19、思いもしない不意打ち

◆◆◆◆◆


 暗い暗い空の下。星も月も顔を隠したある日の出来事だ。

 一つの村が賊に落ちた傭兵団によって滅ぼされた。


 暗いはずの山の中だが、放たれた炎によって村が全て赤く染まる。逃げ出した村人は男なら首をはねられ、女なら犯され、子どもなら売れるという理由で捕らえられた。


 惨劇としか言いようのない状況だ。そんな中、逃げる一人の子どもがいた。

 懸命に、ただひたすらに、この恐怖から逃れるために走る男の子である。しかし、経験の浅い子どもでは傭兵に見つかるまで時間はそうかからない。


 あっという間に追い詰められ、周りを取り囲まれてしまった。

 もうダメだ、と男の子は覚悟した。

 他の人と同じように捕まるんだ、と絶望した。


 待っているのは悲惨な運命だ。それをどうにか逃れる術なんて、男の子にはない。


「いけないな、お前ら。よってたかって子どもをいじめるのはよくないぞ」


 突然、地面に生えていた草が大きくなった。それは近くにいた傭兵の身体に巻きつくと、途端に暴れ始める。

 地面に、建物の壁に、傭兵の身体を叩きつけるその光景は目を塞ぎたくなるようなものだった。


 男の子が呆然と見つめていると他からも悲鳴が上がる。振り返ると違う傭兵達が草に巻きつかれ、先ほどと同じように叩きつけられている姿が目に入った。


 一体何が起きているのか。

 わからないまま男の子が悲惨な光景を見ていると、一人の男が姿を現す。

 ブラウンの髪をオールバックにした黒い鎧に身を包んだ大男、といえばいいだろう。いかにも勇ましい男は、ニカッと笑ってこう告げた。


「安心しろ。もう大丈夫だ」


 これは、出会いだ。悲劇の中で起きた僅かな幸運でもある。

 だから男の子はこの勇ましい騎士の背中を見つめた。いつしか追いかけ、そして隣に立つようになる。


 しかし、何かはその思い出を穢す。


『そいつは守れたのか、お前の大切なものを』


 焼き払われた村。そこに住んでいた者の生き残りは僅かだ。

 大好きな母や仕事熱心だった父は死に、妹は行方不明。とてもではないが結果は散々だ。


『憎むべきだ。守れなかった奴を』


 何かは助長する。

 諦めるな。憎め、もっと怒りを燃やせ、と。

 ノアはその言葉を否定する。


「そんな必要はない」


 明確な否定。だが、それが何かの狙いだった。


『そうか。なら力づくで従わせるまでだな』


 大義名分という言葉がある。

 理由なくして行動できないことを意味する。しかし、それは理由さえあれば何をしてもいい、という意味にも変わる言葉だ。


 ノアは何かに大義名分を与えた。信念による否定だが、それが隙を生む結果となる。


『さあ、いただこうか。お前の身体を』


 結果はわかりきっている。それでもノアはこの得体の知れない存在と戦うことを選んだのだった。


◆◆◆◆◆


 霧散する黒いモヤ。クロノ達はそれを眺めながら、何かが終わったと感じていた。だが同時に、何か不吉なことが起きているのではないか、とも感じる。

 その直感は正しい。間違っているほうがおかしいともいえる。ここで何も起きていないほうがあり得ない。


 その証拠に、言いがたい気味悪さが辺りに漂っていた。


「クロノ、副団長と一緒に王都に戻るぞ」

「うん、そうだね。ここはすぐに離れたほうがいいかも」


 クロノとヴァンは周囲を警戒しながらノアの元へ駆け寄ろうとした。だが、顔を上げたフィリスが唐突に叫ぶ。


「ダメ、逃げて!」


 クロノ達はその言葉の意味を理解できなかった。思わずフィリスに顔を向けると、唐突にクロノは蹴飛ばされる。

 何が起きたかわからないまま、伏せる形で倒れた少年は背中を踏まれた。そのまま右腕を引っ張られると、突然こう囁かれる。


「動くな」


 それはノアの声だった。何が起きたかわからずクロノは振り返ろうとした。

 だが、その寸前にノアは彼の背中を強く踏みつける。思いもしないことにクロノは驚き、同時に襲ってきた痛みに悶えた。


「動くなと言っただろ? それとも言葉を理解できなかったか?」


 クロノは答えない。答えたらおそらくまた痛い思いをする。その考えは正しい。そして選択も合っていた。

 混乱する頭をどうにか落ち着かせながら、クロノはヴァンを探す。すると力なく倒れている姿を見つけた。


「ヴァン……!」

「安心しな。彼は寝ているだけさ」


 一瞬の隙。僅かといっていい時間でヴァンを倒した。

 それが何を意味するのか、クロノはすぐに理解する。


「さて、と。ちょっと取引をしないか? それともこのままこいつらを見殺しにするか? 片割れよ」


 ノアの言葉にフィリスは思わず睨みつける。その表情が面白いのか、ノアは喉を震わせて笑った。


「そんな怖い顔をするな。簡単な話さ。お前が俺のモノになるならこいつらは見逃してやる」

「嫌と言ったら?」

「殺して無理矢理お前を俺のモノにする」


 取引になっていない。だが飲まなければクロノ達は殺される。

 フィリスはその不条理な条件を飲むことにした。


「わかった。アンタについていくから何もしないで」


 ノアはその言葉を受け、ほくそ笑む。

 しかし、クロノはその言葉に反発した。


「何言ってるんだ! バカなことを――」

「お前は黙ってろ」


 フィリスを止めようとした瞬間、クロノはまた背中を踏みつけられる。フィリスが思わず「やめて!」と叫ぶとノアはクロノの腹部を蹴り飛ばした。

 転がるクロノ。その意識は朦朧としていた。


「さて、邪魔はいなくなった。行こうか」


 フィリスはクロノ達を守るためにノアの元へ足を踏み出す。その後ろ姿にクロノは手を伸ばし、止めようとした。

 だが、どんなに掴もうとしても届かない。行くな、と叫ぼうとしたが声も出せず、クロノはそのまま気絶したのだった。


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