願望 / 蟻酸

追手門学院大学文芸部

第1話

 『大人になりたいのなら子供、子供になりたいのなら大人』なんて言説があるけども、私はどうしたってそんな言葉を信じられない。高校に進学して一年と少し。二年生の夏、終業式のあとに私はそんなことを考えていた。

「またそんなこと言って。この前もなんか変なこと話していましたよね。なんでしたっけ──」

 『ナンバーワンよりもオンリーワン』って言葉があるけど、皆が皆オンリーワンになったら結局オンリーワン同士でナンバーワンを決めるだけだろうという話はした覚えがある。

「そうそうそれです」

 と、首肯するは私の大切なクラスメイト。自己評価の限り、最底辺に近しい私にも接してくれる素晴らしい人間だ。誰にも丁寧語で話すので距離を感じられやすいところが欠点だが。

 そんな彼女にひねくれた話をすることに対して、引け目を感じないわけではない。しかし人間誰しも愚痴を言いたくなるときがあるだろう。私にとってはこの屁理屈がそれに該当したというだけにすぎない。

「大人がどうとか子供がどうとか。今度はどんな風な文句をつけるつもりなのですか? 」

 文句とは心外である。世の中に蔓延する知った風な言葉に反感を覚えて、あれやこれや言っていることは認めよう。私が言っていることが世間知らずの小娘の屁理屈であることも薄々理解している。それでも、私の中では通っている理屈なのだ。

 端的に言うと『子供でいたい』って言っている私が、大人であるとは思えないのが問題であろうか。

 落ち着いて考えてもみてほしい。法律として子供でもあり、社会性や精神性も未熟である私はどう考えても子供である。この時点で矛盾しているのだ。

「なんだ、そんなことですか。相変わらずですね」

 こういう話をするのはさっき例に挙げたオンリーワン云々と今だけなのだが、目前の彼女にとっては、これも私が言いだしそうなことの一つに過ぎないのだろうか。確かにひねくれているという自負はあるので強く言い返せない。

「『子供になりたい』と『子供でいたい』。この二つの感情には大きな違いがあるんですよ。前者はそうなりたい、という変化を求める感情。後者はそうでいたい、という不変を求める感情。ほら、既に高校生になっている我々が『高校生になりたい』と言うのはおかしな話でしょう?」

 私がくだらない屁理屈をこねるのが得意だとすれば、それをぐうの音もでない正論で返してくるのが彼女だ。なるほど、と感嘆してしまった。『子供でいたい』なんて言っている時点で私は紛うことなき子供であったというわけだ。

 そうすると、当たり前のことを大げさに書いているということになる。人間は自分と異なるものにしか変身願望は抱けない。『早く人間になりたい』だなんて、妖怪人間たちにしか言えないではないか。

「『人間になりたい』とは言えませんが、『人間失格になりたい』とは言えますよ」

 それは言いたくない。私は太宰治になんてなりたくないからだ。

「歴史に名を遺す文豪に対して随分と強気ですね」

 決して太宰の人間性を否定しているわけではない。なりたくない理由は何度も心中に失敗していることにある。死を経験したことがないから想像に過ぎないが、死までの過程は酷く苦しいものであろう。その苦しみを乗り越えた先を目指しているというのに、道半ばで生に引き戻されるなど溜ったものではない。

 私はそんな風にはなりたくない。恥の少ない生涯だったなんて言えないが。

「でしたら『人間失格になりたい』なんて言えませんね」

 それでも『太宰治になりたくない』とは言ってやる。

「だったら何になりたいんですか?」

 『子供になりたいと言えるようになりたい』っていうのはどうかな。

「良い願望だと思いますよ。我々もいずれは大人にならないといけないんですから。ほら、もうそろそろ進路のこととか考えないといけませんし」

 言われるまで失念していた。進路希望調査票の提出が夏休みの課題として与えられているのだ。嫌なことを思いだしてしまった。忌まわしいあの紙きれを。

 どうにか夏休みのまま、そうでなくても高校生でいられないものだろうか。

「明日いきなり隕石が落ちてきて死にでもすれば叶いそうですね」

 宝くじの一等の方よりも低い確率のやつだそれ。

 いや、よく考えてみれば『宝くじの一等は隕石に当たるよりも低い確率』とかいう言葉もわけが分からないな。隕石が落ちてきたなんて話はめったに聞かないくせに宝くじの一等が当たる人間は年に何人もいる。

 絶対に宝くじの方の確率が高い。

「おや、新しい話題が見つかりましたか。でしたら今日はそろそろ帰って、夏休み明けに学校で会ってこの話の続きをしましょう。今日は午後に用事があるのでしょう? 」

 時計を見れば既に二時頃。長い別れが惜しいからと少し話し込みすぎたようだ。早く帰らないといけない。

「それでは、隕石に当たらなければまた会いましょうか」

 彼女の言葉を聞き、しばらくの別れを告げながら『隕石に当たりたくない』と、そう感じた。




あとがき


 花に嵐という例えがあります。物事にはとにかく邪魔がつきまとうことを表す言葉でして、なんとも洒落た言い回しに惚れたものです。私の場合、邪魔をするのは大抵が自分自身です。この話も春の出会いと別れをテーマにした話だったはずなのですが、伝えたいことを行ったり来たりしてカットや没を繰り返した結果、真夏の出来事になりました。夏であることを活かしたネタを仕込むつもりだったのに話が逸れてしまうのでそれすらも削った始末。そんなくだらない独白でした。

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