第18話 引退した元第一騎士団長

 だけどなんとかして魔物の絵を描くという選択肢しか、この時の私にはないと思っていたから、私はすぐには納得出来なかった。

「奥様、それでしたら、この村に元騎士団長が住んでいるんですが、彼に相談してみてはいかがですか?怪我で引退して、故郷の村に戻ってはきましたが、腕は確かです。」

「──騎士団長?」


「はい、元王国の第一騎士団長です。怪我で引退して療養されてはいますが、魔物討伐の演習を何度も指揮されている方です。

 果たして奥様の言う、魔物の絵を近距離で描くなんてことが現実的であるのか、専門家の話を聞いてみてはいかがでしょうか?

 彼が奥様を守りきれると保証するのであれば、僕も何も言いません。」


「それは確かに……そうね……。」

 元とはいえ第一騎士団長、怪我で療養中とはいえ、最前線で戦ってらした方だもの。その方の言葉ならそれが真実というものだわ。

「ヨハン、私にその方を紹介してくださらない?会って話が聞いてみたいの。」

「わかりました。家にいると思いますから、これからたずねてみましょう。」


 そう言ってヨハンは立ち上がろうとする。

「──仕事はいいの?」

「今日は夕方まで届け物はありませんから、畑に行こうかと思っていた程度です。問題ありませんよ。それより奥様をこのままお帰ししたら、どうしても絵を描きたい気持ちがおさえられずに、騎士団長に話を聞く前に魔物のところに行ってしまいそうですからね。」


 ヨハンもなにげに私のことを分かっているわよね。私が顔に出すぎるだけなのかも知れないけれど。たまに会うだけのヨハンですら私を理解しているというのにね……。

 私は一瞬イザークのことが頭に浮かんで、それを頭を振って打ち消した。

「……お願いね、ヨハン。必ずやお嬢様を説得して戻って来てちょうだい。」


「──もちろんだよ、任せておいてくれ。」

 悲壮な表情のアンに送り出されて、私は決死の覚悟といった様子のヨハンと共に、急遽怪我で引退して療養中という、元王国騎士団第一騎士団長に会いに行くことになったのだった。私はまだ、2人とも大げさね、くらいに思っていたのだけれど、すぐにそれは打ち砕かれることとなった。


 元第一騎士団長の家は、私が借りようと思っていた家の、本当にすぐ近くにあった。すぐと言ってもアンの家がそうなように、隣の家までの距離はかなりあるけれど。ひどくオンボロで手入れも何もされていない感じで、掃除すらされていないのでは?と思う程にみすぼらしかった。剣を振るうことしかしてこなかったから、そういうことに気が回らないのかしら?洗濯物すら見当たらない。


 今日はとても天気がいいから、このあたりの家は、どこも庭に洗濯物を干している。

 かわりに虫干しされていると思わしき、書籍のたぐいや甲冑のようなものが置かれていた。引退してもそこは騎士様ということなのかしら。このぶんだと恐らくは独身なのだろう。ヨハンは生まれ故郷に戻って来たと言っていたけれど、家族はどうしたんだろうか?


 それにしても、あの甲冑といい分厚い本といい、かなりお高そうに見えるのだけれど、庭に置いて干しているなんて不用心ね。このあたりは知り合いばかりだから、泥棒なんて入らないのかしら?ヨハンのおかげで村が潤ってるみたいだし、外から泥棒が忍び込まないとも限らないと思うのだけれど。


 ヨハンがドアをノックすると、返事はなかった。まさか本や甲冑を虫干ししたまま外出しているのかしら?本当に不用心ね!

 すると頭の上から、

「──なんだヨハンか、どうした?今日は別に野菜を頼んだ覚えはなかった筈だがな。」

 癖になるようなバリトンボイスが降って来て、私はなんだか急に体が痺れた気がした。


 見上げると2階の窓のへりに腰掛けて、靴を履いたままの足をプランと出している、白い開襟シャツに、焦げ茶のテーパードパンツ姿で、茶色い髪に無精髭の、かなり体格のいい男性が、手にしていた読みかけの本をパタンと閉じながらこちらを見下ろしてきた。

 とんでもなく足が長く見えるのだけれど、テーパードパンツのおかげかしら?


 この方が元第一騎士団長様なのかしら。上から目線のはしで見張っていたから、書籍や甲冑を外に出していても平気だったのね。

「──よっ、と。」

 元第一騎士団長様は、窓のへりに読みかけの本を置いて、2階からそのまま地面に着地した。──え?家の鍵は?私は他人事ながらそれを見て焦ってしまった。


 それでどうやって家の中に戻るつもりなの?まさかよじ登るつもりなのだろうか。

 そんな風に思って元第一騎士団長様を見ていると、彼の瞳が緑色なことに気が付いた。

 王族以外で緑色の瞳を持つ人は、この国ではまあまあ珍しい。私をふくめ大抵の人が青い目をしている。髪は基本金髪で、それか茶色。まれにアルベルトのような黒髪と銀髪。


 茶色い目の人もたまにいるけれど、緑色の目はそれよりももっと少ない。だから緑色の目をしているというだけで、王族との縁戚関係を想像されたり、それを利用して詐欺を働く人もいるくらいだ。それくらい珍しい。だから王弟の子息であらせられるフェルディナンド様は金髪に緑色の瞳で、私の夫のイザークは、私と同じ金髪に青い目をしている。


「なんだい?そのお嬢ちゃんは。」

 と言った。私はお嬢ちゃんと言われる程の年齢ではないのだけれど、大人な元第一騎士団長様から見れば、私なんてまだまだ子どもということかしら。……それにしても色っぽい方だわ。フィッツェンハーゲン侯爵令息も艶のある男性だったけれど、この方のはなんていうか、こう……、なんだか見てはいけないもののような気持ちにさせられるのだ。


 騎士ってみんなこういう感じなのかしら?だとしたらだいふイメージが異なるわ。もっと無骨な感じを想像していたのに。無骨は無骨なのだけれど、素敵な殿方がご自分の美しさに無頓着なのは、なんだかとても男らしい感じがして、ああ、これが騎士というもの、騎士団長をつとめる程の方なのね、と思うくらいには、元第一騎士団長は魅力的な方だった。大人の男性に慣れていない私は、それがとても落ち着かなくて仕方がなかった。


「この方は、僕の取引先である、ロイエンタール伯爵家の伯爵夫人です。実はレオンハルトさんにお願いしたいことがありまして、一緒におうかがいした次第です。」

「──人妻?伯爵夫人が俺になんの用事だってんだ?ひょっとして護衛の依頼か?あんたんとこには専属の騎士はいねえのか?」


 そんなもの、嫁いでこの方、つけていただいたことなんてないわ。

 それにしても、レオンハルト様から人妻と言われると、なんだかいけない響きがするわね……。まあ、やがてそうは呼ばれなくなるだろうから、その時はまた、お嬢ちゃんとでも呼ばれるのかしら?


「実は、奥様は先日魔法絵師としての力を魔塔に認められたそうなんです。」

「へえ?このお嬢ちゃんがか。」

 ……やっぱりそうみたいね。

「その件でちょっと……。家の中に入らせていただいても?」

「ああ、別に構わねえぜ。」


 どうやって入るつもりなのかしら?と思っていると、レオンハルト様は普通に鍵のかかっていないドアをあけて、──どうぞ?むさ苦しいところだがな、と私たちを中に招待してくれた。家主が自宅にいるとはいえ、本当に不用心な方だわ。それとも、それくらいご自分の実力に自信がおありなのかしら。


 雨の日に帰宅してそのままにしているのだろうか、廊下の上にはレオンハルト様の靴跡と思わしき泥のついた足跡が、いくつも乾いてこびりついていて、それが更に上から踏まれて土が崩れていた。……ひょっとして掃除をまったくしないのかしら?

 リビングに通されると、私の隣にヨハン、向かいあった席にテーブルを挟んでレオンハルト様が座った。リビングは綺麗だった。


 意外なことに、レオンハルト様は、私たちにきちんとお茶を振る舞って下さった。それもかなり美味しかった。……この無頓着ぶりからは、本当に意外だわ。それとも騎士団勤めだと、こういうこともマナーとして教わるものなのかしら?そう思っていると、レオンハルト様はイタズラっぽく笑いながら、


「俺がこういうことをするのは意外か?」

 と私の目の奥を覗き込むように言った。

 私は思わずドキリとしてしまった。

「そうですね、失礼ながら……、かなり意外でした。お茶もそうですが、茶器もとても素晴らしいですわ。貴族の家に出てきたとしても、なんら遜色ないものです。」


「そいつは嬉しいな。俺の趣味なんだが、あまり男らしくないってんで、騎士団にいた時は散々からかわれたもんさ。」

 騎士団員が全員マナーとして覚えているわけじゃなく、レオンハルト様独自のものだったのね。確かに騎士様たちがお茶を入れる姿は想像出来ないわ。


「料理も得意なんだぜ?騎士団にいた頃は、遠征のメシはほとんど俺が作ってたもんさ。まあ、掃除は嫌いだがな。」

 ──まあ、そうなんでしょうね、と、美しい茶器の出てくる家としては、違和感のある室内を見回しながらそう思った。リビングにはホコリこそつもっていないものの、玄関やここに来るまでの廊下は凄まじかったもの。


 出来るだけ物を置かないようにしている様子がうかがえる。恐らくは掃除が面倒だからなのだろう。何も置かなければそのぶん掃除は楽だものね。テーブルや椅子をどかすだけで事足りるわ。キッチンとリビングが一体化している部屋なのだけれど、フライパンと鍋が1つずつ。それだけだった。


 それでいて、棚に置かれた茶器たちは美しく磨かれているのが、この距離からでもわかるほどだ。今私が使わせていただいている茶器も、茶しぶ1つない。洗うだけだと茶しぶがついて取れないのだと、昔アンが言っていた気がするわ。水で流してそのまま水を切って終了していそうな感じなのに、意外な繊細さだ。大切にしているものだと違うのね。


「それで?俺に頼みたいことってなんだ。」

 レオンハルト様が本題をうながしてくる。私の方を見て。私がヨハンの雇人の場合はこれが正しい。従者と重要な話をする場合は、従者がそれなりの地位にいた時だけだ。

「……奥様、僕から話しても?」

「任せるわ。」

 私の言葉にヨハンがコックリとうなずく。

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