第7話
翌日の放課後、またしても凉水は部活を休んで編纂部に出向くと、祠に紙を置いた人物が判明していた。
二年の田中光二、吹奏楽部員らしい。
「ほんとにその人が呪いの犯人なんですか。栄川先輩と学年も部活違うし、接点がなければ呪う理由もないような気がするんだけど」
私の疑問に、結愛先輩が反応した。
「そんなことない。会ったことも話したこともないのに、私なんて二年の女子から恨まれてる。女の敵は女」
おいたわしや、結愛先輩……。
「結愛先輩……。私は先輩の味方です!」
少しでも慰めたくて結愛先輩に抱き付くと、いい匂いがしゅる。
そんな凉水と結愛先輩の寸劇を前に、静太君はいつもの苦笑を浮かべつつ立ち上がった。
「手掛かりは紙と墨だよね。うちでも使ってるから分かるけど紙は半紙を短冊に切ったもの。そして朱い墨。本人が用意したのかもしれないけど、クラスメイトに書道部員がいたから最近朱い墨を借りに来た人がいるか聞いたんだ」
静太君は、先日斉藤さんが置いていった短冊を机から取り上げた。その様子はどこか得意そうでもあり、楽しそうであり、この数日の中で
「なんかあっさり犯人見つかってつまんないね、すずみん」
結愛先輩は退屈そうに呟く。
「その田中さんも、まさか短冊から犯人捜しをされるとは思っていなかったのが敗因ですかね」
「つかえないヤツ」
なぜか気落ちしてる結愛先輩とは対照的に、静太君の口振りは熱を帯びる。
「斉藤さんが短冊を見つける前日の放課後、突然顔を出して一筆書かせて欲しいと頼んできたのが田中さん。書道部は五人しかいない零細部だから入部希望者かもしれないと丁重にお出迎えして部室の一角で書かせてあげたって言うんだ」
「書道部の人、入部してもらえなくて残念ですね」
「私がいたら速攻で落として入部させてた。すずみんのように」
「そうかも……って私編纂部に入ってないですよ?」
「さて、僕は雑木林で証拠品を捜してくるよ」
私の発言をスルーした静太君は、妙なことを言いだした。捜すような証拠品なんてあっただろうか。
「それで先輩と凉水さんには、今から田中さんに事情聴取を頼むよ」
「事情聴取って、まさか栄川先輩をなんで呪ったんですか? って直接本人に訊けとか言わないよね」
「それでも構わないよ。直接訊いた方が誤解がなくて早いからね」
「逆恨みされて、私が呪われたらどうするんですか!」
「僕の考えじゃ、たぶんそんなことにはならないよ」
たぶんじゃ困る。
「結愛先輩は、それでいいんですか」
「やだ。行きたくない」
「ほら、結愛先輩も嫌がってますよ。逆上されて殴られたりしたらどうするんですか。私が守るにしても限度があるのに」
「僕は二年の男子からは親の敵みたいに恨まれているんだよね、先輩のおかげで。逆に先輩が行けば田中先輩も乱暴なことなんてできないよ」
恨まれているとは、やっぱり結愛先輩と付き合っているからなんだろうか。それはそれで、静太君が少し気の毒に思っていると、
「先輩、お願いします」
静太君が頭を下げた。結愛先輩と言えば、何とも形容しがたい複雑な表情を浮かべているのだった。
吹奏楽部は第二体育館の外側で練習しているとのことで、凉水と結愛は軽い足取りで向かう。
渡り廊下から見える第二体育館では、確かに楽器を練習している生徒の姿が遠目に確認できる。このまま一直線に行ってしまえばショートカットになるのだけど、上履きで地面に降りるのは行儀が悪い。凉水と結愛は第三校舎に戻ると第二校舎に入り、そこから第二体育館へ向かう正規ルートを選んだ。
そして凉水は知ることになる。
男子が結愛先輩に気付くと、芸能人でも見つけたみたいに熱っぽい視線を送ってくるのだ。付き添って歩く凉水は、さしずめマネージャーのような気持ちだったのは女子とすれ違うまでだった。
まだ何も知らない一年生はともかく、先輩であるお姉さま方は全員が結愛先輩に気付くと会話を止めて結愛先輩から露骨に目を逸らした。離れた距離にいる女子からは、惜しみなく睨まれる。
一緒に歩くだけで針のむしろとは、静太君が来ないのも理解できた。
第二体育館に着いた頃には凉水の肩身はすっかり狭くなり、足取りは重くなっていた。
「どこにいるのか訊いてみようか」
結愛先輩はクラリネットを練習している男子に近付くと、田中さんがどこに居るのか尋ねた。可哀想にその男子は顔を真っ赤にすると、しどろもどろになりながら教えてくれた。
「二年生は東側の方だって、行こ」
「はい」
それにしても事情聴取を嫌がっていたのに、一度外に出ると結愛先輩は率先して動いている。静太君はポンコツなんて評していたけど、考えてみればポンコツに入学できるほど州峰高校の受験は甘くない。まったく静太君は、結愛先輩に対して敬意が足りなすぎる。などと考えているうちに東側に回ると、
「あれが田中君だよ」
結愛先輩が指差す先には、縁なし眼鏡の男子が懸命にトランペットを吹くのが見えた。
「どーも、田中君。ちょっと聞きたいことあってきたんだ」
親しげに話しかける姿に、凉水は思わずはひっくり返りそうになった。
「先輩! 田中さんと知り合いだったんですか」
「クラスメイトだよ」
結愛先輩が結愛先輩じゃなかったら、激しい突っ込みを入れていた。
確かにこの人はポンコツだ。
「か、川乃さん! ど、どうしたの、き、聞きたいことってなに? 俺なにかしたっけ、ご、ごめんなさい」
田中さんはクラスメイトの結愛先輩の登場にあからさまな動揺を見せて、最後には声が裏返っていた。
しかし想像していた印象とはだいぶ違う。身長が高い田中さんは、運動部のように黒髪の短髪で、制服も着崩していない。顔立ちは幼いけども真面目さが感じ取れる純朴さがあって、栄川先輩を呪ったといわれても違和感が先に立つ。
「あのね……」
結愛先輩がずいっと前に出ると、田中さんを見上げる格好で近付いた。田中さんは逆に上半身を思いっきり反らして「な、なに」と答える。
「田中君、第三校舎の祠に短冊の紙を置いたよね」
オブラートに包まないのですか結愛先輩! いくら何でもストレート過ぎますよ。
「う、うん」
ああ、田中さんも素直に認めちゃってる。確定だ。こんな人畜無害な顔をして栄川先輩を呪うって、逆に動機が気になってきたよ。
「あれがね、他の人に見つかって、誰かが栄川先輩を呪ったって騒ぎになっちゃいそうなの」
結愛先輩はわざとなのか、オーバーな表現で伝えると田中さんが慌てた。
「の、呪い? 誰がそんなこと言ってんの。呪いじゃないよ、だってあれはッ」
結愛先輩に掴みかからんとする勢いに、凉水が慌てる。
「落ち着いて、田中君」
結愛先輩が右手を、田中さんの胸に置いた。
田中さんは案の定金縛り状態で、視線を泳がせている。
「この子の知り合いがね、栄川先輩が呪われているかもしれないって相談してきたの」
この子って私のことですか。事実とは違うけど、依頼者を教えてしまうのは守秘義務に反するので、口を挟まないで見守る。
「あれは呪いなんかじゃないよ」
田中さんは凉水の目を真っ直ぐに見据えて応えた。結愛先輩の目は見れないのに、私は平気なのかい。
「呪いじゃなければあれはなんなんですか! 祠に名前書いた短冊なんておかしいです」
思わず凉水も語気が強くなってしまう。そんな気迫に押されたのか、田中さんは萎れたようにうなだれた。
「こ、恋のおまじないだよお」
少し離れたところで鳴り続けるトロンボーンが一際大きく鳴った。
恋のおまじない? 恋? 田中さんは、高嶺の花である栄川先輩に恋してて、それでおまじないに頼ったというの。
いつの間にか緊張していた全身から力が抜けていくのを感じた。
「田中君、こっちを見て」
結愛先輩が呼ぶと、田中さんは恐る恐るという感じで結愛先輩と目を合わせる。
「そのおまじない、誰に教わったの?」
「……ッ」
一瞬、田中さんの体が震えたように見えた。それから目線をまた中空に漂わせ口を開けたり閉じたりする。
「お、俺の姉貴がここのOGなんだ。それで誕生日に好きな人の名前を書いて、誰にも見られないように祠に置くと両思いになれるって……」
「ありがとう、田中君」
結愛先輩が手を離すと、田中さんは拘束を解かれた罪人みたいに疲れ切っていた。
なんだか締め上げたみたいで、申し訳なく思う。
「あの、このことは誰にも言いません。すみませんでした」
「そういえば田中君、栄川先輩って彼氏いるんだって。ラブラブ」
私が頭を下げる隣で、結愛先輩がしれっと塩を塗る。
「うそおおお!」
この日、一番の大声が田中さんから放たれた。
というか、その件はバラしてよかったのかな。
「そっか、でも納得だな。栄川先輩なら彼氏がいてもおかしくないし、むしろいない方がおかしいよな」
「そ、そうですね。大学生の彼氏みたいですよ」
「くっ……」
「すみません、すみませんッ」
元気付けようと付け加えた一言は、田中さんを更に凹ませたみたいでほんとに申し訳ない。
「アハハ、まぁ最初から年下の俺じゃ勝負にならなかったか。いいんだ、ただの片思いだったし、どうにもならないと思っていたからおまじないに頼っただけだから」
頭を掻きながら私達にも気を使ってくれる田中さんは、なかなかに魅力的に見えた。
「大丈夫ですよ。田中先輩ならおまじないに頼らなくても彼女くらいできます!」
「そうだね。高嶺の花じゃなくて、次はもっと普通の娘を狙えばいけるよ」
結愛先輩もフォローしてくれる。
「そうですよ、栄川先輩みたいな美人なんて狙ったらいけないです」
「この娘くらいにすれば田中君ならすぐ落とせるから、頑張れ」
「私を引き合いに出さないでください!」
そのあとついでに聞かせてもらった田中さんのトランペットは、技術よりも熱量を感じる良い演奏だった。
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