第52話 腕の中に抱きすくめられて
……でも、この部屋では確かに寝られないわよね。ベッドは強盗犯を縛るのに使われてしまっているし、床で寝るしかなくなるわ。
せめてソファーでもあったらよかったんだけど。お金があったらソファーを買いたかったけれど、そこまでの予算はなかったから、将来のお楽しみと思っていたけれど……。
まさかこうなるとわかっていたら、多少無理をしてでもソファーを買うべきだったわ。
だけど、こんな時間から工房長の家を尋ねるなんてことも出来ないし……。
ここは素直に、レオンハルトさまの申し出に甘えさせてもらうことにした。
「……すみません、今日はお願いします。」
「わかった、さっそく行こうか。」
私は明日の着替えとパジャマを準備させてもらってから、レオンハルトさまと共にレオンハルトさまの家へと向かった。
「……おじゃまします。」
「どうぞ。むさ苦しいところだがな。」
相変わらず床に土塊がついている。結局あれから床を掃除していないのね。
泊めていただくお礼に明日掃除でも手伝おうかしら。いくら食事をするところはきれいとはいえ、室内に土を持ち込まないように、土塊を踏まないように歩くのも大変だわ。
「ちょうど風呂に入ろうと思って沸かしてあったんだ。先に入るか?気疲れしたろう。」
「そうですね……。お風呂で気持ちを落ち着かせたいです。ありがたくいただきます。」
着替えを持ってお風呂場に案内していただいた。レオンハルトさまの家のお風呂は沸かし直しの出来る魔道具付きのタイプだった。
「紅茶と料理以外じゃ、風呂が好きでな。
ここにだけは金をかけているんだ。」
とレオンハルトさまが笑った。
平民の家は、お風呂のないところも多いと聞くけれど、沸かし直しが出来るなんて、貴族の家でもそうそうない凄いものだわ。
従者がいるから、沸かしたお湯を従者が浴槽にためるのだ。冷めてきたら熱いお湯を足して使う。大浴場のある家には、そういう魔道具を設置していることもあるのよね。
ちなみにロイエンタール伯爵家には、大浴場にその沸かし直しの出来る魔道具を設置してあるけど、私が入る時には冷めても沸かし直しはしてもらえない。
私は割と熱めのお湯にゆっくりつかるのが好きだから、せっかくそういう魔道具があるのに……。と思わなくもなかったけれど。
私の家で捕り物をしていたから、少し冷めてしまったということで、レオンハルトさまが沸かし直しの方法を教えてくれる。
従者がやるものだから、家にあったけれど私はその使い方を知らないのよね。
初めて見る魔道具に興味津々で、実際に沸かし直しをやってみたりした。
「お湯が沸き直ったら、好きな温度でとめてくれ。使い方はこれでわかったかい?」
「はい、ありがとうございます。」
使い方が理解出来たので、さっそくお風呂をいただくことにした。ロイエンタール伯爵家では浴槽の中で体を洗ってもらうけれど、ここは浴槽の外で体を洗うらしい。
ロイエンタール伯爵家では、沸かし直したお湯がかけ流しで、獅子の顔をした、金で出来た出口の口から出て来て、汚れたお湯はすぐに従者がすくって捨てるやり方だ。
だけどこの家のお風呂は浴槽を直に循環させて温めるタイプらしかった。お湯を吸う穴があって温かいお湯が別の穴から出て来る。
私が浴槽で体を洗ってしまったら、次に入るレオンハルトさまが、汚れた浴槽に入ることになってしまうものね。
でも、体を温める前に体を洗うのは、工房長の家でもやったけれど、この季節は正直体が冷えるわね。お湯でふやかしてからのほうが、実際汚れが簡単に落ちるのだけど。
メッゲンドルファー子爵家では体を浴槽で温めてから、外で体をこすって洗うやり方だった。沸かし直しは出来ないけれど、家族が次々入るから、そこまで冷めることもない。
平民はお湯や水で体をこするだけのことも多いというから、浴槽で体を洗ったり、浴槽で体を温めてから洗う習慣がないのね。
ちなみに私の家のお風呂は、浴室内に置かれた猫足のバスタブで、当然沸かし直しをすることは出来ないけれど、1人だから浴槽で体を洗っても問題ないわねと思っていた。
結局まだ一度も自分の家でお風呂に入っていないわね。お湯を沸かして運ぶのは大変だから、早めにお風呂に入ろうと思った矢先に強盗に遭遇するとは思わなかったわ。
そんなことを考えながら、寒さに体を震わせながら、髪をまとめてタオルで巻き、濡れないようにして、浴槽の外で体を洗うと、浴槽のお湯で体を流して、湯船に浸かった。
沸かし直しのおかげで、ちょうどいい熱さが気持ちいい。お湯が減ってしまうから、今日は髪を洗うのは諦めた。
工房長の家では、大勢家族が入るから、お湯が減ったら足す為に、常に新しいお湯を沸かしているから、髪を洗っても大丈夫だよと言われたので、髪の毛も洗えたけれど。
今あるお湯を沸かし直しするからには、最初にお風呂にはった水以外、お湯を別に沸かして足すということはないだろう。
レオンハルトさまお一人なら、髪を洗ってもそこまでお湯は減らないだろうけど、私は髪が長いからそういうわけにもいかないわ。
沸かし直しが出来るのも良し悪しね。
それにしても、人さまの家でお風呂に入るのは、髪の毛を洗うことひとつとっても、とても気を使うわ。早くゆっくり自宅でお風呂につかりたいものね。
熱々の湯船に浸かる為に、沸かしておいたお湯をためるタライを、たくさん購入してあるのよね。風呂好きの私としては、それがあの家での1番の贅沢と言ってもいい。
ロイエンタール伯爵家では、熱いお風呂に浸かれなかったから、ゆっくりと熱いお風呂長く入るのが楽しみだったのよね。
その点、レオンハルトさまもお風呂好きというだけあって、ここの浴槽は手足を伸ばせる広さなのがとても素晴らしかった。このままうっかり寝てしまいそうなくらいだわ。
平民の家でこれはかなり贅沢よね。さすが元第1騎士団長といったところかしら。こんなものを手に入れられる財力があるのね。
ゆっくりとお風呂を堪能して、湯船から上がると、手早く体を拭いてパジャマに着替える。キッチンに戻ると、レオンハルトさまが紅茶を飲んで待ってくれていた。
「ずいぶんと長湯だったんだな。
うちの風呂は気にいったかい?」
「はい、とても素敵なお風呂でした。……ごめんなさい、ゆっくりし過ぎてしまって。」
「いや、別に構わないさ。風呂好き仲間が増えるのは嬉しいからな。」
そう言って笑ってくれる。
「風呂で汗をかいて喉が乾いただろう。冷たい飲み物と温かい飲み物、どちらがいい?」
「冷たい飲みものがあるんですか?
でしたら冷たいほうで……。」
「わかった。と言っても、濃いめに入れたフルーツティーを冷やすだけだがな。」
そう言って、イチゴを使ったフルーツティーを淹れてくれ、冷蔵庫から氷を出してきてフルーツティーを冷やしてくれた。
「少し時間が経ったら、イチゴを潰しながら飲んでくれ。じゃ、俺も風呂に入ってくる。
ベッドのある部屋は2階の右手の奥だ。」
「わかりました。ごゆっくり。」
冷蔵庫まであるのね。ますます貴族の家みたいだわ。氷を作れる冷蔵庫は、氷屋さんから氷を買って、氷が溶けるまで冷やすタイプじゃなく、これも魔道具ということになる。
かけるところにはお金をかけているのね。
意外と贅沢な家なんだわ。……あまりの廊下の汚さに、一見気が付かないけれど。
濃いめのフルーツティーを氷が冷やしてくれたところで、細長い柄のついたスプーンでイチゴを軽く潰してかき混ぜた。……うん、とっても美味しいわ。湯上がりに冷えた飲み物が飲めるなんて、とても贅沢ね。
私はフルーツティーを飲み干すと、流しでグラスを洗って、ふきんが見当たらなかったので洗い桶にひっくり返して伏せておき、2階の右手の奥の部屋を目指した。
ランプがないから、部屋の扉を開けていないと、ベッドの位置がわからない。ランプの在り処を聞いておくんだったわ。
とりあえず窓際にくっつけるようにして、ベッドが置いてあるのが見えた。それ以外の周囲の様子は暗くてよくわからなかった。
扉が閉まると完全に真っ暗になる。手探りをするようにソロソロと進み、しばらくするとベッドに手の先が触れた。掛け布団とブランケットが被せてあるのがわかった。
掛け布団とブランケットをめくって、ベッドに潜り込む。まだ温かな体は、ベッドに熱をうつして温めてくれた。段々とブランケットの中にこもった熱が、体を温めてくれる。
着替えと脱いだ服を入れた袋を、ベッドの脇の頭のすぐ真下あたりに置いた。朝どれだけ日の光が入るかわからないけれど、位置を覚えていれば着替えがすぐに探せる筈だ。
部屋の中に暖房がないから、寒くて寝られないかも知れないと心配したけれど、それは杞憂に終わりそうだった。──ウトウトとしだした頃に、部屋の扉が開いた音がした。
ミシミシ……、と小さく床が軋む音が聞こえて。だけどどうしても眠たかったから、そのまま眠りに落ちるままに目を閉じていた。
ギシ……と、ベッドが何かの重みでたわむように揺れて少し高さが下がったような感じがした。違和感を感じたのは、私より高い体温がパジャマ越しに肌に触れたからだった。
眠た過ぎてうまく開かない目を、なんとか薄目を開けて周囲を見渡すと、狭いベッドの上で横を向いて寝ていた私と、背中合わせにするようにベッドに入って来た人物がいた。
──レオンハルトさま!?……よね?
誰かが侵入でもしてこない限り。どうして私が寝ているベッドに入ってくるの?そして当たり前のように寝ようとしているの?
ベッドを貸してくれるというから、てっきりレオンハルトさまの家にはもう1つベッドがあるか、レオンハルトさまがソファーで寝るおつもりなのかしら、と思っていたのに。
狭いけどベッドを貸せる、というのは、レオンハルトさまと一緒に寝るから、狭い、という意味だったの!?嘘でしょう!?
そんなことってある!?
私より高い体温を、背中に感じる。お風呂から出たばかりというのもあるけれど、男の人は基本女性よりも体温が高いと思う。男の人独特の、熱いとすら感じる肌のぬくもり。
……そして、体がかたくて、より男性の体なのだと感じる。元騎士団長だけあって、イザークよりもしっかりと筋肉のついた体だ。
レオンハルトさまは私と同じ1つのベッドで寝ることに、なんの意識もないのかしら?
騎士団にいらした時は、こうして部下の人と同じベッドで寝ることもあったとか?
……だとしても、さすがに女性の部下とこうして寝ることはないと思うのだけれど。
私、ひょっとして、レオンハルトさまに女性として見られていないのかしら……。
いくらなんでも、付き合ってもいない男の方と、同じベッドで眠るだなんて……。しかも私はまだ離婚すらしていないというのに。
これは浮気になってしまうのかしら?
でも、私の体は既に半分眠りについていたから、このまま寝てはいけないと頭では思うのだけれど、瞼を閉じたくて仕方がない。
頭も瞼も重くて、強い眠気に抗えない。
駄目よ、このまま寝てはいけないわ……。起きなくちゃ……。起きて一言、レオンハルトさまに言わなくては駄目よ……。でも、眠い……。眠、くて……。もう無……理……。
私は気がつくとすっかり寝落ちしてしまっていて、目が覚めると、私に巻き付くように抱きしめて寝ているレオンハルトさまの腕の中で、パチッと目を覚ましたのだった。
意識がはっきりしたことで、より明確にレオンハルトさまのたくましい肌を感じる。
「レ、レオンハルトさま、起きて、起きてください。あの……。この状態はちょっと。」
レオンハルトさまを揺さぶって起こそうにも、しっかりと抱きしめられていて、身動きが取れず、私の腕は彼の腕の中だ。私はそうしてレオンハルトさまが目覚めるまで、ずっと彼に抱きしめられたままだったのだった。
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