4-6 逃亡と真実の断片

「父さん、聖女様、騎士様!」


 この場へいる全員へ呼びかける声にも強い焦りの色が現れている。

 飛び込んできた少年は急いで走ってきたのか、荒い呼吸を繰り返しており、頬にも汗の粒が流れている。

 昨日見せていた穏やかな様子ではない、焦燥にかられた姿を目にした瞬間、リーリャはなんともいえない嫌な予感を覚えた。

 どうか気のせいであってほしい――そう願ったが、少年が口にした言葉はその願いを打ち砕くものだった。


「町に騎士が来てる! 巡礼騎士と同じ格好をして聖女様を探してるけど、なんか殺気立ってるっていうか……とにかく雰囲気が変だった!」

「――!」


 どくり。リーリャの心臓が嫌な音をたて、さあっと血の気が引くのを感じた。

 急激に体温が下がり、頭がわずかにくらくらする。呼吸が細く短くなり、正常に呼吸ができているはずなのに息苦しくて仕方がない。


(追いつかれた――!)


 アヴェルティールが馬車を襲撃したあの日から数日が経っている。

 今代のリインカーネーションと護衛についていた巡礼騎士たちに何があったのか、現在の国王の耳に入るには十分すぎるほどの時間だ。

 少年の口から紡がれた言葉を耳にした瞬間、アヴェルティールも大きく目を見開いた。

 が、彼が驚愕したのはその一瞬。次の瞬間にはふっと表情を消し、かちゃんとやや乱暴にティーカップを置いた。


「は……? な、なんで王都からの騎士がこんなところに? しかも殺気立ってるって?」

「どういう事情なのかわかんねーけど、絶対ろくなことじゃないって。なんで聖女様を探してるのかもわかんないけど……あいつらに聖女様と騎士様を会わせちゃいけない気がする!」


 少年の勘は正しい。

 なんせ、アヴェルティールは巡礼騎士の一人のふりをしているが、実際には今代のリインカーネーションを連れ回している襲撃犯だ。王都からやってきた騎士たちと顔を合わせたらどうなるか――簡単に想像がつく。

 がたん。アヴェルティールが勢いよく立ち上がり、椅子が大きな音をたてる。

 即座に外套を身に着け直し、アヴェルティールはリーリャへ手を差し伸べた。


「行きましょう、聖女様」


 こく、と頷いて返事をし、リーリャは差し伸べられた手に己の手を重ねた。

 聖女捜索の手――リーリャたちからすれば追っ手がすぐそこまで近づいてきてると知って思考停止してしまったが、まだ捕まるわけにはいかない。

 少年がリーリャに声をかけているのは、アルズで暮らしている多くの人々が目にしている。住民たちの話を聞き、騎士たちがここへやってくるのも時間の問題だ。できるだけ早くこの場を離れなくては。


「あの……騎士様、一体何が起きているんですか? お二人は巡礼の旅の途中なのですよね?」

「……あまり詳しい内容はお話できません。我々は、訳あって現在のリインカーネーション様の言い伝えについて不信感を抱いているとだけお伝えします」


 アヴェルティールが宿屋の主人へ答えながら、リーリャの手を引いて自分の傍へ引き寄せた。

 引き寄せた直後、アヴェルティールの手がすかさずリーリャの身体へ添えられ、慣れた様子で抱き上げる。ふわりと彼がまとう香りが間近で感じられるようになり、何度も繰り返されたはずなのにリーリャの頬に少しだけ熱が集まった。

 アヴェルティールの目が宿屋の主人と少年へ向けられる。


「手短にお答えください。アルズからシャリテに向かうには、どのような道を進めばいいのでしょうか」


 は、と。

 宿屋の主人が大きく目を見開き、少年もぽかんとした顔をした。

 長く語り継がれてきた伝説と、ぽっと出に見える自分たちの主張。代々伝えられてきた記録という証拠があったとしても、長く語り継がれてきた伝説を信じると考えていたのだろう。

 多くの人間はそのような判断をするだろうが、この場にいる二人は現在の伝説について疑問を抱いている二人だ。


「……私は巡礼騎士という立場にありながら、あなたたち一族の存在を知りませんでした。拝見した記録も、状態からかなりの年月が経っていると予測できる。記されていた内容も具体的で、捏造したとは考えがたい」


 宿屋の主人の手の中にある冊子へ一瞬だけ目を向け、アヴェルティールは言葉を続ける。


「長くリインカーネーション様方をお支えしてきた一族の間で伝えられてきた記録であれば、信ぴょう性は十分にある。かつてのリインカーネーション様方も向かっていた場所であるなら、今代の聖女様が向かう理由も価値も十分にあります」

「……私たちの言葉を信じ、願いを聞き入れてくださるのですか。騎士様は」


 宿屋の主人が発した声はわずかに震えていた。

 きっと、彼らは否定され続けながら生きてきたのだろう。主であるリインカーネーションの傍から突然引き離され、王城から遠く離れたアルズに追いやられ、今の言い伝えを否定する者として白い目で見られ続け――長くそんな扱いを受けてきたのだろう。

 だからだ。今にも泣き出しそうな、けれど同時に救われたかのような目でこちらを見つめてきているのは。


「ええ。長くリインカーネーションの聖女様や聖人様方に仕えてきた一族の方がおっしゃることです。信じる価値は十分にある。……そう思っているのは聖女様も同じかと」


 ちらりとアヴェルティールが横目でリーリャへ視線を送った。

 彼の目へ一瞬視線を返してから、リーリャも改めて宿屋の主人を見る。

 手を伸ばして触れたいが、アヴェルティールに抱き上げられた今の状態では触れることはできない。

 かわりに、ふわりと優しく笑みを浮かべ、リーリャは口を開いた。


「……ありがとうございます、貴重な記録を見せてくれて。……私は、あなたたちの言葉を信じます。私たちリインカーネーションに長く仕えてくれた方々ですから」


 あのとき、少年がリーリャへ声をかけていなければ。

 必死になって自分たちの宿に泊まりに来るよう、リーリャに訴えていなければ。

 何かが少しでも違えば、きっとこの出会いはなかった。彼らがリインカーネーションに仕える一族であることも、彼らの間で伝えられてきた情報も知らないままでアルズを離れていたかもしれない。


(――そして、リインカーネーションの死を望まない人々もいることを知らなかったかもしれない)


 滅びに向かう世界を救うために命を捧げるのが、リインカーネーションとして正しい選択。

 そう自分に言い聞かせ、思いこんでいたが――この旅の中で気づいた。

 リーリャだって叶うならば死にたくない。まだもう少しだけ生きていたい。

 だが、それを口にするのは救国の聖女として正しくないと考え、ずっと飲み込んで見ないふりをしていた。

 ……故に、リインカーネーションの死を望まない人もいるということが、本当はとても嬉しかったのだ。


 一回、二回。宿屋の主人の唇が動き、浅く息を吸い込む。だが、震える息が吐き出されるだけで言葉が紡がれることはなかった。

 まるで自分を落ち着けようとするかのように、数回ほど深呼吸をして、そっとわずかに震える唇を動かした。


「……シャリテはアルズから出発し、真っ直ぐ進んだ先にある分かれ道を右に進んだ先にあります。シャリテが巡礼の旅の滞在地から外されてかなりの年月が経っていますし、距離もあります。場合によっては到着するまで時間がかかる可能性もあるかと」


 そう返事をし、宿屋の主人はリーリャに数歩近づいた。

 優しく手を取り、両手でリーリャの手を包み込むようにして握る。

 先ほどよりも近い距離でこちらを見つめてくる目には、うっすらと涙が浮かんでいた。


「どうかご無事で。少しでも多くの時間を生きてください。……叶うのであれば、巡礼の旅が終わったその先も」

「……もちろんです。本当にありがとうございました」


 リーリャの手を握り返していた手が離れ、両手から伝わってきていた体温が遠ざかっていく。

 ぬくもりとともに告げられた祈りの言葉を心の中で復唱し、リーリャはぐっと両手を握りしめた。

 話が一段落したタイミングを見計らい、少年がすかさず声をかける。


「裏手から出て。馬を連れてきた。聖女様と騎士様の荷物もまとめて積んである。二人とも外套をしっかり着込んで顔を隠せば、すぐには気づかれないと思うから」

「わかりました。あなたたちも、どうかお気をつけて」


 そのやりとりを最後に、アヴェルティールが早足で裏手から外へ向かう。

 外で待っていた馬にすかさずリーリャを乗せ、後ろからついてきた少年から受け取った外套を手渡した。

 受け取った外套をしっかり身につけ、リーリャはしっかりとフードで顔を隠した。


 リーリャ・アルケリリオンは、世界を救うために選ばれた今代のリインカーネーション。神殿を巡って祈りを捧げる旅路は、聖女として死ぬための旅だった。

 一度はそれが家族のためで世界のためなのだと己を納得させたつもりになっていたけれど、アヴェルティールと出会ってその思いは変わった。


 死ねない。まだ死ねない。死にたくない。生きていたい。

 己が死ぬことが世界を守ることに繋がるのだと信じていた思いが崩れ、かわりに芽生えるのは生への願い。

 アヴェルティールと出会ってから芽吹いた生への願いは、リーリャの胸の中で大きな大樹にまで育っていた。

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