第6話 アンドロイドに望むこと
千夏はスマートフォンに一枚の画像を表示させ累に見せた。
それは桜がまだ咲き誇っていた四月の頃で、二人とも入学した高校の制服を着ている。千夏と千春は違う高校に通っていて、千夏は学ランで千春は制服はブレザーだ。濃紺のジャケットにうっすらとしたブルーグレーのチェック柄をしたパンツは昔ながらの学ランに比べると現代的でとてもお洒落だ。
モニターをフリックしていくと次々に画像が表示され、千春は制服をとても気に入ってるようだ。まるでファッションショーのようにくるくるとポーズを変えて写っている。
だが千春がこれを着ていられたのはわずか一年だけだ。
「一年前に交通事故で死んだんです。千春は何も悪くないのに……」
「君も双子だったんだな」
双子だった。
千春の存在を過去形で語られると今はもう双子ではないのだと突きつけられ、その度に千夏の胸は締め付けられた。千夏の目には涙が浮かび、それがぽたぽたとスマートフォンを濡らした。
「弟さん千春っていうんだ。君はなんていうの?」
「千夏です。誕生日が五月二十一日なんですけど、春と夏の間でしょう?だから千春と千夏」
「春夏?季節順なら千春の方がお兄ちゃんじゃない?」
「別に、双子だし」
これは今までもちらほら言われてきたことだ。
言いたいことは分かるが、だからどうだというのだろう。両親は千春は春っぽい顔してたから、千夏は夏っぽい顔してたから、と曖昧なことを言っていた。おそらく深い理由はないのだろう。
そして千夏もその理由には興味が無かった。千春は大事な片割れでたった一人の兄弟だ。一緒に生まれて一緒に育ってきた。それだけで十分だった。
千夏はもう一度フリックすると、そこにはホールケーキを囲む千夏と千春が写っていた。マジパンプレートには『チカ&チハル Happy Birth Day』と書かれている。どちらかが上ではない。いつも隣にいる存在だ。
「これ一昨年の誕生日です。千春がいちご苦手だからチョコレートケーキなんです」
「へえ。結と逆だな。結はいちご好きなんだ。だからうちの――」
累が立ち上がり何か取ろうとしたが、その瞬間フロアからきゃあという黄色い声援が上がった。
驚いて振り向くと、そこではユイが瓶のショートケーキを手に持ってぱくりと頬張っているところだった。瓶にぺたりと頬をくっつけて満面の笑顔を見せていて、女性客はカシャカシャとシャッターを切り続けている。
「あれも冷却材ですか?」
「そう。特別製」
「……ユイさんがアンドロイドって分かってるんですよね」
「もちろん。じゃなきゃ意味ないだろ」
「それはそうですけど……」
女性客の歓声は『可愛い』『食べてるポーズして』といったビジュアルへの感想ばかりだった。
千夏は初めて見た時に持った感想は、人間そのものである精巧さへの驚きだった。とても容姿が整ってることへの感動を覚える余裕など無かった。
随分と柔軟性が高いなと千夏は呆気にとられた。
「普通はあんなもんだよ。世の中進歩したなーくらいにしか思わない」
「そう、ですか?どう考えてもありえないですよ」
「君が驚いてるのはそこじゃないと思うけどね」
「……どういう意味ですか?」
「さあ、なんだろう」
累は何も答えてはくれず、クスクスと面白そうに笑うだけだった。
訳知り顔をする累に千夏は少しだけ不愉快さを覚えたが、それを吹き飛ばすかのようにまたもユイのソファ席から女性客の声が響いた。今度は何だと鬱陶しげに目をやると、ユイの持っていた瓶ケーキに話題が写っているようだった。
「その瓶ケーキかわいい!ここで売ってるの?」
「売ってるよ。これは『結が食べなかった累のケーキ』っていうの!」
「え?た、食べなかった?」
「うん。これは累が結に作ったお誕生日ケーキなんだ。でも累が作るケーキってね、本当はぐちゃぐちゃなの」
ユイは待ってましたとばかりに隠し持っていた写真立てをにゅっと取り出し女性客に見せつけた。
そこにはとてもケーキとは言えない物体が写っている。ぺしゃんこに潰れて高さ二センチメートルもなさそうなスポンジに、生クリームを彷彿とさせる白いどろどろの液体がかかっている。スポンジの間にいちごを挟もうとしたのだろう、切れ目が入っているがそこに詰められてるいちごは潰れていてケーキを汚している。唯一綺麗なのは調理する必要のないマジパンプレートだけで、お世辞にも美味しそうとは言えない。
女性客も衝撃で社交辞令を言うことも忘れ、うわあ、と引いていた。けれどユイはふふっと幸せそうに笑っている。
「ひどいでしょ。だから失敗しない瓶ケーキにしたんだ」
「うんうん、かわいーよ」
「だよね。でも結は食べなかったんだ。何ででしょう!」
「え、え~……」
女性客は顔を見合わせて首をかしげるばかりだった。
だがそれも当然だ。可愛いユイが可愛い瓶ケーキを持っていることを喜ぶ人間からすれば失敗を極めて見た目が最悪のケーキなど何の価値もない。
しかしユイはくふふと嬉しそうに笑った。
「瓶ケーキは女の子の入れ知恵なの。でも結は累が頑張って作ってくれるの嬉しいんだ。だから結はこのケーキ食べないの!でも可哀そうだから僕が食べるの」
ユイはもう一口ぱくっとケーキを頬張った。
ん~っ、と美味しそうに頬っぺたを覆う仕草はとても可愛らしくて、女性客はすっかり見惚れている。見ているこちらも幸せになりそうな笑顔はとても味の無い冷却材を食べているようには見えない。
「みんなも食べてね!そうすれば結がいなくてもみんなが結を覚えてる。結はずっとここにいるんだ!」
ユイは自慢するようにぱくぱくとケーキを食べ続けて、にっこりと微笑んだ。
女性客は食べる食べる、とお土産用に陳列されていた瓶ケーキに手を伸ばしていく。
すると瓶には見開きの小さなカードがぶら下がっていた。千夏は目の前のショーケースに並んでいる同じ商品を見ると、そこにはユイが語った累と結のエピソードが綴られていた。
千夏は記憶は受け継がれないけれど歌は受け継がれるという教訓の物語を思い出した。
千春個人を覚えているのは周囲のごく数名だ。だがユイのように本人そっくりで、かつ貴重なアンドロイドであれば誰しもがその存在に手を伸ばす。そしてNICOLAのパンフレットや瓶ケーキのカードに記されている文章は、本体の事情を知らない誰かが読み上げて知ることになる。
この店にくる人間のほとんどは棗結を知らないだろう。だがユイのことは知っている。そしてユイが語る限り、棗結の存在はここで生きているのだ。
ユイの『いなくてもここにいる』という明るい声が千夏の胸に染み渡った。
「夏目翔太知ってる?」
千夏はどきりと心臓を大きく鳴らした。
けれど累はいつものように穏やかに微笑んでいる。
「……名前くらいは」
「彼はアンドロイドの存在意義は人間を支えることだと言った。それはどんな手段で成されると思う?」
愛玩用に家事手伝いに労働力として収入源にする、色々あるよね、と累は微笑んだ。
けれどそれをしてくれたからといって千夏の気持ちが晴れることなどないだろう。
「君はアンドロイドに何を望む?」
千夏は弟を生き返らせたという愚かな噂を信じてここに来た。
そして累は双子の弟を創らないかと言った。
千夏がアンドロイドに望むことは――
「……千春を創ってください」
死者が生きる店で、弟を失った千夏は弟を生き返らせた累の手を取った。
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