友人が「平和の素」ができたと言って喜んでいるんだが

間貫頓馬(まぬきとんま)

友人が「平和の素」ができたと言って喜んでいるんだが

「『平和の素』を創ったのだ」と、私の友人は目を輝かせてそう言った。


 今日は地球が滅ぶまであと三年といったところで、この私は未だそんな実感もなく、ずるずると昼飯のカップラーメンをすすっていた。


 お偉いさん方が「地球滅びます〜」などというふざけた発表をしたのはちょうど二年前の今日のこと。なんだか宇宙の向こうから馬鹿でかい隕石が降ってきて、それが地球にぶつかってふたつ仲良く大爆発です。と、そういうことらしい。


 そんな発表があったので、世間様は大騒ぎ。あっちは暴動こっちは薬物、お隣さんでは新宗教。発表から一年半はそんな混沌とした状態が続いていた。


 しかしそこは人類、その後は意外にもすんなり落ち着いてしまった。

 『終わりは変えられないのだから、最後の日まで日常を過ごそう』と、そんな考えが広まったのだという。


 しかしそんな中でも、「最期だから」と好き放題する人間は存在するもので、世界の各地で好き勝手やっている人間も存在するようだった。そのうちのひとりが、化学者である私の友人だ。


 私は、友人のしている研究とやらが何なのかはさっぱり分からなかったが、どうやら彼は薬を作っているらしい。「地球滅びます〜」の発表があったその日から、友人は「最後くらい平和な世界で終わりたいよねぇ! 」とだけ言い残し、私に地上の家の留守番を任せて地下の研究室に篭ってしまった。


 ……で、その友人が先程地下から出てきた。

 そこで「平和の素」という訳なのだが。


「何じゃそりゃ」

「期待通りの反応どうもありがとう。実物がこちらです」

 ひどい身なりに加え記憶よりも若干痩せこけていた友人は、それでも二年前と変わらない、ヘラヘラした笑顔で懐から小さな瓶を取り出した。中には白い錠剤が数粒。友人が瓶を揺らすと、カラカラと気味のいい音を立てた。


「なにそれアブナイ薬? 覚せい剤みたいなやつ? 」

「ははは、なんて貧相な発想力だ。君って実はつまらない人間だよな」

「二年以上前から知ってただろうが」

「まあ知っていたけれど。愛すべき平凡さは君の長所だよ、僕の友人くん」

「お褒メイタダキ光栄デス、天才化学者サマ」

 わざとらしく「天才」の部分を強調して言い返し、私は麺を啜り終えたカップラーメンの容器をテーブルの上に置いた。


「で、何を開発したって? 」

「ふふふ、知りたい? 知りたい? 」

「聞いてやらんこともないよ」

「ななな、なんと、平和の素だよ! 」

「それはさっき聞いたよ」

「名前じゃなくて、それがどういうものなのかを聞いてるの」と言うと、友人は「よくぞ聞いてくれました」と言わんばかりの満面の笑みを浮かべた。


「ふふ、ふふふふ、ふふふふふふ」

「帰っていい? 」

「待って今言うから。えーと、簡単に言うと、これを飲むとあらゆる争いを回避することができるようになる! 」

「……はい? 」



「つまりこれは世界を争いという醜い概念から救う、新しい薬なのだよ! 夫婦喧嘩から世界大戦まで、ありとあらゆる争いをこの世から無くすことができるのさ! 」



 友人は両手を広げ、舞台俳優のようにそう言った。ついでにターンとポーズも決めて見せた。素晴らしいパフォーマンスだ。観客は私一人なのだけれど。


「……………………へえ」

 自分でもびっくりするくらい間抜けな声が出た。


 出会った時から訳のわからないやつだったけれど、地球滅亡を目の前にして気でも狂ってしまったのだろうか。気の毒なやつ。きっと瓶の中身もラムネ菓子でしたとかそういうオチなのだろう。やれやれ、自分の人生にそう価値があるとは思えないが、なんだか二年損をした気分だ。


「ふふ、信じてないな? 人の心ってやつにはわりかし疎い方だと自負している僕だが、そのくらいはわかるぞ、僕の友人くん。あと失礼なことを考えているだろう」

「帰っていい? 」

「まあ聞きたまえよ。どうせ地球滅びるんだし。二年付き合った友人にもう一日くらい付き合ってくれたっていいだろう」


 そう言うと友人は、私の目の前にゆったりと腰を下ろした。


「そもそも、争いってやつはなぜ起こるのだと思う? 」

 そうこちらに問いかけた友人の顔が存外真剣だったので、私は彼の言う通り、もう一日だけ彼に付き合ってやることにした。


「……そーね、相手が嫌いだから、嫌悪感を感じたから、排除しようとする。排除されようとした相手はそれが嫌だから抵抗する。結果的に争いになる」

「小難しいことを言うなあ。やっぱり君はつまらない男だ! 」

「今ここでその顔を殴ったら争いになるか? 」

「ふははは、落ち着こうか! 僕が悪かった! 答えを言うから怒らないでくれ! 」

 答えはもっとシンプルだよ、と友人は言った。



「この世の争いの全ての原因は、『君と私は違うから』だ」



 嫌悪感も羨望も、嫉妬も憎悪も傲慢も、全部、全部、「君と僕は違うから」起こるものなのだよ。隣の芝生が青い、だから奪おう、燃やそうとするわけさ。自分のところと同じ芝生なんて興味すらわかないだろう?

 

 友人はニコニコと笑いながらそう言った。その目はどこか遠くを見ているようだったけれど、一体なにを見ているのか私にはわからなかった。


「……まあ、そうなのかな? 」

「そこで、だ。私はその原因を根絶してしまえば、争いは無くなると考えた」


 彼はゆったりとした仕草で、カップラーメンの容器の横に例の薬瓶を並べて置いた。なんだか不健康な絵面だな、と思った。友人は続ける。


「つまり『他に対する興味』の消失だ。僕の友人くん。『君と僕は違うから』『隣の芝生は青いから』争いが起こるのであれば、『君』と言う概念、『隣の芝生』という概念を無くしてしまえばいいのだよ。『僕』だけが残れば争いなど無くなるだろ?」

「…………」

 極論だなぁ、と、私は正直なところそう思った。


「他者には目もくれず、個人が個人の幸せだけを追い求めて生きてゆけば、争いなんてものは起こらない! 争うべき他者を認識できないのだから、個人間の違いなんてものも認識できず、小競り合いはなくなり、喧嘩はなくなり、戦争はなくなる! 」

 熱く語り続ける友人を眺めつつ、私は胸ポケットからタバコを取り出し、一本口にくわえた。彼の語りは止まらない。


「個人の幸福を求めた結果、他人に迷惑をかけたらどうするのかと考える奴もいるだろう、 だが安心してほしい! 『平和の素』が全国民に渡れば、迷惑をかけられた人間も“他人に迷惑をかけられた”と言うことが認識できなくなる! 本能のまま、欲望のままに生きた結果、何かを屠ってしまったとしても、それは仕方のないことだ。餌を求めて野山を駆け回る狼に対して、「草や花にも命があるのに踏み潰すなんて、酷いことだ」なんて言う馬鹿はいないだろ? 同じこと、同じことさ! 」


 タバコが短くなってきた。胸ポケットを探る。オリーブを咥えた鳩がプリントされた紺色のパッケージ。中身はもう残っていなかった。


「他者への興味がなくなるということは、なぜ、どうしてという疑問を得る機会が極端に少なくなる。そうすると人類の進化はひどく停滞するだろうな。恋愛なんて言葉は消滅してしまうかもしれない。そうすると生殖の機会は極端に失われるのかな? それとも本能には次の世代を遺すためのプログラムが強く残っていて、誰彼構わず性行為をするようになるかもしれない。まあどうでもいいことだ。僕には興味がない」


 彼は喋り続ける。私は少し離れたところにあった灰皿を、指で引っ掛けて引き寄せた。いつだったか目の前の男が笑いながら見せてきたものだ。「見てくれ僕の友人よ! これって刑事ドラマの殺人のシーンで凶器に使われるタイプのでかい灰皿だぜ! 感動して買ってしまった! あ、僕はタバコを吸わないから君が使ってくれ給え」そう言って可笑しげに笑っていた彼の姿が、頭の片隅に浮かんだ。

 

「興味がない、どうだっていい、僕がやりたいことはこの世界を平和にすること、あの薬を使うこと。……使う、使う? 誰に? ……誰? 誰とは、何? なに、ぼくは、ぼくの、ぼくがやりたいこと? ぼく、ぼく、ぼくは、ぼくが、ぼくの、やりたかったことは、なに」


「興味ないわ」


 灰皿を振りかぶった、目の前の男に振り落とした。他に対する興味を失った男は、避ける素振りも見せなかった。

 男の頭蓋から、血が吹き出した。

「…………な、ん……で」

 何処を見てるんだか解らない虚ろな目をして、男はつぶやいた。


「単純に今のお前のこと、気に食わなかったから」


 男が動かなくなったのを見届けてから、私は手に持っていた灰皿を投げ捨てる。そして机の上に置いてあったカップラーメンの器と瓶を手にとってトイレへ向かった。乱暴に便座を押し上げてから、カップ麺の汁と錠剤とをぜんぶいっしょに水に流しす。環境に悪そうだな、とぼんやり思った。


 用は済んだので、玄関へ足を向ける。道中で男だった肉塊を跨いだ。焦げ臭さを感じてさっと床に眼をやれば、火を消し損ねたタバコがカーペットを焦がしているようだった。知ったことではない。


 スニーカーの紐を結ぶ。考えているのは明日のコンビニバイトのシフトのことだった。フリーターもお気楽に生きてはいられない。


「お邪魔しました」

 ばたん、とドアを閉めた。


 残されたのは、頭蓋の割れた男の死体と、玄関先で踏み潰されたばかりの、蟻の死骸だけだった。

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