49 話を交わして

「ねえ、縹悟」


 ある日の夕飯。あたしは聞いてみたいことがあって縹悟の名前を呼んだ。


 縹悟の態度はあの日からさして変わらないけど、あたしが話しかければ応えてはくれるようになっていた。


「なんだい?」


「あたし……縹悟の知ってる、母さんの話が聞きたい」


「…………」


 縹悟は箸を止める。少し口ごもってから、珍しく遠慮するような声を出した。


「それは……嫌じゃないのかい」


 あたしは思わず小さく笑ってしまう。


「あたしが聞きたいって言ってるのに、嫌なわけがないでしょ」


「それは……そうかもしれないが」


 縹悟が執着する、母さんのこと。まだこの一族の一員だったころの、母さんのこと。あたしは純粋に興味があった。


「その代わり、あたしは縹悟の知らない母さんの話をする。面白そうじゃない?」


「そう、だね。私もこの里を出てからの桑子さんのことには、興味がある」


「じゃあ決まり。縹悟から……話してくれる?」


「わかった」


 縹悟は遠くを見るように視線を虚空に向ける。


「桑子さんは、未来の宗主にふさわしい、強く、人を惹きつける女性だった、ように見えた――」


 縹悟は語る。初めて会ったときから、母さんに惹かれたこと。いつも美しくて、強くて、孤高の存在のように思えたこと。


 自分が当主になったあかつきには、宗主となった母さんの後見人になって、一緒に里を守っていくのだと、楽しみにしていたこと。


「誰も、気付かなかったよ。桑子さんが、この一族を、口に出したくもないほど嫌っていた、なんてね」


「…………」


 ふつりと縹悟が言葉を切って、あたしはすぐには相槌が打てなかった。


 周囲の人をみんな騙しきって、全員の期待を裏切ってまで、里を出た母さんは、なにを思っていたんだろう。


「……さあ、次は君の番だ」


「う、ん」


 縹悟にうながされて、あたしも昔の記憶をたどる。


「あたしの知ってる母さんは、綺麗で、優しかった。父さんとも仲がよくて――」


 あたしは語る。母さんは父さんと仲がよくて、小さい頃のあたしも嫉妬するくらいだったこと。誰ひとり割って入れない絆が、ふたりにはあったこと。


 父さんが交通事故で死んでから、母さんは発作のように道壱一族に怯えるようになったこと。――今から思えば、犯人に心当たりがあったのかもしれない。


 それでもあたしを宝物のように愛してくれて、今でも感謝していること。


「最期には母さんは壊れてしまって、あたしも誰のことも、わからなくなってたけど」


「…………」


 縹悟も簡単な相槌は打たない。しん、と部屋が静かになった。


「……そもそも我々を裏切ったのが悪いのだと、言う人もいるのだろうね」


「……そう、かもしれない、ね」


「でも、桑子さんはこの里を出て、愛する人というかけがえのないものを手に入れたのだと、私にはわかるよ」


「……ありがとう」


 愛する人というかけがえのないもの。縹悟もそれが欲しいのだろうか。


 欲しくて、でも手に入らなくて。身代わりに連れてきたあたしを、どう思っているのだろう。


 そんなこと簡単には訊けなくて、そのあとも母さんの話をぽつぽつとしながら時間が過ぎていった。

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