これが私の精一杯の反抗

タニオカ

これが私の精一杯の反抗

 放課後のグラウンド。

 1年生の私は部活の練習の準備に追われていた。今日は専門練習の日なので、ハードルを並べたり、高飛びのマットを運んだりと大忙しだ。

 暦の上ではまだ初夏のはずなのだが、今日も日中は30度近くまで気温が上がった。そんな熱気をいまだ残す校庭と倉庫を何度も往復して、様々な備品を運んでいると、準備をしているだけなのに、練習かと思うほど汗が流れる。バタバタと準備を進めていくと、ついに自分の専門競技の準備という名の最後の仕事に行き着いた。

 高飛び用の支柱のメモリを120cmに調節して、バーを落ちないように気を付け、そっと設置してから、マットの上にバフッと座り辺りを見渡す。私の同期の人たちも幅跳びの準備でトンボで砂場を均したり、レーンの白線を引いたりと精を出している。

 校庭では陸上部以外にも沢山の運動部が活動している。グラウンドの内周で不思議なステップを踏み、アップに勤しむサッカー部、キャッチボールをする野球部、外周を走るソフトボール部。耳をすませば、吹奏楽部の楽器のチューニングの音、英語で会話をする微かな声、もちろん帰宅をする帰宅部の話し声も。

 沢山の部活動がある中で、私はこの陸上部を選んだ。今年の陸上部の新入部員は私を含めてわずか4人。男男女女とバランスは良いのは救いだが、我が陸上部は、3学年合わせても15人と、各学年250人前後の生徒数を有する学校の規模からすると、あまり盛況しているとは言えない。

 そんな不人気な部活を私がわざわざ選んだ理由はたった一つだ。

「サボり発見!」

「どわっ! ちょっと、やめてくださいよ。センパイ」

 突然、私の背中に飛びついてきたのは、私と同じく、高飛びを専門としている先輩だ。

 先輩は不服そうな顔をして、私の背中から離れると、隣に腰掛け、手にした袋からスパイクを取り出し、ピンの交換を始めた。

「そのセンパイって呼び方、なんとかなんないの? 中学入る前までは名前で呼んでくれてたのにさー」

 スパイクの裏からくるくると回して外したピンをケースに片付けながら、唇を尖らせている彼女は、先輩であると同時に、私の幼馴染みでもある。

「そうかもだけど、さすがに学校では呼び辛いですよ。センパイ」

「またぁー。まぁ、たしかに。中学って妙に上下関係、厳しいもんね」

「そうですよ」

 そう答えつつ、マットから飛び降り、胸の鼓動を抑えながら、アップへ向かう。


 先輩が触れた背中が熱を持つ。


 心臓がバクバクする。


 先輩のシャンプーと制汗剤の爽やかな香りが、自分の身体にまだ残っていて妙にソワソワしてしまう。


 普通に出来ていただろうか。


 平静を取り戻しながら、私以外の1年生たちが集まっているところに到着すると

「おー、きたきた。遅いぞー!アップするよーん、ってなんか顔、赤くない? 大丈夫? 熱中症?」

「別に赤くないっ!」

 私は先頭を切ってグラウンドを走り始めた。


 そう、私は彼女がいるから、陸上部に入ったのだ。



 ▽▽▽



 彼女とはなかなか長い付き合いだ。

 私が彼女と初めて会ったのは、この町に引っ越してきて、お隣に住んでいる彼女の家に挨拶に行った時だ。

 一つ違いの女の子がいると知ると、お互いの両親は大層喜んで、よく家族ぐるみで一緒に出かけるようになった。公園に行ったり、キャンプに行ったりとアルバムを見返せば、そこには必ずと言っていいほど彼女とのツーショットが並んでいる。

 彼女はどこでもすぐに人に好かれる魅力的な子だった。幼稚園では彼女が登園すれば、友達がすぐに駆け寄ってきた。公園へ行けば、すぐに知らない子と遊びはじめた。もちろん私とも一緒に遊んでくれはしたのだが、私はひどく寂しさを感じたことをよく覚えている。でも、これはまだきっと友情だった。


 私が彼女への気持ちを自覚したのはいつだったのだろうか。


 小学校に上がって他に友達ができても、公園に私がくると遊んでくれた時?

 公園で怪我をした私を慰めて、絆創膏を貼ってくれた時?

 いっしょに布団に潜って絵本を読んで笑い合った時?

 手を引いて一緒に遊んでくれた時?


 いいや。きっと、あの時だ。

 それは、一昨年のバレンタインデーのこと。


 その日の放課後。私はホクホクとしながら下校していた。朝には自分が作ったガトーショコラが入っていた紙袋に、クラスのみんなからもらった友チョコを満載して、今日のおやつに、どれから食べようかとても楽しみに家路を急いでいた。家の近くまで来ると、幼い頃からお世話になっている小さな公園に差し掛かった。ベンチが少しとブランコ、滑り台、高さが2種類の鉄棒、クッション性が失われて久しいシーソー。公園の基本遊具を押さえ、後は少しの砂場と芝生広場を備えた住宅街の中の小さな公園だ。

 いつもなら誰もいない時間にブランコに腰掛けて小さく揺れている女の子の姿を見つけた。それはお隣に住んでいる彼女だった。

 私はまたまた会えたことに嬉しくなって、大きく手を振りながら、笑顔で駆け寄った。そして、すぐにその行動に後悔した。彼女は泣いていたのだ。

 遠くからでもなんとなく寂しそうにしていたのに気がついたのに、配慮できないほど私はまだ子どもだったし、バレンタインデーということもあり浮かれていた。

 私に気がついた彼女の方が逆に気を使い、無理に笑顔を作って「どうしたの?」と、優しく言った。

 顔に流れた涙の跡が冷たそうだった。

「…あ、えっと…」

 どうしていいかわからなかった。

 最後に泣いたのを見たのがいつだったのか思い出せないほど、彼女はいつも笑顔だったから。

 だから私は戸惑いつつも、私が泣いた時にいつも彼女がしてくれたようにしようと思いたった。

 彼女の前に立ち、手袋を嵌めたままの手で彼女の頭をよしよしと撫でたのだ。

「大丈夫だよ」と言いながら。

 すると、彼女の目にはみるみる溢れそうなほど涙が溜まっていき、ついには先程までの涙の軌跡を辿り、ポロリとこぼれ落ち始めた。彼女は、小さな声で謝りながら、涙を拭っている。そんな姿を見て、私は胸が締め付けられた。冷たい風が誰も座っていないブランコを小さく揺らした。


「ちょっと待ってて!」

 そう言い残し、家に急いで、彼女用のチョコを取りに行った。作ったものの中で1番上手にできた物で、これは彼女の分と特別にラッピングした物だ。もしかしたら、自覚していなかっただけで、彼女はもうとっくに私の特別だったのかもしれない。


 家に着くと、靴を投げ出し、ランドセルと紙袋を玄関に置いたまま、部屋に置いであった紙袋を引っ掴んですぐに公園へ向かった。

 息を切らしながら戻ると彼女は泣き止んでいて、照れ臭そうに笑っていた。きっと私がいない間になんとかしようと一生懸命に涙を拭っていたのだろう。

「はい…こ、これ、バレンタインのチョコ」

 肩で息をしながら少し呼吸を整えつつ、渡すと彼女は嬉しそうに

「ありがとう」と受け取った。

 呼吸を整え、となりのブランコに座った私は、嬉しそうに紙袋の中を覗き込んだ彼女に向かって、提案をした。

「いま、食べたら?」

「え?でも、ご飯前だし…」

「泣きたい時には甘い物だよ!」

 これは私が前に泣いた時に飴を渡しながら彼女が言ってくれた言葉だった。彼女がそれを覚えていたのかは分からなかったが、彼女は少し躊躇いつつも紙袋からラッピングされたガトーショコラを取り出すと、袋を開けて小さくいただきますと言い、一口頬張った。

「ん、おいしい。ありがとう」

「どういたしまして」

 私はなんだか照れ臭くなって、赤くなった頬を冷ますように、ブランコに立って漕ぎ始めた。

 するとポツリと小さな声が耳に届いた。

「…今日ね」

「うん」

「…告白したの」

「…へぇ」

「でも、…でもね。……振られちゃった」

「…そっか」

 それ以上彼女は何も言わなかったし、私も何も言えなかった。

 でも彼女の肩が震えていたからきっと泣いていたんだと思う。そして私は、彼女の涙を美しいと思ったと同時に、私なら泣かせたりしないのにと、恋心の自覚に至ったのだった。



 ▽▽▽



「ありがとうございましたー!」

 部員全員で練習のために踏みつけるに踏みつけられたグラウンドに礼をしてから、更衣室へ向かう。

 最近は練習の運動強度に身体がついてくるようになって、練習後にトイレに駆け込まずに済んでありがたい。が、ここに別の問題が浮上してきて困っている。

 それは私たちの部員数が少ないことに由来している。

 部員数の多い部活は更衣室を各学年で一部屋以上与えられたりしているが、うちの部は、1、2年は合同、3年生になると一部屋を広く使えるようになる。もちろん男女は別で。

「あんた、背面跳び、結構上手になってきたね」

「…へぇ、そうですか。ありがとうございます」

「つめたっ!」

「そんなことありませんよ。センパイは今日は調子悪かったみたいですね」

「ほっとけー!」

 なんの悪戯なのか、私と彼女のロッカーは隣り合っている。そのせいで、私はほぼ毎日先輩の着替えを視界に入れる羽目になっている。つまり、好きな人の肌を見せられて内心ドギマギしてしまうわけだ。そのせいで、出来る限り視線を逸らし、平静を保ちながら、手早く着替える癖がついてしまった。

 我が校の生徒という自覚を持つためなのかなんなのか知らないが、制服で登下校しなければならないという校則が憎らしい。

 先輩も先輩だ。いくら女同士だからって、下着姿で声をかけないでほしい。

「ねぇ、今日、あの公園、寄ってこう」

「ん、いいですよ」

「やったね。話したいことあるんだ」

 先輩はとても嬉しそうで、私まで嬉しくなってしまう。

「私、先出てますね」

 にやけ顔を見られないように、すでに着替え終わっていた私は、他の人たちに挨拶してから、まだ下着姿の先輩を更衣室に残してさっさと退室した。

 ドアの向こうで、先輩の「待ってよー」という声が聞こえた気がした。

 誘われたことが嬉して、ついにやにやしていたが、段々と冷静になったきて、今度は逆に表情が曇る。彼女の話には見当が付いている。最近、好きな人ができたのだ、と相談を受けているから、きっとまたそれ関連のことなんだろう。あの公園は、あのバレンタインデーの日以来、なんとなく恋愛関連のことを話す場となっている。その事実が幼い頃の思い出を汚しているような気がして、私は少し嫌な思いを抱えているが、彼女はきっとそんな気持ちには気が付いていないのだろう。

 彼女は正直モテる方だ。

 明るく、いつも笑顔で、ユーモアもあるし、勉強も部活も成績優秀だ。

 だから「告白しようとおもう」と言っていた彼女を押しとどめ、後回しにした方が良いと、わざと的外れなアドバイスをし続けた。彼女が告白したら、きっと相手はいいお返事をくれるだろうから。


 もしやと、嫌な想像が頭の中を支配する。

 頬をぺしんと叩いて気合を入れて、頭の中のイメージを押し出して、彼女が出てくるのを待つ。

 少し待つと彼女はすぐに出てきて、勉強や部活の話をしながら自然と並んで歩いて公園を目指す。

 家の近くまで来るとすぐに目的地に着いた。昔よりも小さく感じる遊具達を通り過ぎ、いつかの時のように2人ともブランコに腰掛けて、少し揺らしながら、他愛もない話をする。私は、出来るだけ聞きたくない話を聞かないように、なんとなく話題を逸らしながら話すが、そうは問屋が卸さない。

 ちょっとの沈黙の隙をついて、ついに彼女がとても嬉しそうな顔をして

「彼氏ができました」と報告してきたのだ。


 それを聴いた瞬間、私は冷や水を浴びたように心がキュと収縮する感じを覚えた。

「へ、へぇー、よかったじゃないですか。さすが、センパイ」

 私の声は震えていないだろうか。

「どーもどーも、いやー告白したら、あっちも私のこと気になってたんだってさー」

 頬を赤く染め、照れたように笑う彼女が愛おしくて、憎らしい。

 そんなこと聞きたくない。

「昨日、告白したんだけどね」

「タイムリーですね」

 聞きたくない。

「すっごく喜んでくれてね。今度、お互いに部活がない日曜日にデートしてくれるんだって」

「へぇ、私服見れるチャンスですね」

 やめてほしい。

「そうなんだよー。こっちも私服見られるから、緊張するよー」

 あなたは可愛いから何着ても大丈夫。

 それともそのデート、私がめちゃくちゃにしましょうか?醜い感情が心を支配していく。

 それとは逆に、嬉しさがピークです。と言わんばかりの笑顔で嬉しそうに話す彼女。

 私は笑えているだろうか。

 好きな人の幸せを願えないなんて、私は心がきっと、いや、絶対に清らかではないんだろう。

「今度、ちゃんと紹介するね」

「ははっ、私に取られないように、せいぜい頑張ってくださいね。センパイ」

 嫌だ。会いたくなんてない。

「ヘーキですよーだ。てか、またセンパイって…。ここ学校外ですよー」

「センパイはセンパイですから」

 きっとあなたの名前を私が呼んだって、彼氏に呼ばれる時とは反応が違うんだろう。それを肌で感じたくなくて、名前を呼べなくなった。なんて知ったらあなたはどう思うでしょうか。

「もう!まぁ、いいや。中学校生活が終わったら、また、前みたいに名前で呼んでね」

「それはどうですかね」

 どうか、あなたの幸せが私の幸せに思えるくらい私が大人になった時まで待っていてください。

「えー」

「さぁ、そろそろ帰りましょう。センパイ」

「はーい」

 私たちはブランコから飛び降り、カバンを背負って帰路に着く。

 希望に満ち満ちた輝く笑顔の彼女と、心に小さな小さな精一杯の反抗を隠し持っている私。

 夕日が沈みはじめ、空には赤と黒が混じり合っていた。

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