第8話 アンドロイドの存在意義

 死んだんでしょうと女性が怒鳴ると累の顔から表情が消え、それと同時にユイが立ち上がった。


 「まずい」

 「え?」


 いつになく険しい顔をするユイにつられて焦りを覚えたが、その言葉の意味を問うよりも早くにカウンターから食器の割れる音がした。

 見れば累に縋りついてきていた女性を、逆に累が胸倉を掴んで凄んでいる。


 「今何て言ったんだ」

 「な、なに、なによ」

 「結が死んだって言ったのか」

 「そ、そうでしょう。だからアンドロイドで生き返らせ」

 「結が死んだって言ったのか!!」

 「きゃあああ!!」


 累は女性をガラス扉の食器棚に押し付けた。それに合わせて棚の中で食器ががちゃがちゃと音を立てている。鍵のかかっている棚ではあるが、もし鍵が外れるかガラス扉が割れれば大怪我だ。

 千夏は累の豹変ぶりに呆然と震えていたが、ユイが走って累を羽交い絞めに取り押さえた。


 「累!駄目だよ!」

 「放せ!結が死んだって言ったんだこいつは!結が!!」

 「しっかりして!千夏ちゃん!他のお客さん返して!」

 「は、はいっ」


 ユイの声で他の客も我に返り、わあわあと店外へと走り出した。

 スタッフである千夏よりも冷静に、サラリーマンらしき男性客が警察呼ぼうとスマートフォンで電話を掛けている。

 千夏は未だにどうしていいか分からずおろおろしていると、再び食器の割れる音が響いた。見れば累とユイが二人して倒れている。どうやら女性が累ごと突き飛ばしたようだった。


 「累さん!ユイさん!」


 女性は千夏の声に気付き、慌ててユイを掴み上げた。

 そしてキッチンに置いてある包丁を握りユイの首筋に当てる。人間なら絶望を感じるであろう体勢だが、アンドロイドのユイは臆することなくありゃま、と首をかしげるだけだった。慌てているのはユイではなく累だ。


 「お前!ユイを放せ!」

 「私の子を生き返らせてくれるなら放すわ」

 「だから!できないんだよそんなことは!」

 「嘘よ!だってこの子生きてるじゃない!」


 累は今にも女性に噛みつきそうな顔をしていて、このままでは累も加害者になってしまいそうだ。

 だが千夏はおたつき見ているだけで何もできずにいる。店外にはまだ客が野次馬で残っているが、先程の男性客は電話を構えている。おそらく警察を案内するか何かしてくれているのだろう。

 早く警察来いと思いながらそわそわしていると、ユイがパンパンと軽く手を叩いた。


 「まあまあ二人共落ち着いて」


 人質自ら動き出し、その途端に女性の包丁がユイの首をかすめた。だが当然それがユイを苦しめることはない。苦しんでいるのは累の方だ。

 けれどユイは動かないで、と累を止め女性に向き合った。そしてあろうことか、ぎゅっと抱きしめた。


 「な、なにするの!」

 「僕温かいでしょ。温かくなるように作られてるからね。でも体温調節機能を停止させると――」


 遠目でもユイの瞳が点滅するのが分かった。特に音はしないけれど、数秒すると女性の方がびくっと震えた。


 「冷たいでしょう?一時間おきに冷却しないとオーバーヒートしちゃうんだ。僕の予約と予約が三十分空いてるのはこのためなの」


 アンドロイドは熱が大敵だ。

 使いすぎれば一般家電のようにボディが熱を持つ。それを覚ますためにはしばらく何もせず置いておくが、ユイは摂取した食べ物型冷却材で内側から常に冷やしているということだ。だがそれも無理矢理のため、予約の合間に自然廃熱を行っている。

 どこからどのように廃熱しているかは知らないが、ふわふわと女性の横髪が揺れている。おそらく廃熱している風が当たっているのだ。


 「そっくりなアンドロイドは作れるよ。僕の開発者に頼んであげる。でも作るには最低でも三千万円はかかる。メンテナンスで毎月何十万もするし、人間みたいにカスタマイズするならそれもお金がかかる。この制服も五十万円するんだよ」

 「そ、そんなに!?」

 「そう。それで作れるのは最低限の愛玩用。ほとんど動けないよ。AIの精度も低いから成長しても挨拶が豊富になる程度」

 「そんな、それじゃああの子にはならない」

 「そうだよ。どんなに頑張っても人間にはならない。体温調節もままならない機械なんだ」


 ユイはそっと女性の頬を撫でた。

 その表情はどこか悲しそうだ。


 「あなたがアンドロイドを子供にしたら、あなたは本当の子供を忘れたってことだよ。それでいいの?」

 「そ、それは」

 「それをアンドロイドに求めるならそれもいいと思うよ。僕らは人間のために存在するから」


 千夏はユイが自虐的なことを言う心理も気になったが、それよりも気になったのは累の気持ちだった。

 この言葉は累にも突き刺さっているだろう。だが千夏は累を見ることができなかった。どんな気持ちでどんな表情をするか、千春を創り始めた今の千夏は知ってはいけない気がした。

 ユイはふいにしゃがみ込み女性の足元に手を伸ばした。女性の足は何かを踏みつけていたが、それは生き返らせてくれと訴えた息子の写真だった。ユイが写真のしわを伸ばし埃をはたいて、女性はようやく自分の手にその写真が無くなっていることに気付いたようだった。

 そして、ユイはその写真を女性に差し出した。


 「本当にいいの?」


 女性はぼろぼろと涙を流し、震える手で息子の写真を握りしめた。写真のしわは伸ばしたところで元通りにはならずその痕を残している。


 「私は……私は……」


 ぺたりと女性は座り込み、わああ、と声を上げて泣き出した。

 ユイは支えるように女性の肩を抱き、いつものソファ席に移動させ猫のリリィを女性の膝に乗せた。


 「温かいでしょう。その子もロボットなんだよ」

 「う、うそ。生きてるわ」

 「生きてるように見せてるだけ。アンドロイドぼくらは人間にはなれないよ。でも傍にいることはできる」


 ユイはまたぎゅっと女性を抱きしめた。


 「アンドロイドを頼ってくれて有難う。それが僕らの存在意義だよ」


 女性はぼろぼろと涙をたくさん零し、ユイに縋りついて静かに泣いた。ユイは女性の背を擦り穏やかに微笑んでいて、女性はごめんなさい、と何度も繰り返していた。

 そしてその後、ようやくやって来た警察が女性を連れて行った。

 ユイは大丈夫だと言ったけれど、それでも事情聴取はするらしく女性は警察に連れて行かれた。けれど暴れるようなことはなく、ただユイに頭を下げていた。


 「ユイさん、大丈夫ですか」

 「僕は大丈夫だけど」

 「ユイ!!」


 累が飛びつくようにユイを抱きしめた。その手はがたがたと震えているが、千夏からは顔が見えない。


 「ユイ……」

 「大丈夫だよ。千夏ちゃんそこまで送って来るから待ってて」


 ユイはぽんぽんと累の背を軽く叩くと、隠すように累を背にして千夏の腕を引き外へ引っ張った。


 「ごめんね、巻き込んじゃって」

 「いえ。でも意外でした。累さんがあんな……」

 「……結は身体が弱かったんだ。何度も心臓が止まりかけて、累はそれを見てきた。だから結が死ぬっていうのは禁句」

 「弟さんが大好きだったんですね……」

 「今も大好きなんだよ」


 店内に飾られた棗結の写真は病室でパジャマのものが多い。やはりあれが生前の彼の日常だったのだ。


 『あなたがアンドロイドを子供にしたら、あなたは本当の子供を忘れたってことだよ』


 あれはきっと累に向けた言葉だ。

 累は弟と瓜二つのユイを創ってしまった。


 『君はアンドロイドに何を望む?』


 千春が完成するのはもうすぐだった。

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