4-4 逃亡と真実の断片
「おや。聖女様、騎士様、もう出発されてしまうのですか?」
「ええ。できるだけ早く神殿を巡らなくてはなりませんから」
かちゃり、かちゃり。
リーリャたちしかいない酒場の一角で、食器の音と話し声が響く。
無事に目覚めて身支度を整えたあと、リーリャはアヴェルティールとともに一階にある酒場で朝食をとっていた。
目覚めたとき、すでにアヴェルティールはベッドを離れていたため、起きて早々に慌てることにならずに済んだ。目覚めたあと、ふと昨夜のアヴェルティールを思い出して一人でじたばたしてしまったくらいだ。目覚めてすぐに彼の顔を見ていたら醜態をさらしていたかもしれない。
けれど、時間を置いたからといって気恥ずかしさの残滓が完全に消え去るわけではなかった。
「……」
宿屋の主人に用意してもらった朝食を食べ進めながら、リーリャは横目で隣に座るアヴェルティールの顔を見る。
それだけでも昨夜のやりとりを思い出し、顔に熱が集まりそうになった。
眠気でとろけた目も、こちらに向けられた柔らかな声も、異性との接触が少ない生活を長く送っていたリーリャにとっては刺激が強いものだった。
こちらに向けられていたそれら全てが『リーリャ』ではなく『フィーユ』に向けられていたのだと考えたら、どうしても胸に痛みが走ってしまうが。
(早く忘れなきゃ。これからもアヴェルティールさんとは一緒に行動するんだもの)
自分自身に何度も言い聞かせるリーリャの傍で、宿屋の主人とアヴェルティールの会話は進む。
「そうですか……。もう少しゆっくりされていってはと思ってしまいますが……聖女様と騎士様にもお役目がありますしね」
そういった宿屋の主人は、少し寂しそうに笑い、二人の傍に紅茶を置いた。
代々リインカーネーションに仕えてきた彼らの一族にとっては、何年ぶりに主が現れたのだ。もう少し世話をしたいと考えるのも当然だ。
だが、リーリャは世界の滅びを防ぐ今代のリインカーネーション。
アヴェルティールはリーリャを守る巡礼騎士であると同時に、彼女を本来の騎士の傍から連れ出した襲撃犯であり誘拐犯だ。
一つの場所に長く留まった結果、アヴェルティールを追いかけてきた本来の巡礼騎士たちに追いつかれてしまっては、互いの目的を達成できなくなってしまう。
(それだけは、私も避けたい)
のんびりしすぎて世界が滅ぶ期日が来てしまうのも、絶対に避けなくてはならない。
現在、伝えられているリインカーネーションの伝説にはおかしな点や気になる点もいくつか見つかっているが、世界が滅びに近づいているという点が真実か偽りかまだ確かめられていない。
もし、世界が滅びに近づいているというのが真実だった場合――タイムオーバーを迎えたとき、どうなるか簡単に想像できる。
(今のリインカーネーションの伝説、気になるところはいくつかあるけど……まだはっきりしていない部分もあるからこそ、ちゃんとお祈りはしていかないと)
世界が滅んでしまえば、リーリャが守りたいと思っている人たちもいなくなってしまう。
リインカーネーションの伝説の真実を確かめるという目的も果たせなくなってしまう――だから、いつまでも足を止めるわけにはいかない。
皿の上にのっていた朝食を全て食べ終わり、リーリャが紅茶に口をつける。
アヴェルティールも少し遅れて紅茶を一口飲み、小さく息を吐いた。
「……あの、聖女様、騎士様。次の神殿に向かわれるとのことですが、具体的にはどの神殿に向かわれる予定なのでしょうか」
先ほどまでと様子を一変させ、おそるおそるといった様子で宿屋の主人が問いかける。
彼の声に反応し、リーリャはぱっと顔をあげ、宿屋の主人を見た。
アヴェルティールも同様に宿屋の主人へ視線を向け、二人分の目が心配そうな顔をした彼の姿を映し出した。
先ほどまでは穏やかな様子だったのに、一体どうしたのか。
内心疑問に思うリーリャの前で、宿屋の主人は少しの間黙り込んだあと、そっと口を開いた。
「やはり……ベシャイデンでしょうか」
「……言い伝えどおりに巡るのであれば、そうなるかと」
アヴェルティールがわずかに訝しげな顔をしつつもそう答えた。
勤勉を意味する名を与えられた町であるベシャイデンは、現在リーリャたちが滞在しているアルズから少々離れた位置にある町で、リインカーネーションの伝説に関する神殿を管理している町の一つだ。
伝説の中でもリインカーネーションがベシャイデンの神殿を訪れたとされており、歴代リインカーネーションもそれをなぞって皆ベシャイデン神殿で祈りを捧げてきた。
何もおかしな点はないはずだが、アヴェルティールの返答を耳にした途端、宿屋の主人がはっきりと表情を曇らせた。
「その……このような申し出をするのもおかしいとは思いますが、次に訪れる神殿を変更してもらうことは可能でしょうか」
「え?」
「……は?」
リーリャは目を丸くし、アヴェルティールはますます訝しげな顔をした。
次に訪れる神殿を変えるとは――どういうことなのだろうか。
「……巡礼の旅で訪れる神殿は決まっているのでは?」
胸に芽生えた疑問をそのまま口にし、リーリャはわずかに首を傾げた。
少なくとも、リーリャは王城で聖女としての教育を受けている際にそう教えてもらった。
各地に存在する神殿のうち、巡礼の旅で訪れるのは最初に誕生したリインカーネーションが祈りを捧げた場所だと。
語り継がれている伝説をなぞって旅をし、神殿で祈りを捧げ、最後に天上の国へ向かうのだと――そう教えられている。
これまでのリインカーネーションもそうだったはずだし、おそらくこれからも変わらないはずだ。
生じた疑問をそのまま口にしたリーリャへ、宿屋の主人が答える。
「……実は、我々一族の間で伝えられてきた記録によれば、リインカーネーション様方は巡礼の旅の中でベシャイデン神殿を訪れたことはありません」
「……何?」
彼らリインカーネーションを支えてきた一族の間で伝えられてきた記録では、かつてのリインカーネーションたちはベシャイデン神殿を訪れていない――?
「では、ベシャイデン神殿は一体どのような場所だと?」
「ベシャイデン神殿は、最初のリインカーネーション様によって世界が滅びの運命から救われたあとに建てられたものだといわれています。次のリインカーネーション様が現れるまでの間、人々も神に祈りを捧げられるようにと」
リインカーネーションと関係がある神殿なのは間違いがない。
しかし、かつてこの地に誕生したリインカーネーションが祈りを捧げた神殿というわけではない――?
アヴェルティールの顔に浮かんだ訝しげな色がますます強くなり、リーリャも驚愕と困惑の色を強くする。
話を詳しく聞こうとアヴェルティールが口を開いた瞬間、宿屋の主人が懐から小さな冊子を取り出してこちらへ差し出してきた。
「突然このようなことを言われても、納得できないかと思います。しかし、ここに確かに記されています」
「これは……」
「我々一族がリインカーネーション様とともに歩んできた証として、代々伝えられてきた記録です。これを見れば、私が言った言葉が真実であるかどうかわかると思います」
ちらり、と。リーリャは一度だけアヴェルティールに目を向けた。
アヴェルティールも横目でリーリャに視線を向け、小さく頷く。
これまで表に出ていなかった、リインカーネーションを支えてきた一族の間で伝えられてきた記録なら明らかになっていない情報もあるはずだ。
「……拝見します」
未知の情報への期待と、わずかな緊張で心臓が少しだけ早く脈打つ。
静かに深呼吸をし、一言断ってから、リーリャは差し出された冊子を受け取った。
冊子にはタイトルが記載されていない。かわりに百合の絵が表紙に描かれているくらいだ。わずかに変色しており、この冊子が長い時間受け継がれて続けてきたのを物語っている。
(見よう)
アヴェルティールが手元を覗き込んでくる中、リーリャはそうっと冊子を開いた。
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