勇者様、さらわれ竜姫にご用心~王女奪還は楽じゃない!?~

桜枕

血統王女

 その日、ヴェルベット王国の王女である、フレナ・ヴェルベットが攫われた事件に全世界が震撼した。

 決してあってはならぬ事だが、ただの誘拐であったならば王国の精鋭である騎士団が対処出来たであろう。しかし、今回の相手はそう簡単ではなかった。



 フレナ王女を連れ去ったのは、自由に大空をかける事が出来る翼と圧倒的な破壊力を持つドラゴンだった。

 普段は辺境な山や洞窟に生息しているが十数年に一度、人間の前に現れるとされ、この地にドラゴンが棲む限り、ヴェルベット王国は栄え続けると伝承されている生ける伝説である。

 過去にはフレナ王女の母である、マルギーナ・ヴェルベットが連れ去られたと記録が残されており、国民の記憶にも新しい事件だった。

 


 国民の知る伝承とは異なり、ドラゴンの本当の住処は古びた城である。かつては立派な城だったのだろうが、整備も清掃もされていない廃城は禍々しい雰囲気を醸し出している。

 幼少期より母の話を聞かされて育ったフレナは取り乱す様子もなく、自らの足で牢屋に入り、扉を閉めた。

 冷たい床に体温を奪われる。劣悪な環境での生活が始まったが、きっと凶悪なドラゴンに太刀打ちできる勇者様が現れると信じて弱音は吐かなかった。



 事件発生後、すぐに出立した王国騎士団がドラゴンの住処とされている地へ足を踏み入れると、待ちくたびれたというように鎮座するドラゴンと目が合った。

 その翼は色とりどりの鱗に覆われ、遠くから見ると高級カーテンや高級絨毯に描かれるような模様や織物のようで、思わず目を奪われる。

 翼を広げ、起き上がったドラゴンの巨体に騎士団は震え上がった。日頃から訓練しているとはいえ、兵士や隊長は足が竦み、動けずにいる。

 しかし、騎士団の将軍だけは違った。彼は十数年前にこの模様と全く同じものを見ている。

 かつてマルギーナ王妃を攫ったドラゴンと同一種だと一目で分かったが、同一個体ではないと確信した。

 十数年前に現れたドラゴンであったならば体に傷がある筈だが、目の前に立ち塞がるドラゴンにはそれがない。

 将軍はかねてより練っていた画策を実行する為に息子であるゾルガ・ギジェムを呼び寄せ、ドラゴンに一太刀浴びせるように命じた。



 現国王は当時、騎士団の一般兵だったがドラゴンに一太刀浴びせ、王女を救出した事で婚姻関係を結び、新国王となった成り上がり者である。

 将軍は当時、現国王の所属する隊の部隊長だったが、一気に身分を逆転されてしまい、憤りから眠れない日々を過ごしたと言う。

 そんな憂いを晴らす為にも息子には何が何でもドラゴンを退けさせ、フレナ王女を救出させなければならないという思いが彼の中で渦巻いていた。

 しかし、咆哮だけで腰を抜かすゾルガは全く相手にならず、ドラゴンは土煙を逆巻かせながら空高く飛び立った。



 廃城の牢屋ではフレナが溜め息を漏らしていた。暖かみのない牢屋では息が白くなってしまい、手足が凍える。

 誰か、ここから連れ出して冷え切った手を温めて欲しい。そう願う彼女はそっと瞳を閉じた。



 更に数日が経ち、ヴェルベット王国のみならず、世界中の腕に覚えがある騎士や冒険者がドラゴン討伐と王女奪還に乗り出したが、廃城に辿り着く事は疎かドラゴンの足元にも及ばず、フレナ王女の安否を気遣う声が各地で上がるようになった。



 事態が好転しない中、友好国の第二王子が王宮の門を叩いた。

 盛大な壮行式が行われ、熱狂する国民達の視線の先には悠然と騎乗する王子の姿があった。

 しかし、王女を連れ帰る予定だった彼らの旅路は四日目に突如終わりを迎える。

 王子一行は怒り狂うドラゴンのブレスにより一瞬にして壊滅させられたのだ。

 


 世界中が悲しみに包まれる中、マルギーナ王妃だけは希望を捨てず、「きっとフレナは激戦の果てに見初めた男性と共に帰還する」と信じて止まなかった。



 フレナが攫われて三ヶ月が経過した頃、ヴェルベット王国とは関わり合いのない国の勇者一行が出陣したと言う噂が流れた。

 遠国のため他の一団よりも時間をかけてドラゴンの住処に辿り着いた一行はたった四人にも関わらず善戦したが、最後に立っていたのは勇者一人だけだった。



「これがヴェルベット王国に棲まうドラゴンの力。ここまでとは…。しかしッ――!」



 せめて一太刀を、と聖剣を振りかぶる勇者・ギルバートはブレスを真正面から受けながらも巨大な頭部を叩き割るつもりで振り下ろす。

 ドラゴンの右目を真っ二つにした直後に聖剣は砕け散り、ギルバートは意識を手放した。



 背中に伝わる冷たい感触で目を覚ますとそこは先程まで激戦を繰り広げた山ではなく、廃城の一室だった。

 周囲は真っ暗で凍える程の冷気に体温を奪われる。

 


「貴方様がわたくしを救い出してくれる勇者様ですね」



 暗闇に反響する叙情的な声。

 姿は見えないが、ギルバートはこの声の持ち主がフレナ・ヴェルベットで間違いないと確信を持った。



「…フレナ王女。貴女を救いに参上しました。私はギルバート・ベルガルムと申します。お姿を見せてはいただけませんか」



 ふふっと癒しの笑声が響き、キィィーと古びた金属の扉が開け放たれる音に続いて足音が近づく。

 月光に照らされる窓辺で待つギルバートの前に現れたのは三ヶ月もの間、囚われていたとは思えない程に清潔感のあるドレスを着たフレナだった。

 赤み掛かった黒い瞳、切り揃えられた髪、すらりと伸びる手足と華奢な体。

 フレナはこの一瞬でギルバートの心を射止めた。



「…美しい」

「まぁ、勇者様ったら」


 我を忘れて、頬を赤らめるフレナを抱き締めてしまったギルバートはハッとしたが背中に回された手を無理に解く事は出来ず、そのままフレナの顔を見下ろした。



「――ッ!?」



 みるみるうちに驚愕と恐怖が募り、真っ青に染まるギルバートの顔を見上げるフレナは艶めかしく唇を開いた。



「この右目の傷ですか?今朝までは無かったのですが、少々おいたをしてしまいまして」



 ギルバートの厚い胸板に身体を押しつけるフレナの力は到底女性とは思えぬ程に強く、身動きが取れない。

 


「フレナ王女……貴女はいったい――!?」

「わたくしはフレナ・ヴェルベット。マルギーナ・ヴェルベットの娘にして、次期ヴェルベット国王の妻ですわ。そして――」



 ギルバートから離れたフレナは両手でドレスの裾を持ち上げ、開け放たれた窓に足をかけて一息に飛び降りた。

 予想だにしない行動を取ったフレナに手を伸ばすギルバートの前を通過する巨大な影。彼の視界はフレナの背中を突き破った翼の模様により埋め尽くされた。

 巨大かつ鋭いドラゴンの左目がギルバートを捉える。恐怖から言葉を失った彼は一歩も動けなかった。



「これが、わたくしです」



 飛び降りた時と反対に窓に足をかけて着地したフレナはドラゴンの爪や牙を隠し、一糸纏わぬ姿で月明かりに照らされていたが、その身のほとんどを片翼で覆い隠した。

 その表情からは悲しみとやるせなさが溢れ、茫然と立ち尽くすギルバートの心を締め付ける。



「怖いでしょう。それが当然の反応ですわ。しかし、勇者様はわたくしを娶らなくてはなりません。そうで無ければ、わたくしは――」



 まるで心のざわめきを表わすかのようにフレナの長い髪が逆立ち始める。

 しかし、ギルバートが抱く恐怖とはフレナの想像するものとは全く異なるものだった。



「私の剣が王女の綺麗な瞳を潰してしまったのですね。このギルバート、どのような罰も受け入れる所存です」

「わたくしを娶る事は罰なのですか?」

「まさか…そのような事は!」

「では、責任を持ってわたくしを王国へ連れ戻して下さいませ」



 安堵したフレナの髪が元に戻り、廃城には似合わない真新しいクローゼットから新品のドレスを取り出す。

 振り向かないで下さいね、と微笑んだフレナは本物のカーテンのような片翼に隠れて着替えを始めた。

 衣擦れの音が反響する中、ギルバートは月を見上げて硬直していたが、耐えられなくなったのか咳払いを一つして呟いた。



「しかし、私の仲間達は…」

「わたくしは誰の命も奪っておりませんわ」


 

 絶望の底に差し込んだ光に縋る思いで振り向いてしまったギルバートの前には既に着替えを終え、翼を収めたフレナがドレスの裾を軽く持ち上げてお辞儀していた。

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