第28話

ユウジくんが言いかけていた話を聞こうと思っていたのだけれど、ヒトミのことも気がかりだ。



僕は家族の人たちに一声かけて、ヒトミとともに出かけることにした。



なにかあればすぐに家に戻ってくるようにと、釘を刺されながら。



「今日もいい天気だねぇ」



清々しいほどに晴れた空に両手を伸ばして心地よさそうに言う。



セミの鳴き声があちこちから聞こえてきて熱さを倍増させているように感じられた。



「夜中のことは、本当になにも覚えてないのか?」



質問するとヒトミは空から僕へ視線を戻して、首をかしげた。



「家族も言ってたけど、夜中になにがあったの? 私、なにかしたの?」



真剣な表情でそう質問してくるので、本当に覚えていないんだろう。



虫入りの料理を作っただなんてとても言えないので、僕は左右に首をふって黙り込んだ。



「ねぇ、どうして黙るの?」



「いや、なんでもないんだ。本当に」



苦しい言い訳をしながらまた歩き出す。



ヒトミは納得していない様子だったけれど、すぐに機嫌を直して鼻歌まじりに歩き出す。



こうして見ているとヒトミに変わったところは見られない。



僕がよく知っているヒトミで間違いないようだ。



宛もなく歩いていると、あの森の付近までやってきていた。



ここから先へは行きたくないな。



そう思って方向転換しようとしたが、ヒトミが腕を掴んで引き止めた。



「池を見に行こうよ」



「今日はやめておこう」



しかしヒトミはその場から動こうとしなかった。



じっと森の小道を見つめている。



いや、その目はあの池を見ているように感じられて、胸騒ぎがした。



「帰るよヒトミ」



「いや。私はこの奥に行く」



ヒトミはそう言うと僕の手を振り払って歩き出した。



「ヒトミ!」



慌ててその後を追いかける。



できればもう二度とあの池には行きたくなかった。



1度もヒトミが沈んだあの池は、僕にとって絶望の塊でしかない。



「おい、戻るぞ」



ヒトミの腕を掴んで強引に自分の方へ引き寄せる。



普段なら少し力を込めればすぐにヒトミの体はぐらついた。



そのくらい頼りない存在だった。



だけど、今は違った。



どれだけ引っ張ってもヒトミの体はぐらつかない。



それどころか、僕の方がヒトミに引っ張られてしまうのだ。



こんな力がどこにあるんだ?



驚くと同時に驚愕している間に、僕は文字通りヒトミに引きずられて池の前まできていたのだ。



腐った水の匂いは更に強くなってきているようで、近づくだけで顔をしかめてしまう。



けれどヒトミはそんなことにも気が付かないようで、ジッと濁った湖面を見つめている。



下手をすれば池に飛び込んでしまうんじゃないかと不安になり、僕はずっとヒトミの手を握ったままだった。



どれだけそうしていただろうか?



2人共なにも言わずにただ湖面を見つめ続ける。



風もないため湖面では小さな揺れもない。



水草がはびこり今見ればよくこんな池にボートで乗り出したものだと自分で自分を感心してしまう。



いや、あのときの僕はまだ何も知らなかったんだ。



この池に本当に死者を浮かべること。



その死者が戻ってくること。



それが本当のことだということ。



すべてを知った今だからこそ、池は禍々しいものとして僕の目に映るようになった。



もう戻ろう。


そう言おうとしたときだった。



「ねぇ」



ヒトミがジッと湖面を見つめたまま言った。

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