このミステリがミステリとなるまで

杜侍音

このミステリがミステリとなるまで


 事件はいつだって日常を切り裂くようにして現れる。


 現場はここ、教室。

 時間帯はそう、朝読時間。

 僕の隣に座る彼女が、涙を流しているのだ。


 僕は長夜幻夢ながよ げんむ

 光り輝く名ではあるが、これは本名であるし、僕自身気に入っている。

 そして、探偵である。

 しかし平和ボケで溢れかえる街に事件が起きることはまずなく、一応小学生と兼業してきたが、もう今年で六年目だ。

 そろそろと言わなくても、このままでは探偵としての腕が鈍ってしまう。そう明け暮れていた矢先、事件は起きたのだ。


 被害者は、狭間絵空はざま えそら

 彼女もまた同じ6年2組のクラスメイトである。又の名を成績を争う〝宿敵〟や〝戦友〟とも言えるだろう。彼女も含めた給食のジャンケン大会では何度彼らと拳を交え、苦渋を飲み干してきたのだろう。

 絵空は明朗快活な女性で友達も多くクラスの人気者だ。

 そんな彼女はこの時間、名の知らない作家が書いた戯言を意外にも集中していた認識であるのだが……彼女は今、頁をめくっていない。一枚もだ。

 さらには閉じた瞳から流れる一線の雫。目を開いては抑えられなくなるのだろう。


 何故彼女は涙を流さなければならないのか。

 その理由を、この僕が解き明かしてみせよう。

 彼女を追い詰める何かが事前に分かれば、慰め方も変わるというわけだ。

 朝読が終わるまで残り5分。

 必ず彼女の悲しみを取り除いてみせる。


 まず考えられるのは、今読んでいる小説が泣ける作品であるから。

 カバーに覆われタイトルは分からないが、彼女はそういったジャンルのを読むことがある。続きを読むことができないほど感動的なストーリーなのだろう。僕もそのような作品に触れてみたいものだ。


 ──いや、違う。彼女はそのような作品は今日は読んでいないはずだ。

 昨朝、コメディ映画のノベライズ版を読み始めたと彼女が友人に告げていたのを耳にした。

 全二百二十四頁あるこの作品をたった二十分で読めるほど彼女は速読ではない。朝読を真面目に取り組んでいるだけであって読書家ではない彼女が自宅で読んできたから別の作品を持ってきた、という考えも切り捨ててもいいだろう。

 よってこの推測は棄却される。


 では、単純に体調不良という線はどうだろうか。

 しかし、これは考えるまでもないな。

 彼女は超が超つくほどの健康体だ。

 ここまで彼女が歩んできた小学人生は無遅刻無欠席無早退。あと一歩で〝完全皆勤賞〟の称号を狙える数少ない児童なのだ。

 称号欲しさに体調不良でも無理して来た可能性も無きにしもあらずだが、外面を見る限りはそうには見えない。

 若さをこれでもかと存分に見せつけるようなモチモチスベスベの肌。これから大人へと成長途中の程よい肉つき。そして、何よりも美しい明瞭な顔付き。

 うん、いつもと変わらぬ狭間絵空だ。

 僕が言うのだ、間違いない。

 体調不良説も否定されたのなら、昨日の放課後から今朝の登校に至るまでに何か辛い出来事があったのではないか。


 ──そうか、そうだったのか。

 僕には全てがわかってしまったようだ。


 昨夜、彼女が飼っている犬が亡くなってしまったのか。

 確か産まれた時から一緒に暮らしてきた老犬だったと僕は把握している。

 きっと寿命を迎えてしまったのだろう。

 抱き寄せた愛する家族の体が徐々に熱を失う状況を想像すれば、何と痛ましい出来事だったのかと容易に想像できる。

 本当は登校する元気はないはずだ。しかし、彼女は完全皆勤賞達成間近。自分に課したプライドと周りからのプレッシャーに従わざるを得ない。

 せめて忌引と判断されれば公欠扱いで済んだのに。なぜ家族でもあるというのに適用されないのか、僕には到底理解できそうにない。これが黒い大人が決めた規範ルールか。


 だからこそ僕だけでも、せめて話を聞いてあげよう。

 指定鞄ランドセルの中から予備の名を冠する一軍のハンカチを取り出し、僕は彼女に手渡そうとした。


「これで涙を拭くといい」


 優しい言葉の贈り物付きだ。

 ──しかし彼女の反応はなかった。決して僕が嫌われているからとかではない。気付かれてすらいない。こちらの方が心に来るものがあるな。


 ん? これは……寝落ちか。


 なるほど、オチとしてはこうか。昨夜、何かが彼女を夜に縛りつけて、寝不足に陥らせる。

 彼女が座る窓側の席には、母性溢れる春の陽射しが差し込み、眠りを誘発。

 そして、耐えきれなくなった狭間絵空は夢の中へと落ちてしまった──涙はあくびなどの生理現象によるものだな。


 事件が発覚してからここまで考察一分。

 いや、前文を否定しよう。事件は起きなかった。彼女は傷付いていなかった。なら、それでいい。

 昨夜何に夢中になっていたのかは起きてから聞いてみるとしよう。


 それにしてもぐっすり眠っている。重力に耐えきれず、すっかりうつ伏せになってしまったな。

 小さな吐息に合わせて、彼女の身体が上下する。偶然にもこちらに向けた寝顔は流氷の天使のような可愛さだな。

 って、おっと。こんなに見惚れていたらクラスメイトに変な噂を立てられてしまう。小学生とは男女が少しでも仲睦まじく話すだけでカップルだのアベックだのと揶揄するからな。

 まぁ、一番後ろの席だから振り返りでもしない限りバレることはないが──



 ──妙だな。静かすぎる。

 誰かが振り返る素振りはない。皆が皆、うつ伏せあるいはバカのように口を大きく開けて上を向いている。

 全員が死んだように寝ている。

 そんなにも学校がつまらないか? 僕は溜息を吐こうと息を吸い、ようやく察した。

 ああ、バカは僕だ。自分の能力を過信した余り事態に気付かなかった。

 この教室には今、睡眠薬が散布されている……!


「ん? てめぇ! 何で起きてやがグホッ⁉︎」


 教室の後ろから全身を黒で武装した顔の見えぬ男が入ってきた。身バレ防止の目出し帽か。

 しかし、どんな姿であろうと関係ない。警察に突き出せば全てが白日の元に晒される。

 僕は動揺していた男の顎を瞬時に蹴り上げると一撃で意識を奪った。すまない、彼の身に何が起きたのかを説明するのに少し時間がかかってしまった。


「──ほぉ、どうして寝てないんだ坊主?」


 廊下には仲間と思しき男が二人、銃を携えて立っていた。リーダー格だろう男が質問する。


「僕は探偵だからね。ある程度の毒なら効かない。もっともそのせいで君たちの侵入に気付けなかった失態を生んでしまったよ」

「おうおう! ヒーロー気取りかぁ⁉︎ 夢見たいならあの世で一生みてなクソガキ!」


 甲高い声で喚く細身で長身の男は、僕に向かって銃を乱射する。

 しかし、そんな適当な照準で僕に当たるわけがなかろう。

 壁、窓を駆け上がり男の頭上を飛び越え背後に着地すると、上段回し蹴りを披露する。冗談みたいに窓を割って飛んでいく男を見下ろしながら、あとで反省文だなと自戒した。


「ほぉ、なかなかやる坊主じゃないか」

「僕は僧ではない。最近の探偵は武の心得も身につけておかなければならないんだよ」

「そうか。ならよ、探偵ってのは他人の命も守るもんだよな?」


 男は教室の中へと銃口を向ける。クラスメイトを人質に取るつもりか。しかもその先真っ直ぐは狭間さんが寝ていると言うのに。


「悪いが、道徳は2なんだ。捻くれていないと事件を多角的に見れないからね」

「そうか、なら心は痛まないってわけか」


 ──くそ、人質を取られれば劣勢に立たされると言うのに、さっさとこの男も沈めておくべきだった。さっきから選択を誤っている。

 しかし、真の探偵というのは予期せぬことや間違いを犯した場合、最初から予定通りのように話を立て直すことができる者を指す。

 何とかしてこいつを僕だけに集中させねば……!


「大の人が武器を持った上に人質を取るとは、よっぽど僕に勝てる自信がないようだな」

「ほぉ、俺を煽って油断させる気か。安心しろ。喧嘩は爆買いする方だからよぉ!」


 男は素早くこちらに狙いを定めて銃を乱射する。そのうちの一つが僕の足に当たった。

 こんなにも簡単に合わせてくれるとは、やれやれ油断していたのは僕の方だったようだ。


「小学生は鬼ごっこ好きなんだろ? おじさんとも遊ぼうじゃないか」


 小馬鹿にしたように僕を追いかけてくる男。不覚にも血を流してしまったが、みんなからこいつを引き離すことができるのならばそれで良いだろう。

 朝読が終わるまで約二分ほどか。

 小説よりも奇なりな現実に直面したわけだが、問題ない。何度この事態を想定したと思っているんだ。

 直線のままだと不利なことは幼稚園児でも理解できるので、僕は階段を死に物狂いで駆け上がる。

 屋上へと出ると手すりも逃げ道もない開けた空間が待っていた。

 鍵が空いているとは運がいい。卒業アルバムの写真を撮る日までここに来ないと思っていたよ。


「はぁ、さすが坊主だ。元気がまだまだ有り余ってるようじゃないか」

「これでも10代だからね。ただ1/2成人式が遠い昔のように感じるさ」

「だが鬼ごっこはここまでだ。残念だが小さな探偵さんの冒険活躍劇はここでTHE ENDだ」


 男は慎重に、それはもう針に糸を通すように照準を僕の心臓に合わせていた。

 スレダーを知らないのかな。もっと早く撃ち抜ける方法もあるんだが。


「あぁ、どうやら一巻の終わりのようだね。だが最後に一ついいかな」

「なんだ、辞世の句でも詠むのか? 渋いな」


 朝読に辞世の句とは、ある意味新しいジャンルを開拓できそうではある。

 だが僕は、朝読には『解決‼︎ソロリ』シリーズのみと決まっているのだ。


「探偵というのは、普段は浮気調査を主にして活動している。そうじゃないと稼げず暮らしていけないからだ」

「小学生の内から進路について考えるなんて、大したことじゃないか」

「フィクションに見られるような犯人を特定し逮捕したからといって謝礼金が出ることはない」

「──なんだ、この音」


 何かが近付く音。

 すまないが、既に手は打たせてもらっている。

 あえて撃たれ血を流し、さも優位であると油断させたのも全てアドリブ通りだ。

 少しミスったとすれば、想像以上に痛かったことかな。


「ただ、その代わり感謝はされるのだよ。恩を売れば警察との縁を買うことができる」


 現れたのは警察が所有するヘリコプター。

 さらに屋上の入口からは機動隊が流れ込んでくる。


「空からお帰りいただこう。高所恐怖症なら地上でのルートもあるけどね」

「なかなかだ。見誤ってたよ、この坊主」

「辞世の句は補習した方がいいんじゃないか」


 決着の鐘チャイムが鳴った。

 テロ組織の男は即座に確保され、僕がのした二人も拘束されたみたいだ。

 学校の平和は守られた。些か探偵業を逸脱していた気もするが。

 薬の効果も切れ出して、徐々に皆が目を覚ましていく一方で、狭間さんだけはまだピクリとも動かないらしい。

 ふっ……ならば、ここは、僕が目覚めのキスで夢の中から連れ戻さねば。

 む、ちゅうぅぅぅーーー──




「──せんせー、長夜くんがまた寝てまーす」

「そうかー。狭間起こしてやれー」

「えー、なんかぶつくさ言っててイヤなんですけど……」

「そうかー。いつものことだな」


 5分で事件を解決する小学生名探偵、長尾幻夢はいつも寝ては夢を見てばかり。

 いつか一つの真実にするために、常にイメトレは欠かせない。


 このミステリがミステリとなるまで。


 頑張れ長夜探偵。

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