私を殺したあなたのための

蒼板菜緒

私を殺したあなたのための

あなたが今これを読んでいるということは、私はもうこの世にいないでしょう。


一回書いてみたかったんです、これ。ごめんなさいね。でも、あなたがこれを読んでいることを想像すると、震えた手と唇でこの文章を読んでいるあなたの顔を想像すると、こうしてペンを走らせている甲斐があるというものです。震えているかどうかは、分かりませんが。


さて、もうこの世にいないであろう私があなたに伝えたいことは、あなたのせいで私は死ななくてはならないということ、それだけです。ですから、この手紙があなたの目に入ることを祈るばかりですが、それが叶うかどうかは私にはどうすることもできません。せいぜい、こうして靴下やらティッシュの箱やらなんやらが雑多に散らかった机の上のちょうど真ん中に、これ見よがしに置くことくらいしか、今の私にはどうしようもないのです。おまけに万年筆でも添えてあげましょうか。あなたへのせめてもの餞別です。もはや必要がないものかもしれませんが。まあ、ですから、もしこれを読まないで済むんだとしたら、あなたは幸運だったと言わざるを得ないでしょうね。不用品を押し付けられることがないという点で。


ごめんなさい。いや、誰に謝っているのでしょう。あなたに対してではないのは確かです。中々本題に入らないと、いつものようにうだつの上がらない、要領の悪い私をこの手紙の中に見たあなたは、もしかしたらもう読むのをやめてしまっているのかもしれませんね。

そう思っても、ペンを握るこの手が動きをやめないのは、私のささやかな復讐心でしょうか、それとも申し訳程度の生への執着でしょうか。少なくともこれを書いている間は、あなたによって私が死ぬことはないのですから。そう考えると、不思議とあなたへの怨嗟が次々と湧き上がってくる気がしてくるのは、なんともおかしな気分です。でも、こうして私を包み込む負の感情も、震えるペンの先に乗せていくうちにいつかは尽きてなくなってしまうのでしょう。そう考えると、いつまでも文字にしたくないような、そんな気持ちがしてくるのですから、きっとこれはあなたが私にしてきた、これまでの様々な仕打ちや言葉の集積が、私を形作っていることに相違ないのでしょう。もはやあなたは、私の一部なのかもしれません。とすると、この感情は自己嫌悪のようなものなのでしょうか。


さて、いつまでたってもうだうだ言っている私に、とうとうしびれを切らしたあなたが、これをびりびりと破いて私を消し去る前に、そろそろあなたを断罪することにしましょう。まあ、あなたはきっとそんなことができないでしょうけれど。私にはわかります。だってあなたは私の一部なのですから。


冗談です。


さて、断罪という言葉が認められませんか?でも、あなたが私にしたことは私にとっては間違いなく罪であり、私があなたに求めているのは罰であることに間違いないのですから、断罪という言葉は全く正確としか言いようがありません。


ここまで書いても、なんのことだか分かりませんか?分からないでしょうね。あなたはそういう人であるということは、私が一番知っていますから、分からないのは仕方のない事かもしれません。ですからこうして手紙を書いているわけですし。順を追って一つずつ、ゆっくり教えて差し上げましょう。多分、時間はたっぷりあるのですから。あなたには。


まずは、どんな話からしてあげましょうか。一番最近の話からしましょうか。

それとも、私が最も傷ついた話をしましょうか。

折角だから、初めから書き留めることにしましょうか。


私がとても小さな頃、それこそ人間の悪意を知らずに、母や父が言うことだけが真実だと信じられていた時、幼稚園の入学式だったでしょうか。それまで着たことのない服を着て、それまで背負ったことのないバッグを背負って、初めて家庭の外に飛び立とうとする、およそ雛鳥のような心持で、不安と期待を半分ずつ塗った顔を、自分より遥かに大きい姿見に映した私を見て、あなたは何を思いましたか。


そんな昔のことは憶えていないと。そうですね。私にとっては一番古い、初めて物心ついた時の記憶なのですが、あなたにとってはどうでもいいのでしょうね。そんな筈はないと、思いたいのはきっと私だけなのでしょう。では、次の話に移りましょう。


小学校の3年生。それまで仲が良かった、一方的に親しくしてくれた悠希ちゃんと別のクラスになった私は、不安で胸が張り裂けそうでした。悠希ちゃんのせいで、私は自分から誰かに声を掛けることを知らない、甘えん坊の小学3年生にならざるを得なかったわけですが、そんな私の幼稚さを、そして幼稚な私が初めて自分からクラスメイトに声を掛けようとしたその姿を、あなたはどう思ったでしょうか。


これは流石に憶えていますよね。憶えていてもらえないと困ります。結局うまく声が出なかった私を見て、クラスメイト、確か宮岸さんだったでしょうか、彼女は眉をひそめてみた後に、仲の良かった佐々木さんに助けを求めたのでした。当時の私は佐々木さんと宮岸さんが仲の良かったことを知らなかったし、知っていたら声を掛けようとは思っていませんでしたが、その後から彼女たちは、幼稚で甘い私を、1年間かけてじっくりと脅かし否定することになるわけですから、あなたはその責任の一端を担ってもらわないと困ります。


私の発する言葉の全てに、「え?」と聞こえていないふりをしたり、私がウサギ当番の時に小屋のウサギをすべて逃がしたり、私の教科書が私の次に嫌われていた吉崎君のカバンの中に入っていたり。クラスのみんなが、先生さえも知っていたこうしたいじめもどきを、あなたも当然見ていたわけですよね。もしかしたら、いえ、間違いなく一番近くで。それなのに、あなたは何もしなかった。なにもしようとしなかった。悠希ちゃんと同じように。


これも憶えていませんか。わざと忘れているとしか思えないのですが、いいでしょう。次の話に移りましょうか。


こうして、幼稚な私は陰気な私にランクアップするわけですが、こうした陰気さが幸いしてそれ以降安泰な、あるいはボッチとでも言った方がいいでしょうか、とにかく穏やかな小中の学校生活を過ごしてきた私をあなたが決定的に追いつめたのは、進路決定の時でしたね。


一人でいる時間が多いということは、必然的に勉強する時間が増えるということですから、勉強はそこそこできました。先生は、県内トップの高校の入学を薦めてくれましたね。神学校に行けるということよりも、そのとき先生が言ってくれた言葉が、私をどれだけ奮い立たせたことでしょう。あなたも、きっと憶えていますね?そうです。


「あなたは周りよりもちょっとだけ大人なだけだから。この高校の生徒なら、きっとあなたの話をちゃんと聞いて、ちゃんと理解しようとしてくれるはずだよ。」


なんと甘美で無責任な言葉でしょう。教員としての責任を放棄し、よく知りもしない高校の生徒に私の全てを託したのですから、無責任という他ありません。しかし、私にとってはその無責任さすら、必要以上に私を脅かすことのない、ある種の優しさに感じたのです。


すぐに家に帰ってから、母にそのことを言いました。母は、娘の言った言葉よりも、久しぶり、ともすれば数年ぶりに娘が見せた笑顔に感動したのか、一も二もなく賛成してくれました。父さんには私から言っておくから、好きなようにしなと、母の優しさに対して素直に感謝できるほど余裕のあった私は、軽やかに夕食を済ませ、寝支度をしてベッドに潜りました。久しぶりにぐっすり眠れる。もしかしたら、いい夢すら見られるかもしれない。


そんな、将来への希望を胸に眠りについた私に、あなたはどんな夢を見せましたか。


そうですね。あの幼稚園の入園式の、そして、小学校3年生の時の夢ですね。


それだけではありません。それ以降、ずっと一人で過ごすしかなかった私が、日常の中で感じた小さな痛みと嫌味の集積を、あなたはいつものように私に見せつけてくれましたね。


男子には、嫌悪と性欲の混じった目で見られること。

女子には見られもしないこと。

母と父の、憐みとあきらめの混じった視線。

私を見る、あなたの目線。いや、私をみる私の目線。


「お前には似合わないよ。」私は私が欲しいものすべてにそう言いました。

ピカピカの制服。友達。大事に使った教科書。進路。夢。


「お前にはお似合いだよ。」あなたは私が憎むものすべてにそう言い聞かせました。

虐め。憐み。嘲笑。それ相応の進路。愛想笑い。愚かさ。


この手紙ももう終盤ですね。あなたも分かっているでしょう。こうしてペンを持つ手に力が入らなくなっているのは、さっきあんなに飲んだ風邪薬だか喉薬のおかげですね。足元に空になって転がっている、それらです。


私はここで死ぬつもりです。人生で初めて持つことができた、最も大きな希望に対して、あなたは、いえ、私自身がそれを許すことができなかったのですから。

あなたとはたった15年の付き合いでしたが、お世話になりましたね。よくぞ、ここまで根気よく私を否定し続けることができたものだと、自分を褒めてあげたい気分です。


さて、私はここで死にますが、あなたにはここで死んでほしくはありません。

そして多分、あなたは死にません。

おかしいと思いますか。私もそう思います。だって私はあなたなのですから。

でも、こうして書き留めた遺書を読み返し続ける自分の姿を、薄れゆく意識の中でも鮮明に思い浮かべることができるのです。机の上に置かれた遺書を手に取るでもなく、ただその目を見開きながら呆然とそれを眺めている私の姿を、私ははっきり描くことができます。


もしかしたらそれは、幽霊になったあなたの姿かもしれませんね。

あるいは、生死の境から奇跡の生還を果たした私の姿かもしれません。


これが、あなたがいつも私に見せるような、悪夢の一種であることを二人で願って、結びとさせていただきましょうか。私は幽霊にはなりたくありませんし、これ以上生きていたいとも思えません。これっきりであることを願うばかりです。


あなたもきっと、そうですよね。


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