07 つるばみ

 ――涼音。


 母さんの声が聞こえて、振り返った。


 背景がぼんやりした薄明るい空間。笑顔の母さんが、両手を広げてあたしが飛び込んでいくのを待っている。


 ――母さん!


 思いっきり飛びつくと、母さんはあたしを抱き上げてくれる。


 ――ねえ母さん、父さんの話聞かせて。


 ――父さんはね、母さんのことなんでもわかってくれるのよ。


 母さんはあたしの目の前で表情をほころばせる。


 ――でもそれは最初から全部わかってたって意味じゃないの。


 ――わからないことはわからないって、母さんに辛抱強く訊いてくれたおかげなのよ。


 母さんはあたしを下ろし、正座してぽんぽんと膝を叩く。あたしは母さんの膝枕に寝転んだ。


 ――だからね、可愛い涼音――。


 母さんはあたしの手を取ってその甲に口付ける。


 あたしはふと我に返った。


 母さんは普段、こんなことしない。これをするのは――。


 ぱちりと目を開けると、見慣れない天井があって、視界の端でつるばみがあたしの手の甲に口付けていた。膝枕をされている感覚がある。


「おはようございます。……お疲れ様でございました」


 つるばみは言いながら儚く微笑む。一瞬なにに対して「お疲れ様」と言われたのかわからなくて、でも、次の瞬間。


 肌に触れた大きな手の感触。痛くて、怖くて、涙が止まらなかった、夜。


 一気に蘇ってきて、呼吸が乱れる。悲鳴を上げたくなるのを、口を手で覆ってどうにかこらえた。


「……涼音様」


「っ、もう、大丈夫」


 しばらくしてから心配そうにかけられた声には、呼吸を整えてから応える。


 思い出さなければいい。大丈夫。心に鍵をかけるのには、慣れてるんだ。


 つるばみはまだ起きなくてもいいと言わんばかりに、膝枕したあたしの頭を撫でている。


「宗主様は朝食と昼食は別々に、と仰せになってお戻りになりました」


「……そう」


 あの人ともう少しの間顔を合わせなくてすむのはほっとするけど、そんな気遣いをするくらいなら、という気持ちもぬぐえない。


 つるばみはまだ頭を撫でている。


「あと、午後にはお客様がみえるそうですよ」


「……わかった」


 部屋にひきこもっている暇はないらしい。こんな日くらい、ひとりにしてほしいのに。


 あたしはのそりと起き上がる。今が何時だかわからないけど、お客が来るのなら支度をしないといけないだろう。


 ずしりと下腹部が重い。鈍痛がじりじりと焼けるようだ。


 それだけのことが、昨日の夜されたことをまた突きつけてくるようで、目が回りそうになる。


 ――この里に、あたしの味方なんていない。わかってる。わかってる、けど。


「つるばみ……」


「はい」


「怖、かった……!」


 あたしはすぐ横に座っていたつるばみに抱きついて、声を上げて泣いた。


 つるばみは驚いたようにされるがままになっていたけど、少ししてそうっと手を伸ばす。そして、あたしが泣きやむまで背中を優しく撫で続けてくれた。

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