荷運びヘルムと老ドラゴン

犬飼

第1話 荷運びの徒弟、ヘルム

 ヘルム・R・オーリンズの朝は早い。


 まだ日が昇り切らないうちに、彼は身支度を済ませて厩舎の外へ出る。井戸端で顔を洗い、傍に群生しているハーブをちぎりとると、それを数回噛んで吐き出し、口のなかをさっぱりさせる。そして厩舎の裏手にある鶏小屋へいき、迷いのない慣れた手つきで数羽〆る。彼が世話をしているドラゴンの餌である。

 

 ヘルムは〆た鶏を麻袋に詰めると、背中に担いで厩舎へ戻る。

 この重量にも、つい先ほどまで生きていた鶏たちのぬくもりを背中に感じることにも慣れた。大人になるというのは世界の残酷さに慣れることだ、と師匠は口ひげを触りながらヘルムに教えてくれたことがあった。数々の残酷さに直面してきた師匠の口から発せられる言葉には、石碑に刻まれた王の格言よりも真実味がある。


(2022/5/16)


 厩舎の鉄扉は大型の錠前と閂に巻いた鎖で施錠されている。

 ヘルムは麻袋を扉の脇へそっとおろすと、鎖を解いて解錠し、自分が通れる分だけ開いて中に入る。決して扉を開け放してはいけない、と師匠は口酸っぱくヘルムに忠告していた。ヘルムはあくまで世話係であって、【乗り手】ではない。まだ気温が上がりきらない朝だとて、万が一のことが起こらぬよう、細心の注意を払う必要がある。


 ヘルムは「よっと」と麻袋を担ぎなおすと藁が敷かれた厩舎内に入る。厩舎内は宮殿のダンスホールよりもさらに広い(もちろんヘルムは実際のダンスホールになど行ったことはないのでよくわからないが、貴族二百人ほどが優雅に踊れる空間だと、絵本で読んだことがある)。藁を踏むヘルムの足音が乾いた音を立てる。通路は大人三人が寝そべるだけの幅があり、通路を挟んだ両脇に二頭のドラゴンが飼われている。


 一頭は齢百二十のまだ若いドラゴンで、元は王国竜騎士が乗るドラゴンになる予定だったそうだ。実地調教の途中で右翼を負傷し、戦闘に耐えうる飛翔能力を失ったため、官庁が払下げたのだった。愛竜を亡くし引退を余儀なくされそうになった師匠が引き取り、荷運び用のドラゴンとして調教し直したのが八年前。「バスターの荷運び屋」の看板に描かれている二頭のドラゴンのうちの一頭が、この【ギリアム】である。


 もう一頭は齢不明(おそらく六百歳は超えている、とヘルムは思っている)のドラゴンで、こちらは先月、ギリアムと同じように払下げられた個体を師匠が買い付けてきたのだった。飛翔能力はまだ衰えていないものの、高齢の個体であり、実戦配備にはもう向かない、という理由で竜騎士の足を引退させられたらしい。大きさはギリアムの二倍ほどある。


(2022/5/17)


 ヘルムはまずギリアムの竜房の中を見渡した。ギリアムは壁際で丸くなって眠っているようだった。竜房内に異変がないことを確認すると、ヘルムは餌受けを軽く雑巾で拭い、麻袋から鶏を三羽取り出してそこへ置いた。鉄柵で仕切られた竜房の餌受けは、その上部にドラゴンが頭を出せるだけの穴が空いており、そこから首だけ出して餌を食べられるようになっている。最後にもう一度ギリアムの様子を確認すると、鼻先がヒクヒクと動いているのが見えた。じきに目を覚ますだろう。

 

 続いてヘルムはもう一頭の老竜の竜房を確認する。竜はすでに目を覚ましており、ヘルムとしっかり視線が合った。厩舎内はまだ薄暗かったが、その老竜の翡翠色の目は僅かな光を反射して光って見えた。宝石のようだ、とヘルムは思った。


ーー 朝早くからご苦労だな、ヘルム。


老竜がヘルムに語りかける。齢を重ねた竜の中には人と意思疎通ができるものがいる。竜と会話をするには、人間側にも一定の資質が求められ、どんな人間でもできるわけではない。どのような仕組みなのかはまだ解明されていないが、頭の中に声が響いてくるのだ。


(2022/5/18)

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荷運びヘルムと老ドラゴン 犬飼 @tamanegisensei

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