第25話 What should we do

 社長室に戻るエレベーターの中で陽一は自分を叱責していた。

 これから仕事を通して直人とは顔を合わす機会が増える。そのため、よそよそしく振る舞うのは賢明ではないと考えた陽一は、気さくに接しようと試みた。そして、周囲にも直人が後輩であるのを隠さなくて良いと考えた。しかし直人と8年振りに会話をして、自身の弱さを痛感する。


『陽さん』


 そう呼ぶ直人の笑顔が、陽一の心の奥深くに固く閉じたはずの昔の幸せだった感情を、呼び起こしてしまったのだ。


「まだダメだな・・俺。もっと強くならないと」

 そう呟くと大きな溜息が出た。


 重い足取りで社に帰ってきた陽一は、廊下を歩くディライトングループの副社長である従弟、省吾の姿を捉えた。

 ここ最近、取締役会でさえ出席しないため、高額な請求書の件も未だ話せていなかった。


「副社長」

 省吾は、自分を呼び止めた人物が見ずとも分かるのか、横柄な態度で振り返る。

「ああ、陽一じゃないか」

 省吾は決して陽一を社長とは呼ばない。


「お疲れ様です。最近、会議でお見掛けしませんが、お忙しいのですか?」

「ああまぁね。僕もここのために一所懸命に働いているからね」

「そうですか。有難うございます。あの、実はお盆明けにニセコから請求書が届きまして、ご存知ですか?」

「あ、ああ。視察に行ったからだろ」

「やはりそうでしたか ・・あまりにも高額だったものですから、手違いがあったらと思い確認をさせていただきました ・・随分と大人数で視察に行かれたんですね? 社員とですか?」

「否、知合いだよ。違う世代や異なる職業の人達からの意見も必要だと思ってね」

「ああ、なるほど。その通りです。では是非今度そのご意見をお伺い出来ますか?」

「もう、一通りの事はニセコに直接言ってある」

「そうでしたか、有難うございます」

「何だあの、会員専用施設の狭さ。どうしてあそこまで縮小する必要があったんだ。それにゴルフ場は売却しない約束じゃなかったのか? 他のホテルの客が来てたぞ」

「それは、事業再生計画書で説明させていただいています。近隣ホテルの株主や会員の方々も利用出来る件、ご理解いただけたと思っていたのですが」

「分かっている。だが、あんなに混雑するなど聞いていない」

「それは、お盆休みだったからだと思います。次はもう少しオフシーズンに行かれてはどうですか?」

「そ、そうだな。しかし、ほら僕の友人もなかなか休みが取れないからな。今回は仕方なかったんだが、あんなに混んでいるとユックリと出来ないから、次回からは日程をもう少し考えるよ」

「ええ是非。でももう沖縄、宮崎、ニセコと最近リニューアルした所は全て視察していただきましたので、次からは自費でお願いします」

「いちいち言われなくても分かっている。それ位の金額で ・・相変わらず嫌味な奴だな。じゃ、僕は忙しいから、話がそれだけなら失礼するよ」

「お時間を取らせて申し訳ありません」

 無言で立去る省吾を疲れた顔で見送っている陽一に、企画部の中田季里が声を掛けた。


「結城社長。お疲れ様です。会場視察どうでしたか?」

「中田さん、お疲れ様。あの案で橘先生からオッケー出たよ。佐伯さんもご機嫌でした」

「そうですか、先ずは一安心ですね」

「メインの絵だけね、変更になると思う」

「そうなんですか?」

「まだ世に出ていない作品だから、先生の個展だけでなくイベント全体のメインになるかもね」

「それは凄いですね。そんなの隠してたんですか?」

「いや、制作中みたい」

「え? それって間に合うんですか?」

「大丈夫だよ。橘先生って実は僕の後輩でね」

「え?」

「橘なら絶対に仕上げてくるよ。でも、とりあえず個展のパンフはそのメインの概要が分かるまで、空欄にしておいて欲しい。迷惑掛けるけど宜しくお願いします」

「あ、はい。勿論です。素敵な作品だといいですね ・・残念ながら私には絵心が無いので判断し兼ねるかもしれませんが・・でも橘先生の絵は、何て言うか、夢があって好きです」

「夢ねぇ、うんそうだね」

 副社長との会話で暗くなりかけていた陽一の心に明かりが灯る。

 中田季里と話をしていると、秘書の柏木がやって来た。

「あ、柏木さんだ。では、社長呼び止めてすみません、私はこれで失礼します」

「ああ、中田さん。あと宜しくね」

「はい。任せてください」

 満足した様相で自席に戻って行く中田とは反対に、珍しく不機嫌な面持ちの柏木が陽一の前に現れる。


「柏木君どうしたの? 怖い顔して。僕何かした?」

「社長じゃありません!」

「社長室で話そうか」

 立ち話で済む内容ではないと察した陽一は、柏木と共に社長室に入る。


「これ見てください」

 柏木から、1枚の紙を手渡された。そこには、経理が簡単に作成した表が記載されており、金額がずらりと並んであった。

「これってもしかして・・」

「そのもしかして、です! 副社長の癖にこの会社を潰す気ですか?」

「それは困るね。え~と、お歳暮には気が早いよね ・・じゃあ接待費?」

「その通りです。今日、珍しく社に顔を出したらと思ったら、どっさり領収書持ってきて ・・こんな事を社長に愚痴るべきではないのですが、経理だって副社長には文句言えないし、何故かお金に関する時は副社長の秘書は来ないし、結局僕にクレームが来るので、スミマセン ・・つい」

「いやいや、こうやって報告して貰った方が助かるよ ・・とは言え、さっきやっと例のニセコの件を話せたくらいだから、僕もダメ社長だね、しかも身内なのに、本当に申し訳ない」

「社長の立場は十分理解しています。だから、こんなくだらない事を報告すべきでは無いのですが、段々と心配になってきて」

「確かに、ここ数年、金額が上昇傾向にあるもんね。社員が皆、頑張ってくれている時だから余計に ・・腹が立つね!」

 陽一は、口を手で押さえると冗談めかす。

「はい、腹が立ちます! ハハ」

「今度、折を見て会長か、叔父に、それとなく相談してみるよ」

「無理なさらないでください。社長への風当たりがこれ以上悪くならない程度でいいですので」

「うん。分かってるよ。気を遣わせてごめんね。はぁ~ 僕がもっと強くならないとね」


『そう、もっと強くならないと』

 陽一は、心で何度も呪文を唱える。


 視察を終えた直人は、KEYに立ち寄っていた。

「あ、お疲れ~ 視察どうだった? 豪華な会場だったでしょ?」

「うん、さすが一流ホテルのイベント会場だわ。カーペットがフカフカだった」

「は? 感動したとこ、そこ? 照明とか、もっと他にあったよね ・・ま、いいや。それにしても直人にしては珍しく時間掛ったんだね」

「え? そう?」

「何か問題でもあった? それとも誰かに会ったとか?」

「そんなに掛ったか?・・別に何も無かったけどな」


 直人が嘘を付いた。圭にとって、その嘘は陽一に対する直人の心情を打ち明けているのと同じ。仕事で結城社長に会っていたなら、尚更隠す必要などないからだ。


「そっか、ならいいけど。 ・・ねぇ、直人、最近ご無沙汰だからさ、今晩、僕の家に来ない?」

「え? 悪い、圭。あのさ、個展のメインの絵を制作中でさ、直ぐに帰って取り掛からないと間に合わないんだ」

「は?」

「ん?」

「制作中って、イベントまで1ヶ月しかないよ」

「そう、担当者にも、プチ抗議受けた。でも断言したからさ ・・それに俺も仕上げたい」

 直人の表情に光が差しているように見えた。彼の生き生きとした姿は圭に追い打ちを掛ける。

「そっか。じゃあ、頑張って。完成したら1番に見せてね」


『俺が最初に見れると良いなぁ。直の復帰作』

 陽一の言葉が心に蘇る。そのためか圭には返事が出来なかった。


「直人?」

「じゃ、俺もう行かないと! コラボの事は圭に丸投げするから、頼んだぞ」

「わかった。もうサンプル確認して貰ったし後は僕達の仕事だから。何かあったら連絡する」

「おお。じゃ」

 簡単に別れを告げると直人は足早に圭の元を去った。

 一人事務所に残された圭は暫く動けずにいた。

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