残雪

小金千貫

残雪

私の名は平田残雪、一介の作家である。

作家とは言うがなんの大した事も無い、短い噺を数遍書いてはそこらの雑誌に送り、そして食い扶持を稼いでいる。

夏目氏や芥川氏のような所謂文豪と謳われるような者に比べれば路傍の石も同然な三流作家だ。

だが私はそんな自分が嫌いでは無かったし、むしろ好いてすらいた

元より大した物欲も無かった私だ、最低限の着る物に困らず、日々の食にも困らず、そして毎日の寝床や布団にも困らぬこの生活もまた好いていたのだ

そんな私ではあるがやはりこの身も人の端くれである。

最低限の衣食住しか保てぬ生活では無理もあるまいが、ある時に身体を壊してしまった。

旧知である医師の診断によれば生来弱かった心臓に病があるという、しかも普段の生活の悪さも祟りもはや手の付けようが無いらしい


「平田さん、こんなことは言いたか無いが私も仕事だ…恨まんでくれよ?

このままじゃアンタの余命は…保って3年と言ったところだろう」


普通ならば慌てるか理解出来ず呆然とするのであろうその言葉は私の心にストンと、まるで日々を過ごす中で交わす一言の挨拶でも言われたように落ちてきた。

私は父母はとうに他界し兄弟姉妹もいない天涯孤独の身、添い遂げる者も日々楽しみにする事も無い。

日々を黒と白二色に染まったような世界の中で、ただ惰性で日々を生きてきた私なのだ。

元より半ば死んでいるような生き方をしている私にすれば余命などその程度の物でしか無かったのだ。

それ故であろう、医師の勧めで遠く離れた宿で療養に努める事になっても私の胸中は穏やかであった。

大して纏める物も無い私物と大して使わず溜め込むばかりであった金銭を古ぼけた鞄に詰め込み下宿先を飛び出したのはそれから僅か数日、まだ雪の残る冬の日の事である。


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三日三晩をかけ私はとある田舎の山中にある宿屋へと辿り着いた。

黄昏庵、私がこれからの余生を過ごす事となる広く古い、どこか趣のある宿である。

さっと庭を見渡せば生垣に咲く椿は先に降った雪をまるで白粉のように薄くかぶっており、少し奥にあるゆらゆらと鯉の泳ぐ小さな池には薄氷が張っている。

古き良き日本の庭園、その冬景色とでも言うべき風景がそこには広がっていた。

そんな滅多にお目にかかれないような景色へと見入っていた私の耳へ不意にそっと儚げな声が入ってきた。


「こ、こんにちは…」


私がゆっくりと振り返るとその目に映ったのは、病的なまでに白いまるで磁器のような肌。

白地に淡い水色で雪が描かれた着物。

そしてなにより目を引いたのが一点の曇りも無い純白の髪であった。

そんな彼女の姿を見れば辺りの景色も相まって私の口をついて出たのは


「…雪女?」


と、初対面の女性に対し無礼にも程があるであろう一言だった。

私に雪女呼ばわりされた彼女は先まで掃除でもしていたのだろう、その手に持った箒を抱えるようにし慌てた様子でたどたどしく口を開いた。


「ゆ、雪女じゃ無いです…!

確かに白いですけど、雪女じゃ無いですよ…」


先も今も、それは一つ風が吹き抜けばそれに紛れてしまうであろう程に小さく細く儚い声。

しかしその声は私の耳に確かに届いていた。

その細く儚い声に。

照れているのかほんのりと紅く色付く頬に。

話しながら『あの…その…」と縮こまるなんとも愛くるしい様。

言葉が出て来ないのかあわあわと慌てふためく仕草。

時折吹く風に揺れるきらびやかな純白の髪。

その全てが歪でなく、不自然にならず、まるで初めからそうであれと定められているかのように纏まった彼女の姿に私は一種の『美』を見た。

その『美』に私は見惚れてしまっていた。

その『美』に私は心を奪われてしまっていた。

その『美』に、それを持つ彼女へと一目惚れしてしまっていた。


「えと…ご連絡くださいました平田様、ですよね…

私は担当をさせていただきます中居の…小雪、です」


彼女はえへへと恥ずかしそうに笑いながら軽く丁寧に頭を下げてきた。

一瞬ではあったが瞳に映ったその顔は庭に残る雪を解きほぐしていくような、まるで日の光かのように暖かく柔らかな笑顔であった。

私はその笑顔を心に刻み込みながらただ一言


「よろしくお願いします…小雪さん」


この精々数分程しか無かった時間が暗く白黒二色のみであった私の視野に色を戻してくれた我が想い人、小雪と私が初めて出会った時であった。

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残雪 小金千貫 @kaidou

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