霊感少女は一撃で吹き飛ばす

黒羽カラス

第1話 想い人

 緒方おがたひかるは駅のホームに設置されたベンチに座っていた。他に人はいなかった。野鳥のさえずりに囲まれて四十分を過ごす。

 電車の走行音が右手から聞こえる。三両編成もあって減速した状態でホームに入ってきた。完全に停車したのを見てゆっくりと立ち上がる。

 車内に乗り込むと光はドア横に付けた。電車は緩やかに走り始める。

 一分と経たない間にトンネルへ入った。ドア窓は鏡となって車内を映す。光の斜め後ろの座席にいた中年女性が遠慮のない視線を向けてきた。何度も溜息のような声を漏らす。

 光はリュックサックを背負っていた。小柄な少女に反してかなり大きい。車内が揺れると中に収めた物が微かな金属音を立てた。

 七つ目の駅を発車した。ジャケットのポケットから振動音が聞こえる。目だけを動かし、手に取ることはなかった。

 乗り換えの駅で下車した光はスマートフォンを取り出した。電話の履歴を見てこちらから掛ける。二回の呼び出し音で相手は出た。

『どうして電話に出ないのよ』

 いきなりの母親の文句に光は苦笑した。

「電車に乗っていたからね。今は乗り換えの駅だから大丈夫だよ。それで何?」

『何じゃないでしょ! いつ掛けても電話に出ないし、帰りの日もはっきりしない。高校最後の記念旅行を許可したせいで、もうね、言いたいことだらけよ』

「わざとじゃないよ。旅先は山間部が多くて電波状態が最悪で。それと帰りは今日だから私の分の夕飯をよろしくね」

『え、今日なの!? 買い物しないと。もっと早くに教えなさいよ!』

 スマートフォンを耳から少し離して遣り過ごす。

「少し寄り道をするから急がなくてもいいよ。あ、乗り換えの電車がきたみたい。切るね」

 早口の小言を指先ひとつで回避する。

「なーんてね」

 駅舎に貼られた時刻表によると次の電車は三十分後になっていた。閑散とした駅のホームで光は再び待つことになった。


 片道、四時間弱。ようやく電車の移動を終えた。

 光は駅を背にしてたたずむ。深呼吸をして自宅とは真逆の右手の道へと歩き出す。寂れた商店街のアーチを横目にして通り過ぎる。

 足を止めた。小高い土手に突き当たった。斜め前に枕木で作られた階段が見える。上り切れば一気に視界が広がって川が一望できる。

「……あの人に会える」

 一歩を踏み出して、また足を止めた。顔に不安が広がる。記憶にある朧げな人影は消えていても不思議ではない。いることが不自然と言い換えることができる。募る恋慕と失う恐怖が同程度の大きさに膨らみ、胸の中でせめぎ合う。

 一歩、前進した。山籠もりの苦しい日々が力を与えた。

 続けて二歩目を果たした。命を危険に晒すことで能力が上がると信じ、最後までくじけずに意志を貫いた。

 力強く階段を上がる。山の中では空腹と戦い、食べ物を求めて彷徨った。何度か毒キノコに当たって腹を壊した。失意の沼に沈みそうになる度に目的を思い出し、自身を奮い立たせて生き延びた。己に課した一か月を乗り越えた。

 光は土手の上に立った。眼下の河岸に目を向ける。手入れがされていない雑草の中に一人の人物を見つけた。以前の記憶と重なる位置で川の方を眺めていた。

 リュックサックの重さを感じさせない走りを見せる。激しい金属音を打ち鳴らして土手を駆け下りた。生い茂る一角に突っ込み、雑草を踏み倒して進んだ。

「私です。覚えていますか?」

 背中を見せていた人物は、周囲の雑草に影響を与えることなく振り返った。

「……君のことは、覚えている」

 ダボダボのランニングシャツを着た細身の男性は虚ろな目で答えた。

「嬉しいです」

「そうか。でも、僕は限界だ……」

 無風の状態で身体が不自然に揺れる。端正な顔立ちのまま儚げに笑う。全身が目に見えて薄くなってきた。

「待って! 私はあなたのことが好きなんです! 一目惚れなんです! 誰にも言えなくて、あなたと話すこともできなくて。でも、ようやく力を得ました。厳しい山籠もりで霊感を高めました。だから、まだ行かないで!」

「そうなのか……ありがとう。あれは何年前に、なるのか。仲間と一緒に川へ泳ぎにきて、酒も少し飲んで」

「……もしかして川の増水で亡くなった、大学生の一人ですか?」

 踏み込んだ内容と思いながらも訊いてみた。

「ああ、そうだった。僕は大学三年生で……羽目を外して……思い出せた、さようなら……」

「待ってよ!」

 大気の中に溶け込みそうな手を光は両手で掴む。

「握れた!?」

「君は凄いね」

 感情の籠った声を返した。薄くなった全身が濃さを増してゆく。

「もしかしたら」

 光は手を繋いだ状態で歩き出す。男性は何の抵抗も見せず、横に並んだ。

「あの土地に縛られていたのがウソのようだ。本当に凄いね」

「私もびっくりしました。あの、一緒に家にきてくれませんか?」

「君の好きなようにしていいよ。僕は君がいないと、この世に存在できないみたいだからね」

 男性は微笑んだ。光は嬉しさと恥ずかしさでほんのりと頬を染めた。

「自己紹介がまだでした。私は緒方おがたひかるです」

「僕は岡崎おかざき拓馬たくまだよ。よろしくね」

「はい、こちら、こそ」

 光の頭が揺れた。同時に腹が小さく鳴った。

「緒方さん、大丈夫?」

「急にお腹が減ってきたみたいで」

「僕のせいかもしれない」

「そんなことはないと思うのですが」

 拓馬は握っていた手を緩めた。その行動の意味を瞬時に理解した光は逆に強く握り締める。

「大丈夫です。私から離れないでください」

「でも、僕は君の精気を無意識に吸っているように思う。ぼんやりした意識がはっきりしてきたし、姿も濃くなっている」

「それなら私に考えがあります。これからの行動を見ていてください」

 自信に満ちた顔で豪快に腹を鳴らした。

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