第175話 赤毛熊

――赤毛熊が立ち去った後、木陰や岩に隠れていたマオ達は全員が立っていられずに尻餅を着く。数十メートルも離れていたにも関わらず、凄まじい気迫を放つ赤毛熊を見ただけでマオは息を荒げた。



「はあっ、はあっ……」

「な、何だ……あの化物!?」

「……身体が動かなかった」



マオもバルトもミイナも赤毛熊を一目見ただけで身体が硬直し、まともに動く事もできなかった。一方で過去に赤毛熊を何体か倒した事があるはずのバルルやアルルでさえも冷や汗が止まらず、お互いの顔を見てやっと口を開く。



「爺さん、あいつをこれまで見た事はあるかい?」

「あ、あるわけないだろう……何じゃ、あの大きさは!?」

「普通の赤毛熊でも2メートル超える奴は珍しくないけど、あんな馬鹿でかい赤毛熊は生まれて初めて見たよ」



元冒険者のバルルや長年猟師を続けてきたアルルでさえもあれほど大きな赤毛熊は見た事がないらしく、明らかに今まで二人が退治した赤毛熊とは別格だった。恐らくは突然変異か何かで異常に身体が発達した赤毛熊だと思われるが、このまま放置するわけにはいかない。



「いかんな……あんな化物がうろついているようではこの山も安全とは言い切れん」

「け、けどここには魔物は寄り付かないんだろ?」

「さっきの化物も山には登ろうとしなかった」

「……それでも絶対に安全なんて言い切れないだろ?」



白狼山は野生の魔物は何故か寄り付かず、この山に居る限りは魔物に襲われる心配はないはずだった。しかし、先ほどの赤毛熊は麓の方から現れたのも事実であるため、必ずしも山を登ってこないとは限らない。


マオが倒した猪を捕食した後、赤毛熊は山を降りたがそもそも魔物がここまで訪れている事が異常事態だった。何十年も白狼山で暮らしてきたアルルでさえも山に入ってきた魔物は見た事がなく、しかも現れたのが異常な体躯を誇る赤毛熊という事で彼も動揺していた。



「お、お前等……悪い事は言わない、今夜のうちにここから離れろ」

「爺さん、あんた……」

「いいから聞け!!赤毛熊は昼行性だ、だから夜なら奴に見つからずに山から抜け出せる可能性が高い!!すぐに家に戻って帰る支度を整えろ!!」

「そ、それならアルルさんはどうするんですか?僕達と一緒に逃げたり……」

「馬鹿を言うんじゃねえ!!魔獣如きに猟師の俺が逃げるわけねえだろ!!」



アルルはマオの言葉に激高して彼の首元を掴み、それを見た他の者が止めようとした。しかし、首元を掴まれたマオは苦し気な表情を浮かべながらも違和感を抱く。



「うぐぅっ……!?」

「止めな爺さん!!ガキ相手に何を怒ってんだい!?」

「はっ!?」



バルルが無理やりにアルルからマオを引き剥がすと、怒りで我を忘れていたアルルは相手がまだ子供である事を思い出して謝罪を行う。



「す、すまねえ……つい、かっとなっちまった。許してくれ」

「い、いえ……」

「だが、悪い事は言わない。お前等は今日の夜の間に山から離れろ」

「爺さんはどうするんだよ?」

「決まってるだろ?あんな化物が山に寄り着いたら生活に支障をきたす。だから罠を仕掛けて奴を仕留める……大丈夫だ、赤毛熊ぐらい俺一人で何とかなる。お前等は心配する必要はない」

「何だよそれ……」

「それが本当なら安心」



子供達を安心させるようにアルルは力こぶを見せつけ、先ほどとは打って変わって明るい態度で語り掛けるアルルにバルトとミイナは安心した表情を浮かべる。しかし、彼に首元を掴まれたマオはアルルが虚勢を張っている事を見抜く。



(……あの時、)



アルルが激高して自分の首元を掴んだ時、彼の腕が震えていた事をマオは知っていた。今も無理に明るい態度を取り繕っているが、彼の足は僅かに震えていた。


罠を仕掛ければ赤毛熊を仕留められるという話も怪しく、恐らくはマオ達を白狼山から早々に避難させるために告げた嘘なのだろう。それを見抜いたのはマオだけではなく、バルルも一緒だった。彼女はアルルとは長い付き合いのため、すぐに彼の嘘を見抜いたが敢えて口にしない。



「あんた達、とりあえずは家に戻るよ。赤毛熊が引き返してくれるとは分からないからね」

「そ、そうだな……」

「大丈夫、もしも近付いて来ても私がすぐに気付く」

「おう、頼りにしているぜ猫の嬢ちゃん」

「…………」



バルルの言葉に全員が賛同して家に戻る中、マオは赤毛熊が立ち去った方向に視線を向けた。今はもう姿は見えないが、また赤毛熊が現れたらと考えると震えが止まらない。



(本当に怖かった。最初にオークを見た時よりもずっと怖かった……けど)



生まれて初めて魔物を目にした時以上の恐怖がマオを襲ったが、今回の彼は情けなく失禁する事はなかった。確かに赤毛熊は途轍もなく恐ろしい尊大だと認識しているが、それでもマオは不思議と冷静だった。



(今の僕の魔法なら……)



自分の杖を見つめながらマオは先ほど倒した猪の事を思い出し、もしも赤毛熊に猪を仕留めた魔法を繰り出していたらどうなったのか気になった――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る