無邪気な赤猫

冷門 風之助 

PART1

(この物語は、大分以前に発表したものリメイクした作品です。ご了承下さい)

*赤猫=放火犯の俗称。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 その青年は俺の事務所オフィスに入って来て、ソファに腰を下ろすと、淹れてやったコーヒーに手もつけず、もう3回続けて、

『お願いします!』

 を繰り返している。

 

 俺は何も言わず、カップを持ち、コーヒーを口に運んで、彼の様子を観察した。

 年齢は21歳、痩せて、背が高い。

 頬は青白くこけ、ジョン・レノンが好んでいたような、丸い縁なし眼鏡を掛けている。

『お願いします。何とかしてください!』

 彼は四度目の『お願いします』を口にし、膝に両手を突っ張って、頭を深々と下げた。

『弁護士の平賀君の紹介だから、取り敢えず話だけは聞こう。受けるか受けないかはそれからだ』

 俺はそう答え、コーヒーを啜り、皿の上にカップを戻すと、入れ替わりにシナモンスティックを咥えた。

 

 彼は深々と息を吐き、それからやっとカップに手を付け、一口飲むと、小さな声で話し始めた。


 彼の名前は田中隆一。現在某私立大学法学部の二部に通っている。

 早くに両親に死に別れ、やっと高校を卒業した後、弁護士になって弱い人を助けようという志を立て、同じ中学の先輩だった平賀市郎弁護士の元で、昼間は事務員として働きながら、夜は大学に通って法律の勉強をしているという、今時珍しい苦学生という奴だ。


 趣味らしい趣味はあまりなく、ひたすら勉強と仕事に励んでいる彼にとっての、唯一の友であり、通学と通勤の足と言えるのが、ホンダの400ccバイクである。

 大学に入ってすぐに免許を取り、中古で友人から格安で譲り受け、それ以来大切に乗ってきた。

 整備も出来る限り自分の手でやり、ピカピカに磨き上げてきた。


『そんな愛車を・・・・』彼はそこで言葉を詰まらせ、下を向いてしゃくり上げ、涙をこぼした。

『燃やされてしまったんです・・・・』

 後はしばらく嗚咽する声しか出ない。

 俺はシナモンスティックを齧り、しばらく待ってやることにした。


 

 2ヵ月ほど前の事だ。

 彼は其の日、大学から帰ってくると、アパートの自室で、司法試験の勉強に没頭していた。


 疲れた身体に鞭打って、ひたすら机に向かう。

 ひと段落ついて、床に就いたのは、もう午前2時30分を回っていた。

 1時間ほど眠ったところで、突如サイレンの音で目を覚まされた。

 飛び起きてみると、アパートの前がやけに騒がしい。

 窓を開け、外を見ると、二台の消防車、それにパトロールカー。

 そして防火服に身を固めた消防士、制服姿の警察官。

 彼は慌ててどてらを羽織り、下駄をつっかけて外に出た。


 アパートの前は駐車場になっており、その片隅から火の手が上がっていた。

 嫌な予感が脳裏をかすめた。

 階段を下りてみると、予感は的中した。

 火の手と煙に包まれていたのは・・・・彼の愛車、HONDA CB400fourであった。

 彼は慌てて声にならない叫びをあげながら駆け寄ろうとするが、屈強な警官二人に押し止められた。

 それも無理はない。

 彼が部屋の外に出た時には、愛車は炎に包まれており、仮に鎮火をしたとしても、元通りになる状態ではなかった。

 

 勿論、消火活動は行われ、それから20分で収まったものの、バイクは黒こげのフレームを無残に晒しているだけだった。

 

 隆一はその場にへたり込み、しばらくは呆然として目の前の愛車の残骸を見つめていた。

 やがて少しばかり頭が冷えた彼は立ち上がって辺りを見回した。


 警察がめぐらした黄色い規制線の向こうには、この手の騒ぎにはお決まりの野次馬の群れが見えた。

『今となっては、何でそんなことをしたのか分かりませんが』

 うめくような声で、彼はそう言った。

 呆然自失の状態から覚めると、隆一はどてらのポケットに入れていたスマートフォンを取り出し、カメラのシャッターを切っていた。

『・・・・これは、後で知り合いに頼んでプリントアウトして貰ったものです』

 彼は俺の前に、2~3枚の写真を並べて見せた。


 俺はそいつを手に取ってみた。

 確かに野次馬が写っている。

 警官と規制線に阻まれながらも、何が起こったのかを確かめようと躍起になっている。

 その中の1枚に、気になる人物がいた。

 フレームの右端に、フード付きのパーカーに、ジーンズをはいた人物・・・・いや、正確には、

『女性』がいたのだ。

 もっと正確に言えば『少女』である。

 まだ暗い中でそれと分かるほど色が白く、大きな特徴のある目をしている。

 問題はその表情だ。

 他の野次馬のように、物見高いものではない。

 単に何か『見たいものがあるからそこにいる』というような、そんな感じを俺は受けた。

 



 





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