第18話 治療はセットメニュー?

「な、何ですか。これ?何でこんな治療計画なんですか?」


ワナワナと震え、詰め寄るへっぽこ。K田先生は少し申し訳なさそうなような困ったような顔をした。


「それが標準治療なんですよ」


標準治療?何それ。マク○ナルドのレギュラーセットみたいにセットになってんの?それも標準で百回?ちなみに、関東ではマックだが、関西ではマクドというので、関西に来て初めて道を尋ねた時に何度も聞き返されて、この人、若いのに耳が悪いんだろうか?と思ったことがある。


それはともかく、セット治療なんてとんでもない。





「嫌です」


へっぽこがまた文句を言い出した。


へっぽこは大学時代に微生物の遺伝子研究を少しかじっていて、放射性同位体を扱う実験も行なっていた。



が、へっぽこのこと。ある日ミスをやらかした。


放射線管理区域には貼られている黄色の下地に赤の三角マークのステッカーをご存知だろうか。あれがベタベタ貼られた建物の分厚いドアを開けて中に入り、専用のビニール白衣を羽織り、専用の実験ベンチの中で放射性同位体が含まれた溶液をピポットで静かに吸い上げ、対象の溶液に数滴落としてレントゲンを撮り、微生物の遺伝子配列を読み取る。令和の今となっては旧式な方法だろうが、その時はそんなやり方でDNA配列を確認していた。


 で、実験が終わり、最終チェック、と先輩がへっぽこにガイガーカウンタを向けた途端、盛大なアラート音が鳴ったのだ。


正直、パニクった。先輩が落ち置いて対処してくれたから何とか無事に建物の外に出られたけれど、あの時感じた恐怖はその後、へっぽこの中でトラウマになった。それで院に進むのは諦め、慌てて就職組に切り替えた。このまま研究してたら、将来、健康な子どもを産めなくなるかも、という漠然とした恐怖を感じてしまったのだ。いや、単にへっぽこがおっちょこちょいなのが悪いのだが、気を付けてたつもりでもミスをやらかすと大変なことが起きるような仕事はしたらいかん、と自らを戒めたのだった。


 ちなみにへっぽこのドジを多少言い訳させて貰うと遺伝的要因だったのだと思う。


 小さい頃からガチャ目だと父にヤジられてきた。ガチャ目とは不同視とも言う。左右で視力の差が大きいのだが、母方の祖母がひどい斜視で、その遺伝子を受け継いだへっぽこも軽い斜視だった。それで眇目になりガチャ目となった。手術した方がいいのではと眼科に連れて行かれたこともある。でも子どもは全身麻酔。危険がないとは言えないし、へっぽこも極度に嫌がり、大人になって治ることもあるからと結局手術はしないで済んだ。でもガチャ目の何が困るかって、ドジが多くなることだ。左右のバランスが悪くて、距離感が取りにくい。躓きやすかったり不器用になったりする。ドジと聞くと少女漫画では可愛らしいイメージだが、あまり良いことではない。




話がズレたが、そんな恐怖の体験があったへっぽこは放射線に対して、異常なまでの抵抗があった。なのに放射線治療?



それに抗ガン剤もだと?


 だって、過去に読んだ本によると、医者は自分が癌になっても抗ガン剤は拒否するという。猛毒だと知っているからだ。癌細胞もやっつけるけど、正常な細胞も殺してしまう。


そうと知って、自分はそれを避ける癖に他人には平気で使うんかい!


つっても、結局はそうならないように生活してこなかった自分が一番悪いのだ。息子の為、食事にはある程度気を遣っていたけど、自身は在宅秘書で座りっぱなしによる運動不足。効率が良くなると聞いて立ってPCが出来るように本をPCの下に積み上げて軽くスクワットはしたりしてたけど、仕事の合間の自分一人の昼食は立ったまま急いでご飯に梅干しだけ乗せて食べたり、カップ麺にしちゃったり。また、当時、週2回か3回通っていた合気道は稽古が夜なので、その他の趣味に時間を割こうとしたら眠る時間を削るしかない。アニメだって見たいしマンガも読みたい、描きたい。で、ギリギリ深夜2時くらいまで粘った後に布団に入り、朝は早起きして弁当作り。その後、息子の登校を見送り、仕事準備に掃除洗濯、夕飯の為の買い物や雑務あれこれ。昼寝する間も無し。で、夕飯を作り、片付けて、また深夜まで、の繰り返し。そりゃ身体だって怒るだろう。でもこれが、学生時代に、バンバン運動して身体も心も鍛えていた人だったら平気で耐えられたのではと思う。

 だがへっぽこは違った。よって、限界が来る。そうして電源が強制終了したのだ。


──だが、しかし。


放射線治療に抗ガン剤がセットだと?


逃走か、闘争か、だが、今はまだ倒れて死んではいけないのだ。せめて息子が成人するまで。


 止む無くその治療計画を受け入れることにする。


 すると、放射線科の先生たちが、病室にわらわらとやってきて同意書へのサインを求めてくる。そして言われた。


「止めたくなったら◯◯日までに言ってくださいね」


——はい?そりゃあ止めたいんですけど、同意書を書かせた癖に止めていいの?どっちなのよ?大体その◯◯日って期限はどこから?


そうは思えど、背に腹はかえられぬ。へっぽこはその治療計画に従うことにした。担当主治医がK田先生からEらい先生に変わることを聞く。


──ん?何故?そう思いつつ、はぁと頷いて、


「でも一つワガママ言っていいですか?」


まだなんか言うんかい?



そんな顔のEらい先生に、へっぽこは、へらりと笑って交渉した。


クリスマスとお正月は家に帰りたいんですけどぉ」


そうしたらEらい先生はホッと笑顔を見せた。


「ええ、いいですよ。年末年始はゆっくりご自宅で休んで、治療は年が明けてからにしましょう」



へっぽこもホッとする。そして、一時帰宅ということで荷物をまとめてボストンバッグに入れていく。


「もしかして急患がたくさん入ってペットが足りなくなった時など、この病室ではなくなるかも知れませんが」


看護師さんにそう言われ、へっぽこは一月お世話になった病室のベットを可能な限り綺麗に掃除して、窓から見える景色に手を合わせた。


「ありがとうね」


病室、またベットの位置によっては、外なんか見られない。へっぽこは恵まれていた。運が良かったのだ。


そして、意気揚々と?へっぽこは病院を後にした。また数週間後に戻って来なきゃだけど。














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