3-5 希望の町 アルズ

「本当に来てくれてありがとう。父さんのあんなに嬉しそうな顔、久しぶりに見た」

「いえいえ。あれだけ嬉しそうなお顔を見れて……私も、ここに来てよかったと思います」


 歴代リインカーネーションが利用してきた宿の人々には悪いが、ここを選んでよかった。

 ふわりと柔らかく笑みを浮かべ、リーリャは少年へ返事をする。

 こちらが浮かべた笑みにつられるかのように、少年も柔らかく表情を緩めた。


「……へへ。やっぱり聖女様は優しいんだな。父さんと母さん、あとじいちゃんとばあちゃんから聞いてた話のとおりだ。巡礼騎士はちょっと怖いけど」

「聖女様の御身を守る立場にあるんだ。他者には厳しく接して当然だと思うが?」


 じろりという音がしそうな様子で、アヴェルティールが少年を睨みつけた。

 鋭い視線にさらされ、少年の両肩が再びびくりと跳ねる。

 宿に移動してくる前にも目にしたやり取りに、思わずリーリャの口元に苦笑いが浮かんだ。

 次の神殿に移動するまで世話になる相手だ。できれば仲良くしてほしいが、この調子だと無理に近い。


「……こ、こほん。とりあえず、部屋に案内するから」

「はい。よろしくお願いします」


 気を取り直すように咳払いをし、少年がリーリャの手をとった。

 リーリャからも優しく少年の手を握り返し、手を引いてもらうような形で部屋に案内してもらう。

 リーリャが歩く足音と、前を歩く少年の足音。そして、二人を追いかけるかのような形で後を追うアヴェルティールの足音。合計三つの音が静かな宿の空気を震わせた。


(……歴史を感じるけど、修繕はしっかりされてるみたいだし……利用客がいてもおかしくなさそうなのに)


 歩きながら周囲に視線を向け、リーリャはぼんやりと考えた。

 最初に見たロビーだけでなく、廊下にも修繕が必要そうな箇所は見当たらない。大勢の人間を迎え入れても問題なさそうなほど綺麗に維持されているのに、やはりリーリャたち以外の人の気配は感じられなかった。

 リーリャの脳裏に、少年へ向けられていた視線や悪意に満ちた言葉がよみがえる。


(そういえば、あのとき……気になることを言ってた人がいたっけ)


『よく見たらそうね。全く、人を集めようとして伝説が誤っているかのような主張をするだけでなく――……』


 アルズの住民たちが悪意のある言葉を囁きあっていたとき、確かにそういっていた。

 あのときは主に少年へ意識が向いていたため、あまり深く気にしていなかった。

 だが、ある程度落ち着いた今、あのときの言葉を思い浮かべると少し気になるものがある。


(……伝説が誤っているかのような主張……)


 引っかかった言葉を心の中でもう一度繰り返す。

 それぞれ異なる足音を奏でながら階段を登りきり、二階に辿り着いたところで、リーリャは口を開いた。


「あの……少し、お聞きしてもよろしいですか?」

「何?」

「その……気分を害したら申し訳ないんですけど……町の方々が言っていた、伝説が誤っているかのような主張とは?」


 ぴたり。

 リーリャが発した言葉を聞いた瞬間、少年の足が止まった。

 まとう雰囲気もどこか刺々しいものに移り変わり、ぴんと糸が張ったような緊張感が満ちる。


「……」


 少年は前を向いたまま黙り込んでおり、どのような顔をしているのかわからない。

 やはり聞いてはいけなかっただろうか――深い申し訳なさとわずかな後悔がリーリャの胸に広がり始めたとき、止まっていた少年の足が再度動き始めた。


「……聖女様にも聞こえてたんだ、あれ」


 小さく呟いた少年の声には、まとう雰囲気と同様に刺々しさが含まれていた。

 しかし、その刺々しさはリーリャへ向けられたものではない。この場にはいない、アルズの町で暮らす人々へ向けられたものだ。


「あいつら、俺と父さんがちょっと何か言ったらすぐにああいうんだ。伝説を否定するような主張をする奴らだからまともじゃないんだろうって。まともじゃないのはあいつらのほうなのに」


 刺々しさの中にはっきりとした不満の色が入り交じり、リーリャの鼓膜を震わせた。

 は、と。大きく目を見開き、リーリャは思わずアヴェルティールへ振り返った。

 アヴェルティールもわずかに目を見開き、自分たちの前に立つ少年の背中を静かに見つめている。


「……まともじゃないのは町の方々のほう、というのは?」

「だってあいつら、聖女様が死なないと世界を救えないとか信じてるんだぜ。聖女様は死ななくても世界を救う力があるのに。間違った伝説を信じて、聖女様に死んでほしいと思ってる奴らのほうがまともじゃないだろ」


 どくり。リーリャの心臓が大きく跳ねた。


 リインカーネーションは死ななくても世界を救う力がある。

 リインカーネーションに死んでほしいと思っている人々――おそらく、今の伝説を信じている人のほうがまともじゃない。


 少年の口から紡がれた言葉は、確かに現在のリインカーネーションの伝説を否定し、誤っていると主張するものだ。

 アルズの人々からすると異常に感じられる主張なのかもしれないが、リーリャとアヴェルティールによっては詳しく聞きたい主張である。


「リインカーネーションの聖女様や聖人様たちは、命を捧げなくてもいいんだ。そういっただけなのに」

「……そう思った理由はなんだ?」


 呟くような声量でそういった少年へ、アヴェルティールが問う。

 すると、少年は一つの部屋の前で足を止め、ぱっとアヴェルティールへ振り返った。

 はっきりと確信した目で。そうであると強く信じた目で。


「俺たち一族の間で伝えられてる記録に、はっきり記されてるんだ。俺と父さんだけじゃない、今はもう死んじまったけど……母さんも、じいちゃんも、ばあちゃんも。みんな昔のリインカーネーションは長命だったって知ってる」


 不安に揺れる声ではない、自分たちが持っている情報が真実であると信じた声で。


「こんな場所に追いやられた身だけど、俺たちはリインカーネーションを代々支え続けてきた一族なんだから」


 少年は怯えた様子を見せずに、そういった。

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