3-4 希望の町 アルズ
一歩踏み出してアルズの町を進むたび、ざわめきとともに周囲からの視線がこちらへ突き刺さる。
不思議そうな、あるいは怪訝そうな、さまざまな種類の視線を完全に無視しながら、リーリャとアヴェルティールは小さな背中を追いかけてアルズの町を歩いていく。
二人に――正確にはリーリャへ声をかけてきた少年は、無数の視線にさらされ慣れているのか、気にする様子を一切見せない。
迷いのない足取りで大通りから横の道に入り、ずらりと並んだ店の前を通り過ぎていく。
少年が声をかけてきた場所から数分ほど歩いた先。大通りの賑やかさからは離れた、少しの静けさを感じられるエリアで足を止めた。
「ほら、ここ」
そういって、少年はぱっと振り返った。
トレランティアには及ばないが、アルズにはさまざまな宿がある。大通りから確認できる範囲にある宿はもちろん、その他の場所にあった宿もそれなりに繁盛しているように見えた。
しかし、少年に案内されてやってきた宿は全体的に古びている印象が強い。
他の宿屋のように外観の修繕や補強に手が回っている様子があまり見られず、少しの入りにくさを放っている。古くから営業しているのは確かなのだが、老舗店というよりは人気が出ずに寂れた結果のように見えた。
「怪しく見えるかもしれないけど、危ないことはしないから入ってよ」
一言告げ、少年は扉を開けて店内へ入っていく。
開かれたままになっている扉の前で、リーリャとアヴェルティールは互いに目を向けた。
外から見た印象では、危なそうな気配や印象は感じない。ただ古ぼけた、ほとんど人気がない宿にしか見えなかった。
ぱっと見た印象では危険を感じず、耳を澄ませても不自然な物音や人の気配、怪しい会話などは聞こえてこない。
……ならば、おそらく入っても問題ないはずだ。
「……入るか」
「入りましょう」
無言で見つめ合っていたリーリャとアヴェルティールだったが、短い言葉を交わしたあと、どちらからともなく頷いた。
宿の傍に用意されていた厩舎へ馬を入れ、アヴェルティールがリーリャに手を差し出す。
リーリャも差し出された手に己の手を重ね、優しい力で握り返した。
互いに痛みを感じない力加減で、けれどしっかりと手を繋ぎ、二人で開かれたままになった扉をくぐって宿の中へ足を踏み入れた。
まず最初に見えたのは、受付ロビーだ。アンティーク調のカウンターに宿帳らしきものが置かれており、羽根ペンをはじめとした筆記用具も傍に設置されている。ここで利用客の受付をしているのだろうと簡単に予想ができる作りだ。
受付ロビーの傍には酒場が併設されており、たくさんのテーブルや椅子がずらりと並んでいる。かつては大勢の客で賑わっていたのだろうが、利用客が誰一人おらず、がらんとした寂しい空間が広がっていた。
壁や床も長い時間の流れを感じさせるが、何度も人の手が入っているのだろう。古さを感じさせるだけで、修繕が必要そうな箇所は見当たらなかった。
「……は」
二人の来店に気づき、カウンターの向こう側に座っていた男性が顔をあげた。
ぼんやりとしていた目に一瞬で活力が戻り、大きく目が見開かれる。
まるで信じられないものを見るかのような顔でリーリャへまっすぐ視線を向け、がたりと大きな音をたてて立ち上がった。
「聖女様!?」
「……少々お邪魔させていただきます。息子さんに案内してもらって、やってきました」
はじめましてという言葉も添え、リーリャは深々とお辞儀をした。
その隣でアヴェルティールが一度外へ視線を向けたのち、開かれたままになっていた扉を丁寧に閉める。
驚きを隠せない父親を見上げ、少年は得意げにくふくふと笑った。
「だから言っただろ、さっき。聖女様が来てくれることになった、って」
「……確かにそういっていたが……嘘だと思っていたからな。そりゃあ来てくれたら嬉しいが、聖女様がうちに来てくれることなんて……ないだろうと……」
ふらふらと宿屋の主人がスイングドアを通り、カウンターの向こう側から出てくる。
頼りない足取りのままリーリャの傍へ歩いてくると、少しの間無言でリーリャを見つめたのち、おもむろに片手をとってその場に跪いた。
「本当に……本当に来てくれたのですね、聖女様……!」
まさかここまでの反応をされるとは思わず、リーリャの両目が大きく丸く見開かれた。
喜ばれるのは想定内だったが、ここまで――まるで、何年もの間リインカーネーションがここへ来るのを待っていたかのような反応をされるのは想定外だ。
だが、こんな反応になるほどこの宿はリインカーネーションの来店を待っていたのかと思えば、己の選択は間違っていなかったのだろうと思えた。
「……どうか顔をあげてください。私はちゃんと、ここにいますから」
そういいながら、リーリャは宿屋の主人の手を優しく握り返した。
ゆっくりした動きで顔をあげた宿屋の主人の目には、うっすらと涙の粒が光っていた。
「お部屋の準備をお願いしてもよろしいでしょうか。私と騎士で利用できる二人部屋をお願いしたいです」
アヴェルティールとは話しておきたいこともあるし、二人部屋のほうがいいはずだ。
これでいいか、念のためにちらりとアヴェルティールに視線を向ける。
ぱちりと目が合った瞬間、アヴェルティールは一瞬きょとんとした顔を見せたが、問題ないと答えるかのように小さく頷いた。
「はい、はい。もちろんでございます。とびっきりのお部屋をご用意させてもらいます。……おい、聖女様と騎士様を部屋にお連れしろ!」
「はーい。わかってるっての、父さん」
端のほうでカウンターにもたれかかっていた少年が返事をし、にんまり笑顔を浮かべた。
急いで宿の奥へ向かっていく主人――彼からすれば父親を見送ったあと、少年はリーリャとアヴェルティールの傍へ駆け寄ってきた。
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