第3話 I realize....
圭は、リビングルームの中央に設置してある革張りのソファに深々と腰を下ろすと、手にしていたウィスキーグラスに口を付けた。
都内のタワーマンションに住む圭は、直人と別れた後、さほど時間も掛からずに家路に着いていた。
薄暗いリビングルームの天井を眺めながら、直人を思い浮かべる。
直人の悲痛な目。
圭が初めて直人を見た時と同じ形相。
第一印象の直人は、スポーツをしていたかの様な長身でガッシリとした体形に反して、巣から落ちた雛鳥のように弱々しく、彼の周辺には空気が存在しないように息苦しい面持ちをしていた。
後悔 自己嫌悪 孤独 失望 全ての負の感情が当てはまる様相だったが、そんな直人に酸素送り支える誰かの存在も見えた。
「強敵の再登場・・なのかな」
脳裏に圭が恐れていた言葉が浮かぶと、1つ大きな溜息が溢れ落ちた。
静かだが重苦しい空気に包まれていた圭の耳に携帯の通知音が届く。
ジャケットのポケットから携帯を取り出すと、薄暗かった空間に光が放たれる。
「直人から・・珍しいな」
そう呟きながら、嬉しさよりも更なる不安が圭を襲う。
連絡をするのは殆どの場合圭からだ。特に都内で別れた時は帰路で眠ってしまう直人から同日に連絡が来る事はなかった。
直人からの謝罪メッセージを見るや、再び大きな溜息が漏れた。
「罪悪感か・・・・分かりやすいなぁ〜」
圭はそう呟くと電話を胸ポケットに戻しソファーに倒れ込んだ。
直人は、携帯の着信音が何処か遠くに聞こえる気がしてハッとする。
タクシーを降りた後、陽一からの着信に動揺してか家の門前で一瞬硬直していたのだ。
大きく深呼吸をすると応答のボタンを押した。
「・・も・・もし、もし」
直人の喉元が締め付けられ声が上手く出せない。
ゴクリとツバを飲み込む。
「もしもし、直? ごめんね。突然電話して。やっぱりちゃんと謝りたくてね。今少しだけ大丈夫?」
昔沢山聞いた陽一の声。
一気に胸が熱くなると直人の目前が歪んで見えて来た。目を閉じると涙が溢れ落ちた。
「もしもし、直、大丈夫?」
【陽さん】
大声で叫びたい衝動に駆られたが、携帯の持っていない手を握りしめると、ぐっと堪えた。
「直? ごめんね。忙しいなら又にするよ・・じゃ・・」
「陽さん! ・・だ・・大丈夫です」
直人は、陽一を失いそうな恐怖に駆られると、詰まっていた喉をこじ開け慌てて応える。
「直? ごめんね、こんな夜遅くに。それと、今日の事も・・あんな失礼な態度を取ってしまって、本当にごめんなさい」
「よ、 陽・・さん、き・・気にしないでください。それぞれもう・・あの頃とは違うのですから・・」
【こんな事を言いたい訳じゃない。動揺した。悲しかった。娘さんが居るの? あの綺麗な人は奥さん?】
沢山の言葉が直人の頭に流れ込んで来たが、口から漏れないようにひたすら堪えた。すると、電話の向こう側が静寂に包まれている事に気付く。
陽一の呼吸音も心音も直人の耳には伝わってこない。
「よ・・陽さん?」
せっかく電話を掛けてきてくれた陽一を、またあの時と同様に自分の言葉で遠ざけたのではと、危惧した直人は問い掛けた。
「そ・・だよね、もうあの頃とは違う・・でも、直はまだ絵を描いているんだね。前に見たよ」
「え? 見てくれたんですか?」
「あ・・うん。相変わらず素敵だった。直は凄いな。おめでとう」
「あ・・りがとうございます。陽さん、個展に来てくれてたんですか? いつ? どこで? 声を掛けてくれたら・・」
直人は、陽一が今でも自分の作品を見てくれている事に心底嬉しかった。もっと前に再会していたかもしれないと考えると、陽一を責め立てる自身の口調にハッとした。
【陽さんには家族が居る。独りじゃない。第一、俺にそんな資格がないだろ】
「陽さん・・パパなんですね。陽さんも、おめでとうございます」
「うん・・店で会ったのは、娘の
娘・・・・陽一から出た言葉に胸が締め付けられた。
『あの頃とは違う』
自分が陽一にぶつけた言葉が跳ね返って来る。
「ぼ・く・・俺の姪も同じ歳です。俺も何かプレゼントをと思ったんですが、何を買ったら良いか分からなくて・・ハ・・ハハ」
自分が選んだ道・・直人は昔の決断を思い起こし、これで良かったんだと、自身に言い聞かせる。
「そっか。お互いに歳を取ったね。ハハ」
「そうですね。でも陽さんは相変わらず・・」
【素敵です】
直人は口から零れそうになった本音を飲む込む。そして、そんな直人を陽一はそれ以上尋ねて来なかった。
「遅い時間にごめんね。久し振りに直の声が聞けて嬉しかったよ。ありがとう。直、これからも応援しているからね。それじゃあ、おやすみなさい」
「陽さん!」
電話の向こうに居る陽一が、また消えてしまいそうで、直人は声を上げてしまう。
「直?」
「あ・・ぼ・・くも陽さんの声が聞けて嬉しかったです。わざわざ有難うございました。それじゃあ、おやすみなさい」
電話を切りたくない直人をよそに次に聞こえてきたのは、虚しい切断音だった。
携帯を胸に抱き締めると直人はその場に崩れ落ちた。
閑静な高級住宅街に建つ一軒家のバルコニーに、通話を終えた陽一が暫く呆然と携帯の画面を眺めていた。
陽一の携帯の待受け画面には、娘の美来と4歳になる息子の
携帯画面の灯りが消えると闇に包まれ眼下に広がる夜景が輝いていた。
陽一は、電話をパンツの後ろポケットに入れ、バルコニー柵に身体を預けると目線を落とした。
ー10年前ー
高校の制服に身を包んだ陽一は、校舎の廊下にある窓から下を眺めていた。
「お―い、陽一 ・・? 何見てんだ?」
陽一の幼馴染で同級生の竹ノ
「陸・・別に」
陸は、陽一の目線を追う。
「あいつ絵を描いているのか? 昼休みが勿体ないなぁ・・・・ 新入生かぁ?」
「多分ね・・今まで見なかったよ」
「入学早々、画家気取りかぁ― 放課後呼び出すか!」
「いつの時代だよ―― ハハ」
「アハハハ。お! 新入生と言えば、入部届け結構集まってるらしいぞ」
「うん。そうみたいだね」
「はぁ~ 今年こそは全国行きていなぁ~ 陽一とバスケするのもこれで最後だもんな~」
「うん、そうだね~」
陽一は、陸の言葉に耳を傾けながらも、校庭の木の下でスケッチブックと向き合う生徒から目が離せないでいた。
「ああっ! 昼休み終わっちまう。早く昼練行こうぜ」
「・・りょぉ」
陽一は、陸に促されると窓に預けていた身体を起こし歩を進めようとした。
しかし、再度目線を先程の生徒に向ける。
陽一は、優しい春風が吹き桜の花びらが舞い散る中、一人木陰に座る青年に無性に興味が湧いた。
「お――い。
「今行く――」
陽一は、廊下を足早に駆けると、陸に追いついた。
青年は、スケッチブックから目を離すと何気に校舎を見上げる。目線の先には先程まで陽一が立って居た窓が見えた。
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