第6話 急転直下

 何ということでしょう。

 ユリとセバスがいなくなったのを見計らっていたかのようにあの人が現れました。

 タイミングが良すぎて、思わず吹き出しそうになりました。

 どこかで見ていて、やって来たのだと考えると可愛らしいではないですか。


「お待ちしておりました」


 慌てて羽扇子で口許を隠し、冷静さを保つことにしました。

 油断をしたら、吹き出しそうですから。


「君はいつもそうだね。取り澄ましたような顔をして、私を見下ろしている」

「殿下。見下している、です」

「そうだ。見下している!」


 相変わらず、リューク殿下はとても楽しい御方です。

 婚約者でなければ……。

 種を蒔いたりしなければ……。

 こんなにも見ているだけで面白い方はおられないのに。


 今も殿下の左腕にぴったりと張り付いているお嬢さんとのやり取りが微笑ましくて、声を出して笑ってしまいそうになるのを抑えるのに必死です。

 あのお嬢さんは……思い出しました。

 例の種を蒔かれた方です。


 あの時は気が付きませんでしたが、クラシーナではありませんか!

 クラシーナは当家に仕える陪臣の筆頭ファン・ハール子爵の令嬢です。

 それもただの令嬢ではありません。

 デ・ブライネ騎士団の第三部隊を率いる隊長でもあるのです。

 真面目が服を着たような子だったのに何があったのでしょう。


 どうして、そんなにも悲しそうな表情を見せるのです?


「今日という今日はもう捨ておく訳にはいかない。君のように非道な女とはコニャック破棄だ」

「殿下。婚約、です」

「そうだ。婚約破棄だ!」


 コニャックと婚約をかけるなんて、誰にも思いつかないでしょう。

 コニャックは知る人ぞ、知る幻のブランデーです。


 かつて、コニャック伯爵が考案した今や製法すら、分からないお酒なのに殿下が知っているのは不思議ではあります。

 デ・ブライネで極稀に難破船からの戦利品として、出回ることがあるのですが……。


 ただ、殿下の御病気はさらに悪化しているとしか思えません。

 このままでは殿下の頭の中が、さらに海綿のようになってしまうでしょう。


「ええ。婚約ですよ、殿下。しかし、私が非道な女というのはどういうことでしょう?」

「婚約海藻?」

「殿下。解消、です」


 本当にいけません。

 この二人はわざとやっているのではありませんか?

 声に出して、笑ってしまいそうですが堪えます。

 ここで吹き出したら、非道な女に失礼な女まで加わってしまうでしょう。


「この氷の魔女め。君が『黄金の聖女』と呼ばれるユリアナ嬢をいじめていたことをこの私が知らないとでも思っているのか!」


 「殿下、間違えずによく言えました」と心の中で拍手を差し上げたいところですが、色々と誤りがあるようです。


 『氷の』と呼ばれることはありますが、『氷の聖女』です。

 表情筋が死んでいて、いつも澄まし顔なのでまるで氷のように冷淡な女と思われているだけなのです。

 本当は話しかけるのが怖く、黙って立っているだけで勝手にそう言われているだけなのですが……。


 ユリの二つ名も誤りで彼女は『黄金の』と呼ばれているのです。

 海賊退治に赴くと単騎で敵船に乗り込み、金色に輝く拳で敵を平らげ、きれいな金髪を風に靡かせていることから、付いた畏怖の印でもあります。


 下手に追求すると面倒なのでやりませんが、どうしたものでしょう。


「よって、辺境伯の名において命じる。この女を捕らえよ」


 あらあら? 私は捕まるのですか?

 後ろに控えているブランカが怒りを堪え、身体が震えているので「大丈夫だから」と口の動きで伝えましたが、本当に大丈夫でしょうか。


 しかし、少々、不安にも感じています。

 殿下の命で動いた男の顔が良く知った者だったからです。

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