわいいかもしれない。
「あと、そこに転がってる、あなたの剣なんだけど……」
「〈ローク〉か。先刻は明言を避けたが、貴様の母である職人が制作したもので間違いない。以前――数百年ほど前だったか。僅かばかりでも制御の足しになればと、我が命じて造らせたものだ」
てことはこのひと、もしかしてかーさんの顧客? 普通に発注したものなの? ……疑ってたの、ちょっと悪い気がしてきた。
「望むなら、持っていくがいい」
「え? でも……」
あなた用に造ったものなんじゃ……
「職人の娘であり、我を討ち倒した貴様には、手にする権利がある。肝心の使い手はこの通り、持ちたくとも持てぬ有様だからな」
「……ん。じゃあ、貰っておこうかな」
持ち主がそう言うなら、遠慮する理由もないか。
「さて、この身が滅ぶ前に、こちらからも問いたい」
「なにを?」
「貴様の名を」
「……わたしの、名前?」
そういえばまだ名乗ってなかった気がするけど……半魔の名前聞きたがるなんて、やっぱり変わってる。他の魔族なら気にもしないし、するにしても獲物として目をつけた時くらいだろう。
それこそ普段なら、他の魔族相手なら、名前が広まるのを嫌うところなんだけど……
「……まぁ、最期くらい、いいか。わたしはアレニエ。アレニエ・リエス」
「リエス……『森』か。なるほど、貴様の母である職人は、他者の寄り付かぬ森に隠遁していたな。人間のように姓とやらを名乗る魔族。確かに、変わり者だったようだ。……アレニエ、とは?」
「『蜘蛛』って意味。かーさんが好きだったんだって」
「アレニエ・リエス――『森の蜘蛛』、か……その名、憶えておく。いずれまた、相対する機会もあるだろう」
「へ?」
「敗れはしたが、得るものの多い戦だった……いつになるかは分からぬが、貴様と再び剣を交える日を心待ちに、今は眠りにつくとしよう」
「あの」
「では、さらばだ、アレニエ・リエス。〈剣帝〉の弟子よ」
存外あっさりしたその言葉を最後に、イフの頭部と胴体が急速に風化し、穢れとなり、すぐに霧散してしまう。
後に残されたのは、彼が纏っていた兜と鎧。地面に転がったままの黒剣〈ローク〉。そして呆然とするわたし……
「(……そういえば、『魔王と同じく不死』なんて噂もあったっけ? 今までも、勇者に倒されては復活してたってこと? ……え、また来るの?)」
「……はぁぁぁ~……」
思わず、大きく息をつく。
少々納得のいかない部分はあったものの、ようやく終わったという安堵と疲労が大きかった。
魔王に次ぐ存在。最も名の知られた魔将、〈暴風〉のイフ。
噂に聞く彼の実態は、あらゆる意味で想像以上で……なんというか、物腰は静かなのに嵐みたいなひとだった。唐突に来訪し、暴れ狂い、去っていく……
彼の言葉が本当なら、この先また会うことになるのかもしれない。が、これまでの目撃記録や噂からすれば、おそらくその機会はかなり遠い未来になるんだろう。なってほしい。あんなとんでもないのが頻繁に来られても困……あ。
「(そういえば、〈ローク〉の使い方聞き損ねた……。……まぁ、いいか)」
ともあれ、依頼はこれ以上なく達成できたはずだ。
あとはリュイスちゃんと合流して王都に帰るだけ、なんだけど……
「(急に、使いすぎた、かな……)」
左腕に熱を感じる。
普段は〈クルィーク〉に抑えてもらっている魔族の半身。
日頃の抑圧の反動か、解放させたそれが今、堰き止めていた水が溢れるように、わたしの人間としての心身を蝕んでいる。形ある物を壊し、生物を傷つけ、その命を奪いたい……欲求が、渇望が、沸々と湧いてくる。
魔将の命だけでは足りなかったらしいその衝動は、今も捌け口を求めて身体を駆け巡り、心を傾かせようと暴れている。
このままじゃまずい。どうにか発散してからじゃないと人里には戻れないし、〈クルィーク〉も休眠させられない――
――ガサ
背後から響く草を踏む音は、今この状況では福音の調べにも思えた。
野良の獣か、魔物か。イフの魔力が消えたことで戻ってきたのかもしれない。なんでもいいし、ちょうどいい。左手があなたを求めてる。悪いけど、少しの間つき合ってもら――
「……アレニエ、さん……?」
「――!?」
獲物を捉えるべく振り向いたわたしの目に映ったのは……ここから逃がしたはずの神官の少女が困惑し、立ちすくむ姿だった。
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