第26話 レオンハルト様の手作りクッキー

 レオンハルト様がとっさに手綱から片手を離して、私が落馬しないように、後ろから抱きしめるようにして支えてくれる。

 馬の前を突然鳥が横切ったらしく、馬がそれに驚いたようだった。

「大丈夫か?」

「ええ……。」


 驚いたし怖かったのもあるけれど、レオンハルト様のたくましい胸に抱きすくめられたまま、耳元からバリトンボイスが響いて、私の体はこわばったように動けなくなった。

 レオンハルト様の体からは、ほんのりと爽やかな香りと体臭がした。


「近くに川がある。馬を休ませついでに、俺たちも少し休憩にしよう。」

「ええ……。」

 レオンハルト様は私が落馬しないように、後ろから抱きしめるようにして支えてくれていた腕を解くと、私を降ろして、近くの川辺で休ませてくれるようだった。


 馬から降りて、近くの川で馬に水を飲ませつつ、レオンハルト様は馬にくくりつけた荷袋から茶葉の小瓶と小袋を2つ取り出した。

 小さな魔道具のコンロでお湯を沸かしながら、草の上に皮で出来たシートを引いて、私にそこに座るよう、うながした。


「こんなところにまで、お茶を入れる道具を持参されたんですか?」

「遠征の際にもいつも飲むからな。」

 私に紅茶の入ったマグカップを渡してくれる。自宅にあった陶器の茶器と違って、割れない木のマグカップだ。


 紅茶はほっとする優しい味と暖かさで、馬が突然立ち上がった時の恐怖も、レオンハルト様に抱きすくめられたドキドキすらも、落ち着かせてくれるかのようだった。

「馬は疲れたか?」

「いえ……、大変だけど楽しいです。」

 私は素直にそう言った。


「ああ、そうだ。これを……。」

 レオンハルト様はそう言って、小袋の1つを私に手渡してくれた。

「俺が焼いたクッキーなんだ。

 よかったら食べてくれ。」

「レオンハルト様が作られたんですか!?

 ……ありがとうございます。」


「──意外か?」

 レオンハルト様は、自分の分の小袋から出したクッキーを一口かじると、イタズラっぽく笑いながら、私の目を見て言った。

 紅茶の趣味といい、確かに騎士様の趣味としては、かなり意外ね。この小袋も、とても可愛らしくてリボンまでついているし。


 私も一口かじって驚いた。

「美味しい……。」

「口に合って良かった。」

 嬉しい。甘いものは好きだけれど、1人でお菓子を食べる機会はあまりなかったから。

「レオンハルト様は、いつもこのようなものを召し上がってるのですか?」


「いや、普段はあまり食べないが、あんたが来ると言うからな。今日は特別にだ。

 作るのが好きなだけであって、食べるのはそんなに好きなわけじゃないからな。」

「──どうして私の為にわざわざ?」

「日頃外出もろくすっぽ出来ないんだろう?

 せっかく遠乗りに来たのに、絵を描くだけだなんて、味気ないからな。だから、一緒にお茶をするために作っておいたんだよ。」 


「……。ふふっ。」

 私の為にわざわざ、この大きな体でクッキーを焼いて、それを可愛らしくラッピングしているレオンハルト様を想像したら、なんだかおかしくて笑ってしまうわね。

「そんなにおかしいか?」

 レオンハルト様も笑っている。


 突然レオンハルト様が私の頬に手を伸ばすと、グイッと私の唇の脇を親指で拭って、私と目線を合わせながら、その指をペロリとなめたのだった。

 ──!!!!?

「ついてたぞ。案外そそっかしいんだな。」

 そう言って笑う姿がなんだか悩ましい。


 私が驚いて焦っていると、

「さて、そろそろ出発しよう。」

 と言って、シートと木のマグカップを片付けて、クッキーの入っていた小袋とともに荷袋にしまい、私を先に馬に乗せてから馬にまたがると、再び馬を走らせ始めた。


 私は動揺を悟られまいとしたのだけれど、どうにも顔が熱くて仕方がなかった。

 きっと赤くなってるに違いない。

 どうしよう、とても恥ずかしいわ……。

「さあ、ついたぞ、ここだ。」

「……すごく綺麗ですね……。」


 目の前に広がる美しい風景に私は思わず感嘆の声をあげる。こんなところに、本当に危険な魔物が出るというのだろうか?

 ただ魔物を描きに来ただけのつもりだったのに、こんな、まるでデートスポットのような素敵な場所に連れてこられるとは思わなかった。予想外過ぎて緊張してしまう。


「だろう?俺も初めて見た時は驚いたよ。」

 そこは一面の花畑だった。色とりどりの可憐な花々が咲き乱れている。

「すごい!こんなところがあるんですね!」

「ああ、ここは誰も知らない秘密の場所だ。

 ここに来るまでの道は遠いし、そもそも人が通るような場所じゃあないからな。」


「へぇ、じゃあ、レオンハルト様が見つけられたんですか?」

「ああ。たまたま魔物討伐の遠征時に、薬草を取りに森に入った時に偶然見つけたんだ。

 それ以来ずっと気に入って時々来ていたんだが、まさかあんたを連れてくることになるとは思わなかったよ」


「私もです。」

 魔物を描く為にこんなところまで来ることも、レオンハルト様に連れて来ていただくことも、この間までは想像もしていなかった。

 ここにいると、イザークとのことも、子どもが出来ないことも、嫌なことなんて何もかも忘れてしまいそうに思える。


「嫌なこと全部、忘れられそうです。連れて来ていただいてありがとうございます。」

 それくらい幻想的な場所だった。

「そうか……。」

 私たちはしばらく無言のまま、景色を見つめてその場に佇んでいた。


「──あの、レオンハルト様。」

「何だ?」

「先程から何も出てこないのですが、こんなところに、本当に魔物なんているのですか?

 もちろん魔物がたくさんいるような、危険な場所に連れて行っていただきたいわけではないですが、さすがにいなさ過ぎて……。」


「ああ。いるだろう、そこに。」

「──?」

 レオンハルト様がニヤリとしながら指差す先に目を凝らすと、

「きゃあっ!」

 私の膝くらいまでの大きさをした可愛らしい黄色いトカゲのような生き物がいた。


 周囲の黄色い花々に擬態するかのように、丸まって目を閉じて寝ている姿は、とても凶暴には見えないが、まごうことなきドラゴンの子どもだった。ドラゴンの子どもがいるということは、周囲に親がいるということにほかならない。危険の少ない場所ということだったのに、私は嘘をつかれたの!?


「なっ……!何でこんなところにドラゴンがいるんですか!?しかも子供ですよね?

 ひょっとしてこの近くに、ドラゴンの巣窟があるのですか!?」

 私は驚いてついつい大きな声を出してしまって、「静かにしろ。メルティドラゴンの子どもが怯えるだろう。」と、レオンハルト様に小声で叱られてしまった。


 慌てて口を押さえると、ちらりと一瞬片目を開けてこちらを見て、少しこちらを警戒してはいるものの、怯えた様子のない小さなドラゴンを見て少しだけホッとした。

「あれはメルティドラゴンの子どもだ。

 ここには親はいない。魔物討伐の遠征に来たときに、この場所を見つけたと言っただろう?その時に退治されちまってな。」


「えぇっ!?

 ドラゴンを倒されたんですか!?」

 私は思わずもう一度叫んだ。するとまたもやレオンハルト様に睨まれてしまった。

「……すみません。でも、だって、ドラゴンってとても大きいものではないのですか?

 それを倒すだなんて……。」


 私がそう尋ねると、レオンハルト様が不思議そうな顔をした。

「ドラゴンくらい、何度も倒したことがあるぞ?第一騎士団ともなると、そのくらい出来る奴じゃないと入れないからな。」

「そ、そうなんですね……。」

 想像以上にレオンハルト様は強いみたい。


「それに、俺も詳しいことは知らないが、メルティドラゴンは、ドラゴンの中でも小さい方だと聞いたことがある。まあ、その分凶暴性は低いし、本来なら人間を襲ってくることもないんだ。あんな風に擬態して、戦闘を避ける傾向にあるからな。だが、相手から攻撃された時と食べ物が少ない時は別だ。」


「食べ物が少なかったんですか?」

「いや。様々な色に変化出来る、メルティドラゴンの皮は高値で取引されていてな。冒険者たちがクエストで素材目的に討伐しようとして、失敗して凶暴にさせちまったんだ。

 ちょうどSランク冒険者が出払ってたもんで、近場の第一騎士団に、冒険者ギルドから救援要請があったってわけだ。」


 私はゴクリとつばを飲み込んだ。

「怒らせると怖いってことですね……。」

「子どもとはいえドラゴンだからな。

 まあそう思っておいたほうがいい。

 だが、あの子はだいじょうぶだ。

 俺が時々様子を見に来ているが、すっかり俺に慣れて撫でることすら出来るからな。」


「じゃあ、このままここで、あの子の絵を描いてもだいじょうぶでしょうか?」

「ああ、だいじょうぶだろう。」

 私は馬に近付いて、荷袋から画材を取り出すと、早速イーゼルを立ててキャンバスを置き、木の折りたたみ椅子を広げて、メルティドラゴンの子どもの観察を始めた。


 メルティドラゴンの子どもは、レオンハルト様なら撫でることが出来るそうだけど、私には警戒しているのか、時折私の方をチラリと見るだけで、まったく近づいて来ようとはしない。それにしても、ドラゴンってあんなに可愛らしいものなの?くるんと丸まった角に、攻撃性の低さを感じさせられる。


 丸まって寝ている姿なんて、まるでウロコのある猫みたいだわ。周囲の花々と同じ色だから、まるでおとぎ話に出て来る、妖精みたいな生き物かのようにも思う。

 そういえば、ドラゴンといえば、火を吐くイメージがあるけれど、この子はどうなの?


「レオンハルト様、メルティドラゴンの子は炎を吐いたりするんですか?」

 メルティドラゴンの子どもの絵を描きながら、後ろで安全を確保する為、帯刀して見守ってくれているレオンハルト様にたずねる。

「そうだな、個体によって違うが、基本的にドラゴンはブレスを吐くことが多い。」


「じゃあ、あの子も炎を吐くのですか?」

「ああ。親がブレスを吐くからな。ドラゴンは小さい頃から親と同じ性質を持つ。」

 レオンハルト様はこともなげに言う。

「危なくはないんですか?親を討伐する際、この辺りの木々に燃え移ったりはしませんでしたか?……けど、その割に近くの森の木々が無事なような……?」


 私は周囲を見渡しながら言った。花はともかく、木々が燃えたら、いくらなんでも痕跡が残る筈だ。燃え残った切り株だとか、自然には再生しきれない火事の爪痕が、森のあちらこちらに残っていないとおかしいのだ。

 だけどこの花畑も近くの森の木々も、どこまで見渡しても、夢のように美しかった。

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