第15話 未来からの助け

 フェルディナンド様が魔法でウンガー卿を捕縛する。いったい目の前で何が起こっているのだろう。私は混乱するばかりだった。

「私はお前の企みを知り、こちらにいらっしゃるフィリーネ嬢に、日にちを戻す絵を描いて貰ってやって来たのだ。もうすべて私にバレているのだ。大人しく観念したまえ。」


 私が絵を描いた?

 私はキョトンとしてフェルディナンド様が持っている、日付だけのカレンダーの絵を見た。確かに描いた記憶はないけれど、あのタッチは間違いなく私のものだった。

「フィリーネ嬢、──その契約書の裏面を確認してみるといい。驚くことだろう。」


 私はそう言われて、契約書をひっくり返すと、裏面にも文字があることに気が付いた。

「なんなのこれは……。──ただし保証書類作成料とは別にクサーヴァー・ウンガーに売却価格の5割を支払うものとする。またクサーヴァー・ウンガーに断りなく絵を売却した場合は、すべての権利をクサーヴァー・ウンガーに渡すものとする、ですって……!?」


「そうだ。この男は、召喚魔法、それどころか時間を戻す魔法までを生み出すことの出来るフィリーネ嬢の絵を狙い、私が出張に行っている間に、勝手にあなたに会って契約をしてしまったのだ。それを知った私は、あなたに日にちを巻き戻す絵を描いて貰い、ここまでやってきたというわけだ。」


 つまり未来の私はこの男に騙されて、お金を巻き上げられてしまったということなの?

 魔塔には許可なく中には入れない、王族ですら不可侵の領域。ましてや職員と面会の連絡をつける手段なんてものもない。誰かにこの男の悪事を訴えることも出来なければ、契約書の魔法による強制力まで存在する。


 私が絵を描かなければそれまでだけど、手数料を引かれて半分近くでも手元に残るのであれば、私は自立の為に絵を売ったことだろう。この男の手にお金が渡ることに納得がいかなくとも。私は契約書を握りしめて、迎えていたであろう暗雲の未来に歯噛みした。


 フェルディナンド様は私に向き直ると、

「安心してくれ。もう君に誰も危害を加えない。私がすべてうまくやるから。」

 と言ってくれた。そして──いきなり私を優しく抱きしめた。──!?????

「……君が無事で良かった……。」

「フェ、フェルディナンド様!?」


 困惑している私に、

「ああ、そうか、今のフィリーネ嬢は私を知らないんだったな。突然すまない。だが今少しこうさせてくれ。本当に心配したんだ。」

 フィリーネ嬢と呼ばれてドキリとする。貴族女性は夫や婚約者以外の男性に、許可することなく名前を呼ばれるなんてことはない。未来の私は既に伯爵夫人ではないのかしら?

「……。はい……。」


 そんな風にさみしげに言われては、強く拒絶も出来なかった。きっと未来のフェルディナンド様は、私の為に頑張ってくれたのだ。

「──これから私は未来に戻る。今の私は君を知らない。冷たくあしらうかも知れない。

 だけどこれだけは覚えておいてくれ。やがて私は君を愛する男の一人になるだろう。」


「──え?」

「何事ですか!?大きな音がしましたが!」

 突然バタンとドアがあき、さっきの女性職員を含めた多数の職員が部屋に入って来る。

「フェ、フェルディナンド様、人が……。」

「ファルケンベルク卿、……君はいったいこの女性になにを?」

「ああ、邪魔が入ってしまったか。」


 焦った様子の職員たちを前に、私から離れて悠然と立ち上がり、テーブルの上の契約書を男性職員に手渡した。

「私はクサーヴァー・ウンガーが、魔法絵師たちに詐欺の契約書を書かせ、搾取している事実を突き止めた。──この契約書を見て欲しい。これと同じものを多数の魔法絵師を騙して書かせていたのだ。」


「嘘だ!デタラメだ!──ムグッ!?」

 フェルディナンド様の魔法がウンガーの口を塞ぐ。フェルディナンド様は服の中から手紙を取りだして女性職員に手渡した。

「私は未来に戻らねばならない。これを明日戻って来る私に手渡して欲しい。騙された魔法絵師たちの名前の書かれたリストだ。私ならうまいことやる筈だ。」


 女性職員は、わかりましたとうなずいた。

「それと、これは新たな時間操作魔法の宿った絵だ。すぐに判定に移って欲しい。確認され次第、フィリーネ嬢名義の魔法使用権の権利証を作成し、契約を交わしてくれ。──これは革命だ。これから忙しくなるぞ。」

 そう言って私の描いた壁掛け時計の絵を別の職員に手渡した。


「過去の私が事態を把握し、魔法使用権の権利証、及び契約書が作成されるまでは時間がかかるだろう。また改めて呼び出させて貰うから、それまで自宅で待っていてくれフィリーネ嬢。必ず君にとって良きようにする。」

「はい、わかりました……。」


「──では私は戻る。」

 フェルディナンド様は、日にちのみが描かれた、カレンダーの魔法絵を右から左に撫でて、その姿を私たちの前から消した。

 他の職員たちが捕縛されたウンガーを連れて行き、ウンガーは裁判にかけられることになった。私は魔塔の職員たちに何度もお詫びをされて、自宅に帰ることとなった。


 私は魔塔の馬車でロイエンタール伯爵邸に戻る道中、ずっとフワフワした気分だった。

 私の描いた壁掛け時計の絵にかけられた魔法が、判定──魔法の再現性確認、及び術式把握の実験をするらしい──で効果を実証されたなら、新たな魔法の使用権利を毎月支払って貰えるのだという。大勢の人たちに公開する代わりに、使用権を徴収する。これも大切な魔塔の仕事の1つなのだそうだ。


 私、これで自立出来るんだわ……。

 そう思うと、喜びが溢れて止まらない。

 私はウキウキとロイエンタール伯爵邸に戻ると、メイクを落として貰うと新しい絵にとりかかり、お風呂に入ってメイドにタップリ磨いて貰ってから、久しぶりに穏やかな気持ちで就寝したのだった。


 次の日、私は工房長に会いに、工房に向かうことにした。近くなのだし、ついでにアンにも会いたいわね。私が家を出るかも知れないことも報告しなくちゃ。もしも引っ越すのであれば、アンの近くに住めないかしら?まったくの知り合いのいない土地はさすがに寂しいものね。ついでに家も探してみよう。


 ロイエンタール伯爵家の馬車で工房につくと、絵の具の代金の支払いの為にまいったのですが、工房長を呼んでいただけますか?とカウンターの従業員に頼んだ。

 しばらくすると奥から工房長がやって来てくれた。あの日のままの穏やかで優しい笑顔が、私を見るなり目を細めてこちらを見た。


 家族以外でこんなにも優しい目で見てくださる方なんて、アンとアンの母親以来だわ。

 お試し絵画教室で出会ったミリアムさんもとても優しい親しみを感じる笑顔の方だけれど、工房長の眼差しはなんというか、孫を心配する祖父のようというか、初めて出会った人という印象をはじめから持たなかった。


 間違いなく初対面の筈なのに、なぜこんなにも優しい目で見てくれるのだろうか?

 もちろん嫌な気持ちなどする筈もない。むしろとても会いたかった人に会えたような、そんな気持ちがしてホッとするのを感じる。

「お久しぶりです。ようやくお会いできましたね。いらしていただけてとても嬉しいですよ。あれから絵の方はいかがですか?」


「はい。楽しく毎日絵を描いております。

 それと私の描いた絵が、魔法絵として魔塔に認められることになりました。……全部、私に絵の具を貸して下さった、工房長のおかげです。私の絵が魔法絵だと、ひょっとしてはじめから気付かれていたのですか?」


 私はかねてからの疑問を工房長にぶつけてみた。なぜ私にあんなにも、絵を描くことをすすめてくれたのかが、不思議だったから。

「……ひとつは、あなたの絵がとても気に入ったからです。きちんと習った人には出せない色使いや構図、描いている人の心がにじみ出ているかのような優しい線に、この人にはもっと絵を楽しんで欲しいと思いました。」


 そんな風に思って下さっていたなんて。私のような拙い絵でも、工房長のように絵を見慣れた人には、そんなことまで分かってしまうのね。それはとても嬉しい言葉だった。

「──それと、それとは反対に、あなたの目がとても寂しそうでいらしたから、でしょうか。どこか救いを求めているかのような。」

 工房長の言葉にドキリとする。


「絵は人の心をなぐさめてくれるものです。

 ……あなたには絵が必要だと、私は勝手に思ってしまいました。だからどうしても、あなたに絵を描いて欲しかったのです。」

 魔石の粉末入りをお渡ししたのは、魔法絵を描くことが出来ると感じたからですけれどね、と言った。どこか孫を心配する祖父のような、工房長の眼差しの理由が分かった。


「……そうだったのですね……。

 でも、その通りです。私は救いを求めていました。そして工房長の目論見通り、私は絵に救って貰うことが出来ました。

 ──もしも私の絵が魔法絵でなかったとしても、私は一生絵を描き続けたと思います。あの日私に絵の具を貸して下さって、本当にありがとうございました。」


 私は改めて工房長にお礼を言うと、いつかお金をためてすべての絵の具を買い取らせて貰うつもりだということ、今お借りしている分は買い取らせていただきたいと話した。

 工房長は笑顔でお金を受け取ったあとで、

「──今日は何をお持ちになりますか?」

 と、魔石の粉末入りの絵の具の入った、木箱の蓋を開けて見せてくれた。私が買った分の絵の具の場所がぽっかりあいている。


 私は新たに描いていた絵を4つ、袋から取り出して工房長にお見せした。絵を見せたら貸してくれるという約束だったものね。

 だいぶ楽しんで描いているのが伝わってきますね。それにこの短期間で技術もだいぶ向上しておいでだ、と微笑んでくれた。工房長は絵の具を5つ貸してくれた。私はついでに絵を持ち運ぶ為の木箱もいくつか購入した。


 帰りは木箱に入れて絵を持ち帰る為だ。キャンバスはさすがに重たいので、代金だけ支払っておいて、後日アンの夫のヨハンに届けて貰えるよう頼んで欲しいとお願いした。

 工房長もヨハンの野菜を購入していて、日頃から付き合いがあるらしく、ああ、ヨハンさんね、とすぐにうなずいてくれた。

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