神様の定食屋 微糖

@Talkstand_bungeibu

第1話

天は我々を見離した。

荒れ狂う吹雪が見える。レンズが前から向かってくる雪で白くなる。

あと2時間。あと2時間耐え抜くんだ。

遠間は自分自身へそう呟いた。

だが、遠間にとってもこの極寒は想定外だった。

キーボードを叩きながら今回の遭難の原因について、遠間は考えた。

まず第一がこの季節だ。

数か月前までなら、厚手のジャケットを羽織って通勤していた。

だが現在、遠間の体温を守ってくれるものは白いYシャツに薄手のベスト一枚である。

これではこの吹雪に対応はできない。

第二が自分のコミュニケーション能力の欠如だ。

エアコンを下げさせてもらう、たったこれだけのことでありながら、内気な性格が災いして声を上げることができない。

第三がこの布陣だ。

オフィスのクーラーのちょうど真下が自分の席なのである。

皆さんもご存じであろう、スイングという機能が冷房・暖房には存在する。ファンを前後に揺らすことで風を部屋の中にまんべんなくいきわたらせる機能だ。

だがこの部署ではスイングという機能を使用しているにもかかわらずまったく直の風が贈られる。

「席替えが・・・。席替えが社会人になってもあってくれたら」

そんな考えが浅はかなのはわかっていたが、しかし願わずにはいられなかった。

そして第四の原因。坂上の存在だ。

自分の斜め上に座っている坂上は3桁の大台になろうかという巨漢である。

彼の体重の相当量を占めるラードによって体温はいつも高く、相対的に室内の気温は下げられるというわけだ。

これら4つの要因が絡まりあい、遠間を襲っているというわけであった。


遠間は白銀の世界へ前のめりに倒れ込んだ。

もし仮に脳波をとっていたとしたら遠間の現在の脳波はかなり異常な状態にあることに気づくだろう。

寝たら死ぬ。よく知られた都市伝説であるが、睡眠は確かに死とよく似ている。そして何よりこの異様な眠気。これがさらにストレスを注ぐのだ。


遠間の異様な眠気は、生活習慣の乱れだけが原因ではなかった。

彼が朝飲んでいた花粉用の薬。

これに含まれたヒスタミン剤の副作用が異様な眠気をそそぐのである。

「あきらめるな・・・。必ず助けはくる」

遠間はそう思い希望を待ち望んだ。だがパンドラの箱に最後に残った災厄こそが希望なのである。

今が11時20分。昼休憩が12時からだ。その時こそがターニングポイントだ。

オフィスを離れ、昼食をとる。

炭水化物は即エネルギー、そして熱へと変わる。

この熱量を利用するにこしたことはない。

店は近所の定食屋、和食 なかむら食堂。ここの豚汁定食に決まりだ。

炭水化物と同時に汁物を入れることで体の内側から温まることができる。

問題はそのあとだ。いくら温かい食事をとったとしても、それだけでは心もとない。

羽織ものを近所で揃える必要がある。まず考えられるのが駅前のユニクロ。

だが懸念事項が費用面だ。給料日前で正直金銭的に不安な部分はある。

正直不要な出費は控えたいところだ。

だがしかし、その数千円をケチってこの冷風を直で浴び続けるとどうなるだろうか。

猛吹雪からくる体温の低下、凍傷、寒さによる異常行動、凍死・・・。

それは絶対に避けなければいけない。

が、しかし。一時間で戻ることができるかという問題もある。

時間・費用などのことを考えるとデメリットが多すぎた。

どうするか・・・。

考えるになかむら食堂は11時から14時まで。12時は周囲のサラリーマンたちが集まり、一番にぎわっている時間帯だ。

店につくのが10分、食べ終わるのが15分間だとして、ゆうに半分時間を消化している。さらにいえばユニクロはなかむら食堂とは逆方向に位置している。急いだとしても時間ギリギリであろう。

10分前には職場についていたい自分にとってはかなりリスクある計画だと思わざるを得ない。

悩ましい。悩ましいが、ここは耐えるしかないだろう。

くそっ。これもすべて自分の準備不足が原因と言わざるを得ない。


膝まで雪につかり、肩を震わせる。

昼休憩まで残り5分。この5分が長い。

時間の概念について何周にも思いを巡らせるほど。

まぶたをぱりぱりに凍らせ、ただひたすらに時が流れるのを待つ。


オフィス街にも日光は降り注ぐ。

特に春へと切り替わる季節であればこそ。

急激な温度の変化に自律神経をやられそうになりながら、極寒の地から抜け出す。

本来なら凍傷を防ぐため、まず水、続いてお湯へと体をつけるのが正しいやり方だがいかんせん身を預ける場がない。

仕方なく定食屋へ直行する。周囲は一気に人であふれかえる。

このままじゃ混雑が予想される。ギアを徒歩から競歩へと一段上げる。


案の定だった。

不快指数は90〜110%あたりだろうか。一列に並び歩いていく。客はやはり30代〜50代の会社員が多い。

水を注ぐ段階で再びミスを犯す。

(氷水だったか…)

水・氷水・氷のみの設定になっているらしく、デフォルトが氷水になっているようだった。

遠間は普段から水のみを選ぶようにしていた。飲むと同時に細かい氷が入ってくる感触が好きではなかったのだ。

おまけに今日は凍死寸前の様相である。

(焦るな…。ここから巻き返しを図れ。まだあわてるような時間じゃない)


ここの定食はA定、B定、C定の三種類。内容は機関によって変わる。それ以外に欲しいものがあれば途中の棚から取るというシステムだ。

遠間は豚汁のメニュー、A定に追加で唐揚げのみぞれおろしを手に取る。

正直このメニューの為にこの店を選ぶと言っても過言ではない。唐揚げに大根おろしがかかった、それもただの大根おろしではない。その内容量の80%にまで並々注がれたそれは科学的に見れば液体、さらにいえばゲルと言っても過言ではない。唐揚げの油っこさを大根おろしが洗い流す。

これ一つではメインとしては心持たないがサイドとしてはこれ以上心強いものはいないだろう。

本田圭佑に対する内田篤人、黒澤に対する三船。そんな存在が必要になってくるのだ。

いい。非常にいいぞ。

朝からマイナス50度の世界へと放り込まれてしまったが、ここから挽回だ。

さぁ、理想の朝食へ…。



「A定、冷やし中華ですね」

…冷やし中華!?

「…あ、あの、豚汁じゃなかったでしたっけ?」

「5月から変わってますよ。ホワイトボード書いてますけど」

最大の誤算。数ヶ月前までメニューが変わらなかったばかりにホワイトボードを見落としていた。

「注文変えられます?」

店員がめんどくさそうな顔で見ている。既に後ろの客は長蛇の列と化していた。

変えようにも他のメニューがなんなのかわからないのだ。

「あ、大丈夫です…」


差し出された冷やし中華にタイトルをつけるとするなら「ブルーマンデー」であった。

ごまだれではなく甘酸っぱいタレ、きゅうりとハムという具材、蛇足と言わざるを得ないさくらんぼが侵略戦争の国旗の如く鎮座していた。

なぜだ…。なぜ俺がこんな目に…。

お客様は…お客様は神様じゃないのか…。

冷やし中華はまるで減る様子がなかった。


遠くでカラスが鳴いた。そんな気がした。

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