第2話 I remember

 その場を早急に立ち去りたい気分に駆られた直人は、足早に先程と同じエスカレーターに乗ると1つ下の階で降りた。


 直人が訪れているディライトンプラザは、高級ホテルディライトンと直結している10階建ての複合商業施設である。

 ここの2階は、将来有望と期待される日本人の若手ファッションデザイナーやアーティスト達が手掛けたショップのフロワーとなっており、ディライトンホテルの社長自身がプロデュースしたのだ。


 直人はポケットに手を突っ込み無愛想な顔つきでフロワーを歩くと、2階では一際目立つアパレルショップ “KAY” に立ち寄った。


「いらっしゃいま・・・あ、橘さん・・・・」


 店員の1人が掛けた声が、直人の耳には全く届いてない様相で、一直線に店の奥へと進んで行くとドアをノックした。


〈トントン〉

「直人だ。開けてくれ」


 店の奥には、KAYのオーナー兼デザイナーである田所圭たどころけいの事務所があるのだ。


 暫くするとドアが開き圭がその向こうに立っていた。

 圭は、ストレートの長い髪を一つに束ねスラっとした長身の男性で、直人とは同じ歳だ。


「あれ~ 随分早かったね~ ・・って手ぶらじゃん! 何も良い物が無かった?」

 直人は圭の質問には応じず事務所に入ると、無言で中にあるソファに腰を下ろした。


 圭は、そんな直人を背後から優しく抱きしめると右頬にキスをする。

「何かあった? ・・それとも誰かに会ったの・・かな?」

「・・・・・・ ノーコメント」

「うわ! 出たよ。でも久々だなぁ、こんな直人 ・・あ、ちょっと、そのチョコ結構お酒入ってるよ」


 直人は、ソファテーブルの上に置いてあったチョコレートの箱を、勝手に開けると食べ始めたのだ。

 2つ目のチョコを手に取ると、包み紙を広げながら、直人が圭に話掛ける。

「なぁ~ 今晩は朝まで一緒に居れるか?」

 予想外の直人の申し出に圭は一瞬言葉を失う。

「え? もちろん。朝まで抱いて欲しい?」

「ああ。立てないくらい、めちゃくちゃにして欲しい」


 直人を背後から抱きしめていた圭の腕に力がこもる。


「こら、圭! 痛てえよ」

「だって、直人からそんな言葉が聞けるなんて・・めちゃくちゃ嬉しい。ヤバいよ。僕、もう立ちそう!」

「こらこら、ソファに穴を開けるなよ!」

 直人はチョコレートを頬張りながら、背後の圭を見る。

「何があったか知らないけど、こんな直人にしてくれて感謝だね」

「大袈裟なんだよ」

「そうだ、今夜は僕の家じゃなくてさ、どっか素敵なホテルに泊まろう。あと、さっき貰ったワインを持って行こうっと」

 そう告げると圭は直人から離れ、事務所に置いてあるワインセラーに向かう。


「なんだかさ、初めて直人に会った時みたいだね・・」

 圭は、複雑な表情で小さく呟いた。


「ああ―― 何か言ったか?」

 頬を真っ赤に染め、目が座り掛けた直人が圭に尋ねた。

「なおとぉ~ お酒弱いったって、チョコで酔っ払うな!」

「圭、ワインも早く持ってこ――い!」

 圭は、苦笑いしながら右手を自分の額に当てた。



 ホテルの一室。

 テーブルにはワイングラスと空のワインボトルが置いてある。

 室内にはシャワーの音が流れている。


 ベットの上では全裸の直人が仰向けで横になっており、虚ろな目で天井を見つめていた。

 すると、直人の鞄の中から静かな室内に携帯の通知音が流れる。

 直人は、少し身体を労りながら起き上がると床に足を下した。


「圭の奴、マジでめちゃくちゃにしやがって・・ って俺が頼んだか、ハハ」


 直人は苦笑いをしながら腰に手を当てて鞄の方へと向かう。

 着信を知らせる緑のランプが暗い鞄の中で点滅していた。

 直人は無造作に携帯を手に取ると、画面を確認する。

「ショートメール? ・・誰だろう」


 直人は何気にSMSのアイコンを叩く。

 送信人の名前を見た途端、心臓の鼓動が早くなると思わず口を手で覆う。


「先輩・・・・」


 1つ大きな深呼吸をしてからギュッと目を瞑る。すると心音が耳にうるさく感じ、携帯を持っている手が震えだした。

 暫くして平常心を若干取り戻した直人は、瞼をあけるともう1度大きく息を吸込みメッセージを開く。


【この番号がまだ直のであると良いのだけど。


 今日はごめんなさい。

 あんな態度を取った事を反省しています。


 どうしても謝りたくて。

 本当にごめんなさい。】


 直人はメッセージを読むや前にかがむと、額を携帯に押しつけた。


【先輩・・陽さん変わっていないなぁ・・・・ 貴方は優し過ぎる。僕を甘やかさないで。最低なのは・・・僕なのに】


 窓際に立ち肩を震わせている直人を、複雑な思いでシャワーを終えた圭が背後から暫く眺めていた。


「直人ぉ、シャワー待ってたのに~ 続きをしようと思ってたんだけどね」

 圭に声を掛けられてハッとした直人の表情が、窓ガラスに映った。それと同時に携帯からの光が直人の顔に反射する。


「圭・・ごめん。俺帰らないと」

「え~ 朝までって言ったのにぃ」

 圭は口を尖がらせ膨れっ面を無理につくると、ベッドに腰掛けた。


「・・・・きゅう、急用が出来たんだ。本当にごめん」

 直人はそう告げると窓外の景色から目を離し視線を圭に向ける。そして、携帯を脇に挟み両手を顔の前で合わせた。


「本当にごめん」

「ちぇっ・・急用だったら仕方ないよ。一人では寂しいから僕も帰る」

 圭はそう告げるとベッドの中央に飛び込んだ。


「せっかく朝まで一緒に過ごせると思ったのに~ 直人のバカぁ~」

 うつ伏せの圭が足をバタつかせる。

 そんな圭を眺めながら、罪悪感を抱える直人の胸の奥がチクりと痛んだ。

 急用は口実で、直人は今すぐ家に帰りたかったのだ。


 直人と圭は、それぞれ別のタクシーに乗り込みホテルを後にした。

 直人はタクシーの中で、圭に再度謝罪のラインを送った。そして、次に開いたのは先程届いた陽一からのメッセージだった。

 再び一語一句読み返すと頬が熱くなった。そして、返信欄にメッセージを書き込んでいく。


【陽さん。メッセージ有難うございます。

 僕の携帯番号変わっていないですよ。

 今日の事、気にしないでください。

 僕は大丈夫ですから。

 どうかお幸せに】

 

 最後の文言を眺めながら、頭に昼間の光景が浮かぶ。

 パパと呼ばれ幸せそうな笑顔の陽一、そして傍らに立つ美しい女性。

 微笑ましい素敵な家族の姿。

 直人はギュッと唇を噛み締めたが、直ぐに頬を緩めた。


「これで良かったんだ」

 小さく呟いた。

 そして、何度も書き直し、幾度も読み返したメッセージを、1つ深呼吸をした後に送信する。

 

 直人の家は、都内からは随分と離れた静かな郊外にあり、先程圭と居たホテルからは1時間近く離れていた。しかし、直人が携帯をポケットに入れ、顔を上げた時には都会の雑踏から離れており、家が近いのだと分かった。


「俺どれだけの時間、返信するのに掛かってんだよ・・ハハ」

 独り言を口にする。

『昔はあんなに沢山やり取りしていたのになぁ~』

 直人は心で呟くと口元を緩ませながら、窓の外を眺めた。

 

「ここでよろしいですか?」

 いつの間にか、ウトウトとしていた直人にタクシーの運転手が声を掛けた。


 直人は実家に住んでいた。両親は二人共既に他界しており一人では広過ぎる家だったが、ここを離れる気にはなれなかったのだ。


 直人がタクシ―から下車し家の門を開けようとした時、ジャケットのポケットから携帯の着信音が流れて来た。

 圭からだろうと考えていた直人は、携帯画面に表示された「陽さん」に身体が硬直してしまう。

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