実験・観察ノ記録 ~一部、筆者の主観含む~
@iseyumo
【1】第三の場面「最後で最初の別れな出会い」
「カサツシは、生き残ることができたら、なにをしたいですか」
沈黙の中、彼女はこの世に生を受けてから初めて、世間話とやらを自ら切りだした。
「お。お前から質問してくるとは。…………。ふむ。今の俺の精神状態では難しい質問だ」
会話はキャッチボール。投げられたら返さないといけない。泡のように脆く破れやすいボールを壊さぬよう細心の注意を払って、彼はじっくりと答えを考える。
意する女性と心が触れ合ったと感じる。ただそれだけで悦を覚える思春期の少年のように、もう二十代も半ばをとうに過ぎている彼は、このやりとりそのものを楽しんでいた。
「そうだな。先ほど言った通り、俺の父が残した研究所が、辺境の森の中にある。暫く無心になって研究へ打ち込みたい。そこでなければできないことがあるのでな。十年近く、いつかはやろうやろうと思っているうちに、無為に過ごしてしまった。強いて言うなら、それが俺の夢だ」
「なるほど。立派です。さすがはカサツシ」
彼女は額縁に飾られた言葉を、自分なりに更に装飾させた上で贈る。それでも当たり障りのない返事であった。……だが、彼女はこれしか使えない。使えないように教育されてしまっているのだ。しかし彼はたったその二言の中に、彼女の表面に積って山となっている塵を払いのけて、本心を探し当てた。
「ではお返しだイフラ少尉……いや、お返しにメモリと呼んだ方がよろしいか。うむ、そうしよう。メモリ。もし生き残れたら、なにがしたい?」
「実観隊は軍にいなければ存在価値がありません」
「俺が悪かった。質問を変えよう。『イフラ=モシツ=メモリ少尉』でなくなったら?」
「そのときは身体で支払います」
「どちらの意味だコラ。事と次第によっては一から教育し直すぞ」
「ヒオビは言いました。この短い文には、『肉体を直接動かすことを仕事にする』という意味と、『貴方の子が産みたい』という意味の二つがあると」
「あの野郎……次に会うことがあったらぶん殴る。十四の子供に何を教えるか」
彼は脳裏に、部下とも友とも敵とも呼べぬ、ある人物が浮かんできた。いつもいつもふざけては、彼を怒らせた。そんなものですら、思い出というものは感傷に浸らせてしまうのだから、性質が悪いものだ。
「気を取り直そう。もう一度問うが、どちらの意味だ」
「どちらの意味も含めます。ですから敢えて、生のままに伝えました」
ハアと彼は頭を抱える。同年代ならともかく十四の小娘に言われて喜べることではない。
彼女は背筋を伸ばして、はっきりした口調で声を紡ぎ出す。
「『イフラ=モシツ=メモリ少尉』とは似ても似つかない全くの別人、『イフラ=モシツ=メモリ』。その子はきっと、喜び、怒り、悲しみ、泣き、笑い、美味しいものを食べるだけで嬉しくなったり、勘違いをすれば恥ずかしがるし、美しい芸術で揺り動かされ、そして時には――身近な男性に、恋の一つもするでしょう。恋とは、異性に全てを委ねたくなる想いのことだと聞きました。恋をした男性の前で良い女でありたくなる。そのために手段は選ばない。矛盾が矛盾ではない。恋をすることに恋焦がれる。そのように思うのが、『普通の少女』なのでしょう? ならば、夢はこの通りな少女です」
彼女は無表情であったが、その声に付随する熱を間近で感じておいて、虚言であると断定できる男がいたら……そんなもの、彼女のことなんか最初からどうでもいいのである。架空の話としているが、反語的な表現なのは明白。感情を持たぬはずの彼女が、ここまで細部に語っている。それらは、彼女という「個人」の想いに他ならない。
「……困った。俺は、俺の気持ちが一番わからない。ぐしゃぐしゃだ」
彼と彼女はあまりにも関係が複雑すぎる。歳も半端に離れている。娘とも、妹とも、部下とも、背中を預けられる者とも、どうとでも取ることができてしまう。
だが彼がどれほど誤魔化そうとも、彼女はたしかに――彼へ恋愛感情を抱いていた。
答えは出さないといけないか。彼とて女性経験はそれなりにあるが、それでも年端もいかない少女に思慕を寄せられる経験まではない。どうすればいいのか。
ゆっくりと、考える。
――しかしそういう時に限って、悪いことは起こるもの。数秒とて与えてくれやしない。
俄かに空気が変わる。独特な、内臓が締め付けられる感覚。
彼も彼女も言葉も出さず、現状の変化を読み取る。現状維持は最悪手。動かないといけない時が、ついに到来してしまった。
「答えを待つのも女の甲斐性だと、ヒオビから教わったことがあります。……ですからこれは尚更のこと。カサツシ。手をお出しになってください」
「なんだ? …………――――!」
彼女の意図が読めた。だがもう遅い。彼女は既に行動を開始していた。
「先に謝罪をします。申し訳ありません」
たかが指と指がちょこんと触れただけ。それなのに彼の身体は動きを停止する。
「如何なる理由があろうとも、カサツシ中佐を失うわけにはいきません。これは実観隊隊長としての使命です。そのためにこうして育てられてきたのです」
待て、イフラ少尉! 貴様、なにをするつもりだ! 死を選ぶのは悪手であるとあれほど教えたはずだ!
彼が自身のやろうとしたことも忘れ、状況も顧みずに叫ぼうとした言葉。しかし空気を震わせることはできず、ただ無として暗闇に紛れ込むだけであった。
「待つことは叶いません。ですが、答えは知りたい。すぐとは言いません。もしも結論が出たのなら……どこかにいる少女にでも、伝えておいてください」
これが、「彼女」が「彼女」であった、最後の時であった。
目を覚ました彼は、鈍る身体を自傷してまで勇気を奮い立たせる。彼女を探さなければ。
すぐに彼女の姿を見つけることはできた。「特筆することはない、現代となってはすっかり朽ち果ててしまった、見向きもされない単なる遺跡」に、彼女は立っていた。
「ここはレチクラのクネホファ遺跡だっけ。でもこの遺跡って別に観光地とかじゃなかったはずだし、なんでこんなとこにいるの私は。ってか、そもそも私ってのは誰なのよ? イフラ=モシツ=メモリって名前は覚えてるんだけど、それ以上がなあ。強い衝撃的なことが起きると記憶が飛ぶっていうけど、それに近いのかしら。……って、私が着てるの野戦服じゃん。身分証明とかないのかな、ドックタグとか。……なんもねえし。うーん、野戦服を着れるような立場の人間ってことは確かなんだろうけど。まさか仮装ってこともないだろうし」
彼は一瞬、彼女の身に如何ほどの災厄が襲いかかったのか理解することはできなかった。
「ねえそこの人」
彼女の瞳は、通行人に道を尋ねるようであった。
「…………」
「あれ、もしかして赤の他人だったりする? ……えっと、どうしよう、怒ってる? ご、ごめんなさい、なんか、わけわかんなくて。誰かに頼らないと、すっごく不安で。あなたの格好って変だけど、でも……なんか、信頼はできそうで」
そう言った彼女は、自らの身体を強く抱きしめた。その小さな肩が、微かに震えている。
それもそうだ。『普通の少女』ならば。理解できない状況になんの説明もなしに置き去りにされてしまったら……それを、怖いと感じるだろう。
記憶、喪失。
当たり前の幸福を手に入れるために、彼女は自らの持つ能力を使い、そしてこの環境を作り出したのか。そのために必要な覚悟を、彼女は小さな身体のどこに仕舞いこんでいたのだろう。彼女が初めて露わにした感情の吐露は、彼の涙腺に直接ぶつかった。もう二十年近く泣いていないのに。たかが、一人の女がいなくなったくらいで。
「ああ。よく知ってるよ。それどころか、お前の上官だった」
「本当? じゃあ、あなたに従えばいい?」
「残念だな。俺はもう軍人を辞めた。今日からは、しがない研究員だ。俺とお前は、もう関係ない。じゃあな」
ひらひらと手を振りながら、少女と別れるフリをする。
「ちょちょ、待ってよ! こんなところに置いてくのは酷いんじゃない」
「悪かったな。俺はもう中佐なんかではない。お前の命令権など持たない。だからお前の運命を決められないんだよ」
「だったら、さあ! 私を、私を助手にでもすればいいじゃない!? そうすればほら、あなたに付いてく理由ができるもん! あ、結構それもいいかも!」
「ほほう。言ったな?」
「ぐっ、なんか嫌な予感が」
「タダ飯など食わせん。身体で支払ってもらう。それにお前は昔、そのようなことを言ったんだ。俺はお前と違って物覚えがいいんでな。俺を選んだお前の責任だからな?」
うわ~、と頭を抱えた彼女は、うんうんと何度もうめき声を出したかと思うと、
「――ま、いっかそれでも。うん、それでもいい気がしてきた。この人は意地悪なこと言っても、信頼してもいい感じがする」
彼の提案した雇用条件に、至極単純に同意した。
彼女が語っていた夢を、彼女自身が叶えるかのように。
どんな物事だって終わりを迎え、そしてこれからの始まりがある。彼がこれから、どんな未来を紡いでいくのか。
……そこはもう、少女の物語に花を添えるだけの、ちょっとした飾りでしかない。
・・・
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