2-4 忍耐の町 トレランティア
アヴェルティール・マニフィカート。
アヴェルティールという名前のみを聞かされたときは即座に気づかなかったが、フルネームを耳にすれば彼の名前をどこで聞いたのかすぐに思い出した。
リーリャが王城で過ごしていた頃、リインカーネーションとしてふさわしい振る舞いや心構えを身につける聖女教育を受けていたとき、その名前を耳にしたのだ。
王からの命令を受け、リインカーネーションが各地に存在する神殿を巡る間、彼ら彼女らを守る巡礼騎士――その中でも特に優れた剣の腕を見せ、巡礼騎士たちを率いる騎士団長まで上り詰めた人物。
そして、何代か前のリインカーネーションの護衛任務についたあと、忽然と姿を消してしまった騎士団長。
己の護衛にあたってくれる巡礼騎士がどのような存在なのかを知りたくて調べたとき、そのような話を教えてもらった。
当時は過去にそういった人物がいたのか程度の認識で終わっていた。
けれど、思い出した今ならアヴェルティールの名前を教えてもらったとき、聞き覚えがあるような気がしたのも納得できた。
元騎士団長だったのであれば、巡礼騎士たちが身につけているものと同じ武具を身にまとっているのも頷ける。
彼がどこでリインカーネーションの伝説について疑問を覚えたのかまだわからないが、巡礼騎士はその全員が現在語られているリインカーネーションの伝説を信じている。
だからこそ、彼は騎士団を離れてリインカーネーションの伝説が真実かどうか調べるようになったのかもしれない。
(……結構荒っぽい方法に出てるから……相当な何かがあったのは、多分……予想できるんだけど……)
はじめて出会った瞬間を改めて思い出せば、背筋がぞっとする。
たった一人でリインカーネーションが乗った馬車を襲撃し、護衛についていた巡礼騎士たちを倒すということを実行したのだ。彼にそうさせるだけの何かが、騎士団長だった頃にあったに違いない。
ぎゅ、と。片手で祭服を端を少し強めに握ったのと、ずっと前を歩いていた神殿守の足が止まるのはほぼ同時だった。
「聖女様。祈りの間がこちらになります」
神殿守は一言そういうと、重そうな鉄製の扉を押し開いた。
重い音を響かせながら開いた扉の向こうには、中庭で目にしたものと同じ彫刻が置かれた部屋が広がっていた。
まるで教会のような構造になっているが、椅子は用意されていない。あるのは初代リインカーネーションの彫刻と、供え物らしきものが置かれた小さなテーブルだけだ。
足元は深みのある青いカーペットが敷かれ、静かな雰囲気を際立たせている。彫刻の下まで真っ直ぐ一直線に敷かれたカーペットは道のようで、この部屋が祈りを捧げることを目的に作られた場所なのだということをはっきり物語っていた。
彫刻の後ろには大きなステンドグラスがあり、そこから柔らかな光が室内へ差し込んできている。ステンドグラスを通しているからか、それとも彫刻が持つ雰囲気からか――ステンドグラスを背負った初代リインカーネーションの彫刻は、うっすら光っているようにも見えた。
(ここで、お祈りをすればいいんだよね)
そっと片足を踏み出し、青いカーペットを踏む。
そのまま一歩、二歩と前に進んで彫刻のほうへ歩み寄っていく。カーペットの中央辺りで足を止めて振り返ると、扉がゆっくり閉まっていくのが見えた。
あ、と声を出す前に重い音が空気を震わせ、扉が完全に閉まる。
足早に扉まで駆け寄って軽くノックしてみるが、再び扉が開かれることも、扉の向こうからアヴェルティールの声も神殿守の声がすることもなかった。
(……一人だけでお祈りをしないといけないということ……なのかな)
祈りの間と呼ばれる部屋にリーリャ一人だけが通され、扉を閉められたということは、おそらくそうなのだろう。
小さくため息をつき、リーリャは改めて祈りの間全体を見渡した。
部屋に入ったときも神聖な空気を感じていたが、たった一人だけになると神聖な空気の中になんともいえない緊張感も感じられる。
ほんのわずかに空気が重たく感じられ、リーリャの心臓が少しだけ早く脈打った。
(……大丈夫。私もちゃんとお祈りできるはず……)
王城で苦労しながら、聖女教育を受けたのだから。
自分に言い聞かせながら深呼吸をし、改めて一歩を踏み出し、彫刻へ続くカーペットの道を歩き出した。
彫刻へ一歩近づくたびに緊張感が増すが、足を止めずに一歩一歩、ゆったりとした歩調で前へ進んでいく。
やがて彫刻の前まで辿り着くと、リーリャは慎重にその場へ座り込み、胸の前で両手を組んで俯いた。
「ああ……天の国にいらっしゃいます我らが神よ。あなた様の限りなく嫌い給う罪をもってあなた様の愛に背いたことを深く悔やみます……」
はつり、はつり。上手く言葉を発せない喉をなんとか動かしながら、祈りの言葉を紡ぐ。
しんとした部屋の中にはリーリャが紡ぐ祈りの言葉だけが響き、神聖な空気をより強いものへ変えていた。
ゆっくりと目を伏せ、リーリャはさらに祈りの言葉を続けた。
「我ら人間が……かつて犯した罪をお赦しください。聖寵の助けをもって……心を改め……再び罪を犯してあなた様の御心に背くことあるまじと……」
最初に世界を救ったリインカーネーションも、こうして一人だけで祈ったのだろうか。
これまで巡礼の旅を行い、祈りの間へやってきた歴代のリインカーネーションたちもこうして静かに祈りを捧げていたのだろうか。
ゆっくりと声を発し、祈りの言葉を口にする間、リーリャの頭の中ではそんな考えが巡り続けていた。
「――……どうか、我ら人間に今一度、あなた様の愛をお与えください……」
最後にその言葉で締めくくり、リーリャは浅く息を吐きだした。
祈り始めてからあまり長い時間は経っていないはずだが、静まり返った部屋に一人だけでいるからか長く祈っていたかのような思いだ。
伏せていた目をゆっくり開き、胸の前で組んでいた指をほどく。
最後に俯いていた顔をあげようとしたが、リーリャの動きは途中で止まった。
「……あれ……?」
彫刻の下辺り。よく目を凝らさないと気づかないように隠されているが、何か違和感を覚えた。
両手を床につけ、四つん這いの姿勢で彫刻の下へさらに近づいていく。
リインカーネーションとしてはふさわしくない行動だが、祈りの間にはリーリャ一人きり。今のリーリャの行動を咎める者はどこにもいない。
違和感を覚えた箇所へ手を伸ばし、そっと指先で撫でて確かめる。
カーペット越しの感触だったが、わずかに溝があるような感触がリーリャの指先に伝わってきた。
(何かある)
一度手を引っ込め、きょろきょろと周囲を見渡す。最後に振り返り、扉が開かれていないことを確かめてから、リーリャはおそるおそるカーペットへ手を伸ばした。
早鐘を打つ心臓を押さえながら、違和感を覚えた箇所にかかっているカーペットをめくる。たったそれだけの動作だが、何かしてはいけないことを実行しているかのような気分だ。
「……これ……」
カーペットの下には、仕掛けが施された床が隠されていた。カーペット越しに触れたときも感じたとおり正方形の溝が掘られており、まるでハッチのようになっている。リーリャが触れたときに感じたのは、この溝だったのだろう。
床下に何か隠しておけそうな仕掛けは、故郷で過ごしていた頃に目にしたことがある床下収納の扉を思い出させる。
だが、床下収納のように収納部分の扉を開ける取っ手も、指をかけられそうな溝も、どこにも見当たらなかった。
「……多分……何か、しまってあると思うんだけど……」
首を傾げながらも、リーリャは仕掛け部分へ手を伸ばす。
今度はカーペット越しではなく、直接仕掛け部分に指先が触れた瞬間。
「!」
ぱ、と。
突然白い光が溢れ、溝の部分をなぞるようにぐるりと光が巡る。
続いて仕掛けが施されている床の中央に白い光を溢れさせる鍵穴が浮かび上がり、鍵が開くような音がして仕掛けが作動しはじめた。
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