3-2 希望の町 アルズ
無事に町へ入るための手続きを終え、アヴェルティールに手を引かれて町の中へと足を踏み入れる。
希望という意味を持つ名を与えられたこの町は、トレランティアの町と古くから交流がある小さな町だ。
トレランティアから流れてきた人も多く、その影響から町の全体的な雰囲気もトレランティアとよく似ている。しかし全く一緒というわけでもなく、白壁の建物の中にところどころ違う色合いの建物が混ざっており、それがアルズ特有の空気を作り出していた。
また、トレランティアではアミュレットやお札といった道具を売っている店が多いのに対し、アルズでは生花や花細工を取り扱った店が多く、全体的に華やかな印象がある。
トレランティアが活気のある町なら、アルズは落ち着いた華やかな町といった様子だ。
「……トレランティアの町とは違った雰囲気なんですね……」
はつり、と。小さな声で呟いたリーリャへ、馬の手綱を引きながら歩いているアヴェルティールがちらりと目を向ける。
わずかに思考を巡らせたのち、アヴェルティールは外向きの口調へ変えて言葉を発した。
「トレランティアと古くから繋がりがある町ですので、大体の雰囲気はトレランティアと似ています。ですが、アルズはリインカーネーションの伝説にまつわる神殿がありません。そのため、トレランティアとよく似ていながら少し異なる雰囲気の町になった――と歴史にありました」
「……えっ。アルズには神殿がないんですか?」
目を丸くしたリーリャへ、アヴェルティールがゆるりとした動きで頷いた。
「移動中も申し上げたとおり、この町に滞在するのは一時的です。次の神殿がトレランティアの神殿から距離があるため、本日は一度ここで休息を取ろうかと」
聖女様も、トレランティアの神殿でお祈りをされてお疲れでしょうから。
そう言葉を重ね、アヴェルティールがふわりと柔らかく笑みを浮かべる。
表向きの表情だが、トレランティアの町に入ったときには見せなかった表情に少しだけリーリャの心臓がドキリと跳ねた。
(……心臓に悪い)
心を落ち着けるために深呼吸をし、リーリャはアヴェルティールへ言葉を返した。
「……お気遣いありがとうございます」
「いいえ。聖女様のお身体が一番ですから。……それに」
アヴェルティールの手がリーリャの手を握り、より近くへ引き寄せる。
「一度お前が持っている手紙や、その指輪について確認したいしな」
リーリャにしか聞こえないほどの声量で、アヴェルティールがそっと囁く。
すぐに再び前を向き、アヴェルティールは空いている片手をリーリャへと差し出した。
「さあ、行きましょう。聖女様。いくら人が多い町とはいえ、日が落ちると危険ですから、早めに宿へ向かいましょう」
頭上に広がる空の色はまだ明るいが、少しずつ夕暮れの色が近づいてきている。まだ時間があるとはいえ、ぼんやりしていれば宿に困ることになるのは簡単に想像できた。
アヴェルティールに小さく頷き、差し出された手に己の手を重ねる。
優しい力加減で握り返してくれるのを感じつつ、リーリャはアヴェルティールとともに一歩を踏み出した。
――否。踏み出そうとした。
「ま、待って!」
背後からヴェールの端を引っ張られ、踏み出しかけた足が止まった。
突然のことに驚きながらも、リーリャは片手でヴェールを押さえて振り返る。
リーリャだけでなくアヴェルティールも突然の接触者に気づき、正面へ向けていた目を素早く声をかけてきた誰かへと向けた。
「い、いきなりごめんなさい、でも……聖女様だよな!?」
「え、と……」
リーリャのヴェールを掴んで引き止めてきたのは、見知らぬ少年だった。
リーリャよりも幼い、まさしく子供といえそうな年齢の少年だ。身にまとうシャツやズボンは庶民的なもので、いわゆる高貴な身分ではないことが読み取れる。真っ直ぐにリーリャを見上げている目は黒く、その中では緊張の色が揺らめいていた。
逃さないというかのように、少年はリーリャのヴェールを掴む手に力を込める。
「その……」
聖女であるかという問いの答えは、イエスだ。
だが、目の前にいる少年がどのような人物なのかわからない以上、素直に答えてもいいものか迷ってしまう。
(どうすれば、いいんだろう……)
リーリャ個人の感情を優先するならイエスと答えたい。
ちらりとアヴェルティールへ目を向け、同行者である彼の反応を確認する。
アヴェルティールは静かに少年を見つめていたが、リーリャと繋いでいた手を離し、少年の前で片膝をついて目線を近づけた。
「確かにこちらにいらっしゃる方は、聖女様――今代のリインカーネーション様ですよ。聖女様に何かご用なのでしょうか」
「なら、あんたは巡礼騎士の人?」
黒い目をアヴェルティールへ向け、少年が続けて問いかけてくる。
「はい。君は――この町の子でしょうか」
頭のてっぺんから爪先までざっと視線を巡らせ、アヴェルティールが少年へ問いかける。
リーリャに見えているのは彼の横顔だが、横顔からも感じ取れるほど、アヴェルティールの目は鋭い。表情こそは穏やかだが、目は全くといっていいほど笑っていない。
少年は一瞬怯んだ様子を見せたが、すぐに表情を引き締めてアヴェルティールに答えるため口を開いた。
「……そうだよ。聖女様がアルズに来るの、ずっと待ってたんだ」
少年が真っ直ぐアヴェルティールを見つめ返して言葉を返す。
アヴェルティールを恐れていなさそうな様子だが、ヴェールを掴んでいる手はほんのわずかに震えている辺り、アヴェルティールへ全く恐怖を感じていないわけではなさそうだ。
(多分……強がりなんだろうなぁ)
いつまでも虚勢を張るのも負担が大きいだろう。
そう判断し、リーリャはちょいちょいとアヴェルティールの肩を指先で軽く叩いた。
アヴェルティールの視線が一瞬だけこちらに向いたのを目で確認してから、彼の耳元へそっと唇を寄せた。
「この子がお話しにくいと思うので、それくらいにしてあげてくれませんか?」
「……しかし」
「大丈夫、です。多分ですけど……この子が私を……リインカーネーションを害そうとは思っていないはずですから」
囁きながら、リーリャも改めて少年の様子を確認する。
ごく一般的な庶民といった服装をした彼は、恐怖と不安を押し隠した目でリーリャとアヴェルティールを見つめている。服の下に武器を隠すのは難しそうに見え、彼自身の様子からもこちらを害そうとしている気配は感じられない。
少年から感じられるのは敵意や悪意ではなく、助けてほしいとすがっているかのような思いだ。
「……わかりました。聖女様がそうおっしゃるのであれば」
無言でリーリャを横目で見て、改めて少年を見るという動作を繰り返したのち、アヴェルティールがため息まじりにそういった。
片膝をついていた姿勢からゆらりとした動きで立ち上がり、アヴェルティールは言葉を続ける。
「しかし、この少年が少しでも妙な動きをすれば、私は即座に武器を取ります。そのことはお忘れなきよう」
言葉を紡ぎながら、アヴェルティールはちらりと少年にも目を向けた。
会話をしている相手はリーリャだが、発した言葉は主にリーリャではなく少年に向けたものだ。
アヴェルティールと目が合い、少年の肩がびくりと跳ねた。
「はい。そのことは……私も、きちんと理解しているつもりですから」
そう返事をしたあと、リーリャは改めて少年と向き合った。
すっかり虚勢が剥がれ落ちてしまった彼の手に自分の手を重ね、優しい力でヴェールの端から手を離させる。そのまま両手を優しく包み込み、リーリャは先ほどアヴェルティールがそうしていたように少年の前で片膝をついて座り込んだ。
ぱちり。少年の黒い目と、リーリャの赤い目が合う。
「……大丈夫。私の騎士は私のことを、心配してくれているだけですから」
純粋な心配というよりは、連れ回している相手に何かあると己に不利益があるから心配しているようなものかもしれないが、心配しているという一点は変わりないはずだ。
内心で少しだけ苦笑いを浮かべつつ、けれど表向きは穏やかな笑顔を浮かべ、リーリャは本題に入った。
「それで……あなたは、私に何かご用なのでしょうか?」
わざわざ町中で今代のリインカーネーションと思われる人物に声をかけてきたのだ、何らかの用があるのは間違いない。
少年の目を静かに見つめ、相手が言葉を発する瞬間をただ静かに待つ。
ほんの少しの空白。ほんの少しの無言の時間。
リーリャを見つめたまま数回ほど唇を開閉させていた少年だったが、やがて意を決したように大きく息を吸い込んだ。
「俺たちの宿に泊まりに来てほしいんだ!」
リーリャの両手を包み込むように握り返し、少年が大きな声でそういった。
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