第1話 待ち望まれた長男と偽の長男-③

「ママ! ママ! 起きてよ!」


 ボロボロのベッドに横たわる痩せ細った母の体に縋り付き泣く少女。


 目を閉じ動かなくなった母に、たった一人しかいない筈の家族に、少女は懸命に呼びかけるが母親が目覚めることは二度となかった。


「マ……マ……」


 手が宙を切る感覚と共にゆっくりと意識を取り戻したヴァーリウスは、手を引き戻しながら自分の状態を確認して慌てる。


 地面に引かれた毛布に寝かされ、ベアドラゴンに弾き飛ばされた際に負った怪我の手当までされているのはありがたいことであり、慌てることではない。


 ただ、鎧を脱がされ特注であつらえた魔獣の皮を使った黒いインナースーツのみを着ている状態だったうえに、自分を周囲に男と偽る為に豊かな胸を潰していたサラシが取られていたのだ。


「お目覚めですか、ヴァーリウス様。大変失礼かとは思いましたが手当の為に一度鎧やお召し物を脱がしてしまいました。申し訳ありません」


 そう言いながら水筒を渡してきたのは自分を救ってくれた魔法士の少女だった。


 少女を怪しみながらもヴァーリウスは受け取った水筒で喉を潤すと、少し気分が落ち着き、辺りを冷静に見れる余裕が出来た。


 自分を襲ってきた部下達は皆ベアドラゴンにやられてしまったらしく、地面に転がっている死体の数と隊の人数が合致している。


 共に死線を乗り越えてきた戦友である彼らの無残な死様には思うところはあるが、だからといって私利私欲の為に襲って来たことを許せる筈も無く、悲しみよりも怒りが勝ったヴァーリウスは歯噛みする。


「ヴァーリウス様、落ち着いてください。お体に障りますから」


 何やらゴソゴソと自分の鎧を丸焦げになった部下の死体の近くに運んでいた魔法士の少女が声を掛けてくる。


 確かに少女の言う通り怒りのせいで強張った体に、少し治まっていた痛みが再び走りヴァーリウスの整った顔が苦悶に歪む。


 ゆっくりと深呼吸を繰り返してどうにか気を落ち着けたヴァーリウスは、痛む体に鞭を打って立ち上がると少女に近づく。


 彼女の正体と、先程から自分の鎧で何をしているのかが気になったからだ。


「君は一体誰なんだ? どうして私を助ける為にあんな無茶を……」


 後衛からの援護や遠距離からの攻撃を得意とする魔法士がベアドラゴンに正面切って立ち向かうなど、正気の沙汰では無い。


 世の一般的な魔法士が聞いたら腰を抜かし、誰もが自分には無理だと言うだろう。


「そうですね。詳しく話すと少し長くなりますが、一言で纏めてしまうと私は貴女の大ファンなんです」


「……すまない、全く意味が分からないのだが」


 聞いておきながら予想外の答えが返ってきたヴァーリウスは言葉に窮する。


 街の巡回騎士として活動していた頃や出兵する際のパレードで黄色い悲鳴を浴びた覚えのあるヴァーリウスは、自分にもファンと呼べる存在がいるのには薄々気づいていた。


 だが、それはヴァーリウスの整った顔立ちに引かれた女性や騎士という存在自体に憧れる子供達からのものだ。


 こんな風に魔獣を一人で倒す、下手をすれば自分よりも強いかもしれない彼女が自分のファンとはヴァーリウスはとてもではないが信じられず、疑いの眼差しを向ける。


「まあいきなりこんなことを言えば怪しいですよね。ですが私は今貴方にとって唯一の味方なんですよ。それに命懸けでお助けした訳ですし、信用して従者として御側に置いて頂けませんか?」


 家に命を狙われ、味方だった者に襲われてしまったのだから確かにヴァーリウスには今や一人も味方がいない。


 だからと言っていきなり突飛な事を言う彼女を信じていいかは甚だ疑問ではあるが、怪我をした今の状態ではまず間違いなく勝てない相手に逆らって良くない方向へと物事が進むのは避けるべきだと考えたヴァーリウスは、少し悩みながらも答えを出す。


「……分かった。一先ずは君を信用しよう」


 ヴァーリウスの返答に満足したのか少女は破顔し、嬉しそうに飛び跳ね始める。


「やった! これでヴァーリウス様の御側に居られる!」


 この世の春だと言わんばかりに大喜びし、一通りはしゃぎ倒した少女は怪訝な顔で見てくるヴァーリウスの視線に気づき、咳払いしながら乱れた服を直すと姿勢を正し、今さながら自己紹介を始める。


「改めまして、私の名はクロノア・ヤーデレ。魔法士として修行を重ねて参りましたので必ずやヴァーリウス様にお役に立てるかと思います」


 自己紹介を終えたクロノアは再び作業に戻った。


 ベアドラゴンのブレスで焼かれ炭化してしまい人の形をギリギリ保っているかどうかの、最早誰かは識別のしようが無い遺体から主人を守れなかった鎧を剥ぎ取る。


「助けてもらっておいてなんだが、あまり追い剥ぎのような真似は感心出来ないな」


 クロノアの作業を見守っていていたヴァーリウスは苦い顔をする。


 生きる為にそういう行為に手を出すのは多少は仕方が無いとはいえ、身なりからとても金には困っているようには見えないクロノアがやるのは些か浅ましいとヴァーリウスは思ってしまったのだ。


 だが、次に取った彼女の行動にヴァーリウスの頭は疑問符で一杯になってしまう。


 ボロボロと崩れそうになりながらも慎重にヴァーリウスの鎧を遺体に着せ始めたのだ。


「ヤーデレ殿、君は一体何がしたいんだ?」


 作業を見守りつつもいくら考えても答えがでないヴァーリウスは堪らずクロノアに理由を問う。


「この丸焼けクズを利用してヴァーリウス様の死を偽装するんです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る