平成最後の1時間何をして過ごしましたか? / 兎駒草

追手門学院大学文芸部

第1話

 平成が終わる1時間前。青い鳥が特徴的なSNSは、大いに盛り上がっていた。

 平成に流行ったニュースやドラマ、アニメの思い出をみんなが発信しては拡散して感動や懐かしみを共有している。

 私はそんなみんなの中の一人であるが、私は平成が終わる実感がこれぽっちも湧かない。

 というのも、私は平成生まれだからである。しかも、平成の半分ぐらいの生まれなのだ。平成の始まりにも立ち会ってもいないし、その半分しか生きてないのだ。

 だから、私にとって平成はどんな時代かとか聞かれても、私は社会の荒波に流されていただけなのだから分からないのであり、あと1時間で終るこの瞬間でも分からず、みんなの気持ちでも見ようと、SNSをベッドで寝ころびながら見ているわけだ。

 ふとした疑問だが昭和が終わるときはどうだったのだろう。というか、私の両親はどんな風に昭和の最後を迎えたのか興味がわいてきた。

 まだ、リビングでTVを見ているであろう両親に話しに行くか。と、ベッドを起き上がった時、私は危機感を覚えた。

「私も将来聞かれるんじゃね?」

 私が今親に昭和最後の時を聞きに行こうとしているように、令和生まれの子に「平成が終わるときに何していたの?」って聞かれる可能性は十分ある。

 その時、私は何を言う。

 まさか、「ベッドでダラダラしていた」なんてダサいことで言うのか?「Twitter見ていた」とか言ってみろ。「Twitterってなに?」って言われるのがオチである。

 ヤバい。非常にヤバい。鍋を食べるときはいつも醤油なのにポン酢を入れてしまった時のようなヤバさだ。間違えると楽しい時間が台無しになってしまう感じなのだ。

 さて、どうする。このままベッドでダラダラするか。それとも、親と話すか。後の1時間何をするのが楽しい生き方が出来るだろう。少なくとも、未来の私が喜びそうなことは、この二つではない。

「そうだな。例えば、天体観測とかどうだろうか」

 この時の私の頭にはこの数年で一番眺めているであろう。星の輝きを頭に思い浮かばせていた。




 外に出ると小雨が降っていた。だが、傘はあえて持っていなかった。

 少し濡れた程度別に苦ではない。

 それどころか、実に楽しい気分だ。部屋でゴロゴロするより何十倍も楽しい気分にさせてくれた。

 だた、小雨だから少しぐらい星が見えるかもと期待したが薄い雲は思ったより広く広がっていた。おかげで、星を見ることはできずにいた。

 だが、まだ50分ある。観測予定の場所は歩いて10分はかかるし、少しコンビニ寄って飲み物を買っていこうと考えているし。もしかしたら、晴れてくれるかもしれない。

私はお気に入りの映画のサントラを聞きながらコンビニに向かい歩き始めた。


 コンビニの前には不思議なことにたむろしているヤンキーまがいがいなかった。あの人たちはこういったお祭り行事が大好きだから、てっきり集団でわいわい騒いでいたり。うるさいバイクの音を響かせていると思ったのだが。この雨の中で騒ぐのは愚かなことだということを、彼らにも理解できることなのだろう。

 ならば、傘もささず河川敷まで天体観測をしようとしている私は愚か者に違いあるまい。

 コンビニの駐車場には車が沢山止まっていた。GWだったからどこか出かけていたのだろう家族や、GWなのに休みがなかった疲れ果てた顔したおじいさんが乗っているのが見えた。

 これもまた意外である。どちらにしろ。早く家に帰って子供を寝かせるべきだし、おじさんたちは明日の仕事に向けて寝るべきだ。

 いや、休みかもしれないが。だが、本当に人はいないと思ったのだ。GWだぞ。どこぞの野党みたいに40連休は無いかもしれないが10連休もあるのだ。休むべきなのだ。コンビニも学生も、10連休じゃなくてもいい。4日5日は少なからず休みであるべきだ。コンビニでレジ打ちしている青年も心なしか疲れた顔をしている。彼は平成最後の夜をレジ打ちで過ごすわけだ。

 そんな彼らには、無邪気に笑っている子供はどんな風に写っているのだろう。「お母さん、これ食べたい」「ママ、これ買ってもいい?」と、狭いコンビニの中で騒いでいる子供をどんな感情を抱いているのだろう。どんな悪い感情を持つのだろう。そんなことを考える私も相当悪い人なのだが、ついつい考えてしまう。もし、彼らが苛立ちを覚えて暴れだしたら。男の人が買おうとしている缶コーヒーを子供や親、店員に投げつけたらどれほど面白いだろうか。または、私に投げつけてきたらどうしてやろうか。想像が膨らんでくる。

 だがしかし、そんな物騒な事件が起こることはなく。青年は淡々とレジを打ち、男の人は缶コーヒーを買ってコンビニから出ていき。コンビニには、子供の賑やかな声だけが残っていた。


「ありがとうございます」と、言いながらレジ袋を受け取り、コンビニを出た。

 相変わらず、空には薄い雲が広がり、星の光を遮っていた。

 駐車場は、先まであった沢山の車は無くなっていた。早く帰ればいいと思ったが、いなくなると、私だけ置いて行かれたような寂しい感情が浮かんできた。

 アスファルトを濡らす雨を感じながら、私は河川敷へ再び歩き始めた。




 河川敷で星を見るときは、きまって歩いていっている。

 草木も眠りについている世界に、自転車の走行音はあまりに大きな音だからだ。

 それに、河川敷までの道は小学校の通学路だからというのもある。自転車で通るよりも、歩くほうが自然体だと感じる。しかも、歩く速度は小学校の時よりも早くなっているのだろうか。そこまで苦にならない。音楽が一周二周するころには、小学校についてしまう。

 単純に歩く速度が広くなっただけなのだが、成長したなと感じてしまうのは、私の感性が幼いだけである。

 いや、それだけではない。私は足を止め周囲を見渡した。そこには、昔見ていた光景とは違う光景が広がっていた。

 背が低く、見えていなかった植木の向こうに広がる田んぼ。フェンスが邪魔でよく見れていなかった分水路の中。

 昔は見たくても見られなかったそれらは、私にとって「未知」なものであった。それが今、私は見ることができている。これを成長と言わず、何が成長だと言えるのだろうか。

 分水路の中は少量の水が満たされ、私よりも背の高い植物たちがユサユサと揺れていた。




 分水路の流れに沿って、私は河川敷にたどり着いた。

 河川敷はいつもと同じように、静かだった。いや、雨のせいか、いつも以上に静かだった。

 私が普段来るときは晴れているからか、ランニングしている人やバイクを走らせている人がいる。その外にも、花火をしたり、サッカーやバスケ、野球の練習をしている子もいれば、音楽を流して騒いでいる子いる。そんな河川敷も、小雨の中で私一人。しかも、天体観測をしに来たとは、とんだ笑い話だろう。

 が、しかし、そんな笑い話も——。


 ベンチは濡れているが、流石に道中で濡れたしまった以上関係ないから、気にせず座り私は空を見上げた。東の空では薄い雲がクッキー生地のように伸びているが、南の空は薄い雲に大きな裂け目ができていた。大きな裂け目の中には、今にも消えそうな小さな明かりが灯っていた。その光は、街中では街頭で消え、車のライトで消えるような。そんな小さな光が一生懸命に光っていた。

 お世辞にも美しい星空だとは言えないが、小さな明かりだけでも見られただけでも充分であった。逆に言えば、河川敷に行かなければ見られないほど小さい光を、僕は見ることができた。ベッドの上でゴロゴロしていた時よりも、何十倍も価値があるものを僕は目にすることが出来た。そして何より、未来の私はこんなバカげた話を好むはずだ。

 しばらく空を見ていると、どんどん裂け目は大きくなっていく。それに比例して、僕の髪の毛への負担も一緒に減って至った。

 平和が終わる0時頃に雨はすっかり鳴りをひそめ、空は私がよく知る姿へ変化していった。

 実に普通で代り映えもない。普通の空。周りは静かで、蛍がもう少しで見れそうなジメジメとした空気を肌に感じる。ああ、とても普通であった。でも、この空がいつまでも、時代が変わったとしても普遍的であってほしいと願うには丁度いいそんな空。


 平成が終わりに近づく、別に世界が滅びるわけでもないが、自分生きていた時代の一つが終わり、歴史に名を刻まれ、新たな時代に交代する。大げさに書けば書くほど楽しく瞬間。そんな楽しい瞬間を、僕は生涯忘れることはないだろう。

 あなたはどうだろうか?平成最後、令和最初の1時間何をして過ごしましたか?



~あとがき~

 お話しというか、ノーフィクションである。そう、これは僕の実体験をほぼ100%書いた作品である。そう、わざわざ小雨の中、傘もささず、歩いて安威川の河川敷に行って、星を見ようと2時間外にいた。うわぁ。事実だけ書いているけど頭おかしいだろ。でも、まぁ、面白いから良しだ。実際、この作品は私が1回生のころ。文芸部に入って最初の歓迎会(?)でカラオケに行ったときに途中まで書いていたやつを加筆したものである。全体を通して一体感がないと思った人は優秀だな。カラオケでまともなものが書けるわけないからな。特に私だぞ。初対面の人達がいる中でネタ曲をぶち込んだぞ。またそれも文芸部の思い出である。

 コロナのせいで、後輩たちに色々苦労を掛けてしまった。思っていたような大学生活が送れなかった子もいるだろう。先輩と不甲斐ないことばかりだった。先輩らしいことが出来るとすれば。どんな文章でもOKである。と、見せつけることぐらいだろう。参考にならないけど、こんな変なエッセイでもいいからちゃんと出そうな!先輩との約束だぞ。

最後に、先輩がたの皆さん本当に3年間ありがとうございました。色々なことを学びましたし、これからも学ばせていただきたいです。同期のみんな、こんな私と楽しく過ごしてくれてありがとうございます。主に一回生のころの思い出しかないけど、みんなと過ごした時間は大切な青春の一ページとして記録しておきます。また、いつでも遊ぼうね。そして、後輩諸君。時々遊びに行くからね!あと、作品読むから!

 次書くときは、もっと上手に文章まとめる……。

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