76話 前だけを見て

 イルクとフィーラはしばらく波打ち際を歩いてのち、兵士や通行人がいないタイミングを見計らって街道に戻った。


 深夜のため人通りは少ないがゼロではない。

 こんな時間に見かけるのはポートラヴィより北、国境近くの町や泥地でいちの浮島から夜通し歩いてやっとポートラヴィにたどり着いた者たちで、みんな汚れて疲れ切っている。海歩きで汚れた二人を不審に思う者はいない。ところどころにいる兵士も通行人を一人一人注視している様子もなく、海沿いの殺人事件がまだ発覚していないことが見て取れる。


 客を探す貸し切り馬車を見つけたが、事件発覚後に『ちょうどそんな時間にアウトサイドから立ち去ろうとする者を乗せた』のような証言をされてもよくない。そこらの貧乏旅人と同じように歩き続けるのがいちばん目立たない行動になるが、既にフィーラは疲れきっていてこのままニュータウンまで歩いて帰るという選択肢もない。結果、往路で馬車を降りた付近にある安宿に泊まった。ここまで誰もイルクとフィーラの様子を怪しむ者はいない。


 そうして昼過ぎまで休んで、宿屋を出る。

 離れた路上に兵士の一団が見えて肝を冷やした。が、別にこちらを見ているわけではない。野次馬に訊くと、どうやら別の宿屋でエレクファレリアの兵士が寝泊まりしていたらしく調査に来ていると。


 おそらく彼らの借りた部屋の荷物は兵士に全て運び出され、そのなかにはあの剣も入っているだろう。

 なんの力があるわけでもないただの剣。

 どうか適当に処分されますようにと、ただ祈る。




 ほぼ同時刻、クルーバールのリゾートホテル。

 クロケットは、なぜか見張りがぴりぴりしている気配を感じ取っていた。

 それはダムダラヴェーダに送り込んだファレルの加護者が突如命を落としたという情報のせいだったが、彼女が知るはずもなく、ただ不思議に思う。

 そんな謎の緊張感のなか、聖地の者から心話テレパシーが届いた。


『明日午前、お迎えの馬車がそちらに到着する予定ですので退室する準備をしておいてください』


 心話はエレクファレリア帝国側に傍受されている前提で、いつも無難なやりとりのみだ。今日のようなぴりぴりしている日は間違いなく聴かれているだろう。休みも終わりかーと名残惜しさを演出した返事をして話を終わらせた。


 今夜が勇者チームと会話ができる最後の機会かもしれないな、と思いつつ、クロケットは御用聞きのふりをした扉の向こうの見張りを呼びつけ、チェックアウトの手続きをしたいと告げた。




    ◇◇◇




 イルクとフィーラはその後も疑いの目を向けられることなく、堂々と馬車に乗ってニュータウンに帰り着いた。ヒューイは今日はおそらく泥地とニュータウンを繋ぐトンネルのどこかで一泊。リオはきっとイルクたちよりも先にオールドタウンの家に帰り着いているだろう。


 ニュータウンではアウトサイドの事件の噂など全く聞こえてこない。事情をざっと聞いたエリスとシャーリがただの散歩を装ってトンネル出口を見に行ったが警備が手厚くなっている様子もなかった。

 ニュータウン在住の者にエレクファレリア兵士暗殺の疑惑をかける気はまったくない。ヒューイの、犯人は泥地に逃げたと思わせる誘導が巧みだったお陰だ。


 夜になり、まもなくエレクファレリア兵士暗殺から一日が経過するというときクロケットがクリストファーの中にやってきた。いよいよ聖地に帰らないといけないと告げられたあと、イルクはクロケットを外に連れ出した。


 そして今、昨夜の出来事を伝え終わったところだ。


「なるほどね。エレクファレリアの奴らの様子がおかしかった理由がよくわかったよ」


 クロケットはずっとネズミの短い腕を組んだまま黙して聞いていて、最後に小さく頷いた。

 イルクは一連の出来事で唯一、クロケットにしかわからないことを問う。


「リオはあなたに暗殺を指示されたと受け取っていました。実際そうだったんですか?」

「うーんそうだね。正直、期待はした」


 そのとおりだと認める発言。イルクは反感を抱き、眉をひそめる。

 クロケットは肩をすくめてみせた。


「怒っているのかい?」

「怒ってないです。俺が不甲斐ないからこその今回の出来事です」

「それは違う。いや、そう取られても仕方ないか。謝るよ。本当にすまなかった」

「これリオが使う返しなんだけど、なにに謝られてるかわからないです」

「やっぱり怒ってるよね」


 いつも従順なイルクがかなりの不機嫌。

 これは軽薄な謝罪ではいけないと、クロケットは身体をまっすぐイルクに向けて頭を下げた。


「君を飛び越してリオくんに相談したことは私が間違っていた。ヒューイくんの、リーダーの君に全ての情報を集約すべきという考えが正しいし、それに応えてリオくんが君に全てを教えるべく行動したのも正しい。すまなかった」

「ヒューイやリオだけでなくあなたも俺を尊重してくれている結果だと思っています、が、あなたがあいつを気軽に動かしたことが不満なのは確かです。あいつを使いたいときはまずは俺に相談してほしい」

「彼を制御できるのは君だけだものね。心に刻むよ」

「制御とかでなくて、あいつは普段から無理しすぎなんです。これ以上の負担をかけたくない」

「そっちか。いや、そうだよね」


 そこでやっとクロケットは悟った。

 自分はリオを作戦遂行の切り札として扱っていて、イルクは大切な仲間として、その身を心配しているんだと。

 もういちどイルクに頭を下げる。


「反省する。私はついつい参謀として、君は物理の最強カード、リオくんはなんでもこなせる万能カード、エリスくんは優秀な防御カードなどと無機質に思ってしまうときがある。私自身も気付かないうちに冷淡な、血の通っていない指示をしてしまっているかもしれない。そう感じたらいつでも指摘してくれ」

「……わかりました。俺はクロケットさんのことは信頼しているし、感謝しています。これからもよろしくお願いします」

「こちらこそ信頼してくれてありがとう。全力を尽くすよ」


 クロケットは小さな手を差し出した。イルクは指にその手を乗せる。

 お互いの思いは伝わったのだからこれでわだかまりを感じるのは終わり。

 二人はゆっくり手を離す。

 

 多少の間ののち、イルクが問うた。


「クロケットさん。教えてほしいんだけど」

「ん、なんだい?」

「エレクファレリア皇帝は、俺に最初は『女帝を倒せ』と、次に『女帝が難しければ皇子だけでも』と言って、でも実のところは俺自体が女帝への謙譲物だったわけじゃないか。でも旅立たせたあとに子供を作らせてとかなんとか一貫性がなくないか? あちらの方針がわからない」

「そうだね……」


 クロケットは頷き、顔を上げてイルクを見る。


「私の予想でよければだけど」

「はい」

「神獣ファレルは勇者のことを正しく神殺しの存在だと理解している。だが皇帝以下、人間たちは勇者のことをちょっと憎悪をあおれば常人よりも攻撃力が強くなるくらいにしか考えていない。ファレルは手駒の人間たちにすら真実を隠している。それは勇者が神や自分たち神獣を殺せる大いなる存在だと知られたくないからだ。……ああいや、ちょっと違うな。ファレルに限らず――」


 クロケットは言い淀み、頭を横に振った。


「聖地の者という立場上言いづらいが、ディガード様も含めた神獣全てが勇者の真実を語りたくないんじゃないかな。周囲の人間に教えたくないとかでなく、勇者にその力を思い出してほしくなくて」

「勇者は自分たち神獣をも殺すかも、ということですか」

「神獣たちは、絶対の存在であるはずの神々が勇者に命からがら逃げ出すことしかできなかったことを知っている。それが恐ろしくて千年かけていい仕事を斡旋して褒め称えていい気分にさせてなんとか勇者を懐柔して、勇者含む人々から本当の役目の記憶を消すことができたと言えるのかも。もっとも神獣は勇者でなくても圧倒的な力さえあれば殺せるようだけどさ」

「それこそ道化、腫れ物扱いってことか」

「ああ、ヒューイくんの言った言葉か」

「後半はリオかな」

「二人とも口が悪いね」


 クロケットは苦笑いしたあと、仕切り直しのための咳払いをした。


「エレクファレリア皇帝その他人間たちは勇者の神殺しの力を知らない。神獣ファレルは知っている。女工作員が明かしたことは全て真実。これらが前提だ」

「はい」

「君が最初に『女帝を倒せ』と命じられたときは既に、勇者は生贄である方針。君は方針に一貫性がないと言ったが、旅しながら勇者の血を増やそうというのは最初からの方針だったと思うよ。下品な言いかたになるが君は生殖可能な年齢になってのち皇帝前に呼び出されているのだから。だから最初の命令のときはもう魅了なり洗脳なりの術者が勇者の仲間として用意されていたはずだ。でも君は逃げた。あちらもまさか世間知らずの少年が名誉の出征からさっさと逃げ出すとか思ってもなく、君は上手く雲隠れできたということだね」

「『女帝を倒せ』のほうが、本気ではなかったと」

「そういうことだ。君に気取られないよう本気っぽくしてただろうけどね」


 イルクの溜息。

 クロケットは一息つき、話を続ける。


「次の『皇子を倒せ』。君が雲隠れしたあと皇帝はリィゼノア殿下……もうノアくんでいいか、の存在を知って女帝のような存在が増えることに恐怖したんだと思うよ。女帝ひとりなら定期的にエサを与えていればいいが皇子はなにを求めるかわからない。だから年若いうちに刈り取っておきたいと。皇帝もファレルもノアくんが宮殿から出られないことを知らないから、もしかしたら勇者が宮殿にたどりついたとき庭でもうろうろしてたら運良く暗殺できるかも? くらいに軽薄に。まあここらへんは完全に私の想像だけど」

「ファレルはどうしてそれを許したんでしょうか」

「許すもなにも、ファレルにとっては面白いことするなあ程度だったんじゃない? まさか本当に神様が入ってるとか思わないし、もしかしたらファレル的には勇者の力で神様のヒナが死ねばラッキーなのかもしれないし」


 クロケットはおどけたように言うが、イルクにとっては笑える内容ではなく。

 そんな白けた空気にクロケットは「ほんとごめん」と小さく呟いた。


「ええと、だがつい最近、エレクファレリア宮殿が襲撃され、呪いが撒き散らされる事件が起きた。詳細どころか誰の仕業かすらも私たち解呪チームには明かされていないが襲撃犯は間違いなく女帝。彼女が言い出した休戦を破棄してまで。それだけ大きい原因は……ノアくんを暗殺しようとしていることが女帝にバレたくらいしか思いつかないんだ。女帝はノアくんを溺愛してるっていうもんね」

「命じられた俺は女帝に見つかっていないのに?」

「見どころのある一般冒険者や帝国兵士にも、皇子を殺せとか事前調査とか命じてたのかもね。わかんないけどさ」

「ああ、見つかって捕まって吐かされたってことか」


 イルクは少し思案して、問う。


「じゃあ今後は『皇子を倒せ』は撤回されるかな?」

「そうなって然るべきだけど、君に皇子を倒せと言った皇帝は今は廃人同然だ。撤回できる状態ではないかな……ああいや、ベインくんサミーナくんを動かしているのは以前と今回とで違う人物かもだ。エレクファレリア帝国内で正体を隠して仲間になるよう命じたのは皇帝で、ダムダラヴェーダ帝国内で正体を明かして仲間になるよう命じたのが別の人物」

「別の人物って?」

「皇太子の可能性が高い。私ら解呪チームを宮殿に呼びつけた人物だ」

「俺、皇太子は顔も名前も知らない」

「謁見の時に引き合わされていなければ面識はないよね。私もちゃんと交流したことはないが、皇帝よりは理知的な感じの人だよ。悪く言えばなんか企んでそうなタイプ」

「へえ……」

「もしかしたら工作員たちは撤回命令を持ってきていたかもしれないね。もしそれが文章だったらダムダラヴェーダの兵士に回収されてしまっているかも? そうすると勇者がダムダラヴェーダに侵入しているとバレるか、彼ら工作員が勇者パーティだと取られるか? さすがに後者は厳しいかな」

「撤回命令か。その次の指令はなんだったんだろう」

「あったとしてももう殺しちゃったからねえ。でもせいぜい待機命令とかじゃないかな? 休ませて、君を肉欲に溺れさせて子供をいっぱい作らせて、充分な人数を得たら待機命令は終わり。君は自ら闇の宮殿へと向かい、女帝に捧げられるってところ」

「酷い話だな」

「そうだね。しかしもう君には今現在のエレクファレリアからの命令は届いていない。縁が切れたんだ」


 クロケットはネズミの身体を仁王立ちさせて、言い切る。


「過去の恨み憎しみは忘れ、前だけ見て進もう。君たちの背後は聖地とレオングラード先王陛下とが必ず護る」

「……ありがとうございます。励みます」


 イルクは頭を下げた。

 クロケットは空を見上げ、星の位置を確認して言った。


「ではイルクくん。悪いがそろそろ本体に戻るよ。さっき言ったとおり、私は明日クルーバールのホテルを出るから、しばらく連絡が取れなくなるだろう。でもできるだけ早くイヤーカフを持って合流出来ればいいと思っているよ」

「待ってます。お気をつけて。もし聖地に戻って先王陛下に連絡できる機会があれば、俺たちは順調だから安心してと伝えてください」

「ああ、うけたまわった。じゃあね」


 そしてクリストファーは普通のネズミの表情に戻った。

 イルクは不思議そうにしているクリストファーを胸元に入れ、みなが待つ家に戻った。




    ◇◇◇




 翌朝、荷物をまとめ終わったクロケットは部屋から出てホテルの吹き抜けから下を見る。フロント前に聖地の制服の人間が数人見えた。


 とうとう帰還か。大荷物を持って降りるのは億劫だな。あいつらがここまで呼びに来るのを待つか。


 迎えの中に荷物を持たせてよさそうな者がいないか観察していると、一人が上を見上げクロケットに気付いて、にこっと笑った。


 なんで彼が!?


 驚いたが、同時に悟る。

 『彼』がわざわざこんなところまで来ているのに一緒に聖地に戻されるはずがない。


 やれやれ付き合うことになるのかな、彼の行き先がポートラヴィならいいな。


 面倒臭いといったようなことを思いつつも、クロケットの心は踊っていた。

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