第2話 冒険者ルナ誕生ー①

「……それで私はこの先どうすればいいんだろうか」


 自分の本当の名を思い出したヴァーリウス、もといルナはこれからのことを考えると一気に現実に引き戻され、気分が落ち込んでしまう。


 戦争帰りで僅かな金しか持っておらず、よりヴァーリウスの死を確実なものとする為に鎧どころか剣や荷物に馬まで置いて行くようにクロノアに言われてしまった。


 つまり今のルナの手元にはこれを脱がされれば素っ裸になってしまうインナーぐらいなものなのだ。


 おまけに騎士の仕事をこなす時以外は実家か騎士団本部に閉じ込められ、騎士として純粋培養されてしまったルナは世間の常識にすっかり疎くなってしまっており、どうやって身を立てて行けばいいのか全く分からない。


「それは私めにお任せ下さいルナ様。少々お待ち下さい」


 ヴァーリウスの鎧を着せた死体に火の魔法を打ち込み、私怨も相まってか多少オーバー気味に焦げ跡を付けていたクロノアは飛び出してきた茂みに戻ると荷物を持って戻って来た。


「まずはこちらをどうぞ。お体が冷えてはいけませんから」


 差し出された服一式を受け取ったルナは、何故か自分の体にぴったりサイズの合うシンプルなデザインのそれを着た。


 これではた目からは騎士や貴族ではなく、ただの平民に見えるだろう。


「とりあえずルナ様の死の偽装はこれで大丈夫だと思います。暗い森を進むのはあまり気が進まないかとは思いますが、このクズ共の他にも刺客がいてもいけませんから出発しましょう。お体の方は大丈夫ですか?」


 まだ痛みは残るものの、歩く程度なら問題ないまでに回復しているルナは大丈夫だとクロノアに伝えるとそのまま彼女の案内で日が落ち不気味な雰囲気が漂う森を進み始めた。


 途中幾度かの短い休憩を挟みつつも足速に森を移動した二人は、日の出と共に森を抜け出し街道に出ることが出来た。


「ルナ様、お疲れのところ申し訳ありませんがもう少し歩くことになります。大丈夫でしょうか?」


 心配そうにするクロノアを他所に、疲労感や怪我の痛みはあるがルナは常日頃の鍛錬と過酷な戦場での経験のおかげで案外平気だった。


「気遣いありがとう。だが私は問題無い。それよりもヤーデレ殿、様は辞めてもらえないだろうか? 私はもう騎士でもましてや貴族でもないのだから呼び捨てでも構わないのだが」


 ルナはヴァーリウスとしての自分を葬って以降もずっと様付けで呼ばれるのが引っかかっていたのだ。


「お、恐れ多いです! 私はルナ様の従者なのですよ!」


 ものすごい勢いで後退りしながら平服するクロノアに驚きつつも優しく立たせたルナはローブに付いた土を払ってやる。


「落ち着いてくれヤーデレ殿。先程も言ったように私はもう騎士では無いのだからそもそも従者を持てる身分では無いし、君を使用人として雇える金も無いんだ」


 ルナの言葉にクロノアは今度は大粒の涙を流し始める。


 思ってもみなかった反応にルナは困惑し、どうすれば良いか分からなくなってしまう。


「そ、そうですよね。私みたいな得体の知れない人間なんて側に置いておきたくないですよね」


 そこまでは言っていないのだが、とルナが思った瞬間、クロノアは両手で持っていた杖の上部を片手で握りなおすと引き抜くような動作をする。


 すると仕込まれていた鋭い輝きを放つ刃が姿を表し、返す手でクロノアはルナに襲い掛かる。


 真正面に、的確に自分の喉を刺しにくるクロノアの刃を両手で挟み込み止めたルナは、クロノアもまたディークラン家からの刺客だったのかと思い騙された間抜けな自分に腹を立てる。


「ルナ様のお側に居られないのならルナ様を殺して私も死にます!」


 クロノアのヒステリックな叫びを聞いたルナの頭は疑問符でいっぱいになる。


 何故刺客が暗殺対象を殺して自分も死ぬと言うのか訳がわからないからだ。


 相打ちになってでも殺すというのならばまだ分からないでもないが、わざわざ暗殺を成功させてから何故死ぬ必要があるのか。


 ギリギリと意地でも刃を届かせようとしてくるクロノアを筋力差で押し留めながら考えるルナに、天啓が舞い降りる。


 クロノアはヴァーリウスであった頃の自分のファンだと言っていた。


 かつて街の巡回騎士をしていた頃、上司で市民からの人気の高かった騎士によく贈り物をしてきていた女性を捕まえたことがあった。


 彼女は上司のファンと名乗っていたのだが、その正体は上司の家に侵入し私物の窃盗を繰り返したり彼を付け回したりと、所謂ストーカーだったのだ。


 取り押さえる際には同行した上司に縋り付いてに『貴方と引き離されるくらいなら死んでやる!』などと喚き散らしていたのをルナはよく覚えている。


 それは正に今のクロノアと似たような状態だった。


 つまり彼女はディークラン家からの刺客でもなんでもなく、ただの自分の熱烈なファン、正確に言えばストーカーのようなものなのだ。


 精神の病なのか元々の気質なのかは医学を修めていないルナには分からないが、クロノアにはある意味自分を襲ってきた部下達とは違い悪意がある訳ではないのは分かる。


 力の差からこのまま押し返して捕らえて然るべき機関に引き渡すことはルナにとって容易だ。


 だが、そうなるとクロノアは下手をすれば一生どこかに療養という名目で閉じ込められてしまうかもしれない。


 それは自分を救ってくれた彼女には申し訳ない気がしたルナは、刃を止めながらしばし悩んだ後、自分のお人好し加減にため息を吐きながらも結論を下した。


「ヤーデレ殿! 落ち着いてくれ! 私はただ様と付けるのを止めてもらいたいだけだ! 今の私は君がいないとまともに生きていけないのだから君を遠ざける訳がないだろう」


 自分を真っすぐに見つめながら割と情けないことを堂々と言い放ったルナに、クロノアは顔を真っ赤にしながら仕込み杖を持ったまま両手を頬に充てるとくねくねと動き出す。


「ル、ルナ様が私をひ、必要としてくれてる! う、嬉しい!」


 むき出しの刃が顔の近くにあるのを危険だと思いながらも、一先ずクロノアから殺気が消えたことにルナは安堵する。


 笑顔、というには少々邪悪さがある表情を浮かべていたクロノアはしばらく自分の世界に酔いしれていたが、ルナからの奇妙なものを見る視線に気づいたことで元に戻った。


「す、すみませんでしたルナ様! 私、ルナ様のことになると訳が分からなくなる時があって……」


 ペコペコと高速で頭を上下させるクロノアを落ち着かせながらルナはこれから不用意なことを言わないようにせねばと心に誓うのだった。


「気にしないでくれヤーデレ殿。私はただ様を付けるのを止めてもらえればそれでいい」


「分かりました、ルナさ……ん。でしたら私もクロノアと呼び捨てにして下さい。その方が自然だと思います」


 先程のこともあってかおずおずと申し訳なさそうに言うクロノアに、可愛らしさを感じながらルナは了承の意を伝える。


 刃を収めて杖を元に戻したクロノアとルナは再び歩き始める。


 数時間、少し気まずい雰囲気を漂わせながら街道を歩いていた二人はようやく街へと着いたのだった。

 

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