はなざかり

@nitiki_

第1話


「それは昔、生理という名前で呼ばれていました」

 生理、と先生は黒板に黄色のチョークで書いた。旧女性に関する授業は二回目になる。小学生の時よりも生々しくなった教科書のイラストをぼうっと眺めながら、一昨日頬に開花したばかりの桜の花を指でなぞる。

「生理とは今でいうところの開花ですが、現象としては大きく違うものです」

「血が出るんでしょ」

 いちばん前の席の木村さんがおどけた調子でそう言った。ショートカットが快活に揺れて、首筋に咲いたアネモネが見える。先月まで隣の席だった時にはなかったものだから、今月の開花で咲いたのだろう。赤いアネモネは、健康的な小麦色をした木村さんによく似合っていた。

「その通りです」

 小原先生は頷く。先生は今年で五十歳になるらしい。先生の体に咲いている花は六割くらいが萎れて、枯れている。

「子宮からはがれおちた内膜や血液が、花弁として形成され人体から開花するようになったのは三千年ほど前のことです。この過程は人類の進化史として世界史でやりましたね」

 どうだったっけなぁ、と心の中でひとりごちる。他の皆も同じ感じらしく、クラスは微妙な空気になっていた。世界史の山田は若い男の先生だ。好きな食べ物はからあげで、彼女はいない。どこにでもいそうな二十六歳は、どこにでもいる男と同じように開花の話題に対する苦手意識がある。女性特有の現象だからだろうか。そういう男は少なくない。授業の時も、あいまいにぼかした話し方をしていた気がする。

「開花の発生以前はそれらの内膜や血液が経血、と呼ばれる液体として排出されていました。発生時期は今と変わらず、十歳から十五歳ほどであったとされています」

 その時、チャイムが鳴った。教室の空気が一瞬でゆるんで、すこし騒がしくなる。小原先生は呆れたようにため息をついた後、静粛に、と声を張り上げて言った。

「皆さんは今、十六歳か十七歳だと思います」

 高校二年生の教室なんだから、そりゃあそうだ。私はあと三か月と十日で十七歳になる。先日十七歳になったばかりの幼馴染が斜め前の席でのっそり起き上がっているのが見えた。先生が渋い顔をしているにも関わらず堂々と伸びをする幼馴染の白い手首に、小さな蕾があるのが見えた。開花前の陽菜は本当によく眠る。

「十六歳から二十歳にかけては、女性の花が最も美しく咲きそろっている時期だと言われています」

 皆さんも花盛りを悔いのないように過ごしてください。小原先生はそう言うと、授業をおしまいにした。はなざかり、と口の中でちいさく転がす。旧世代の時からあった言葉なんだって、と小学六年生の時、陽菜は私に教えてくれた。花も咲いてないのに花盛りなんて、変だよねぇ、ゆうちゃん。変だねぇ、ひなちゃん。そう言い合って、図書館で一冊の本を読んだのだ。未知の現象に対する不安で震えていた、小さな手を握り締めながら。

 それは陽菜が初めて開花した日のことだった。


 自転車置き場に行くと当然のように陽菜がいて、昨日のノートちょうだい、と当然のように言った。陽菜は昨日、欠席だった。おばあちゃんのお葬式だったらしい。

「授業出ててもノートなんてとらないくせに」

「うーん、聞こえない」

 まあいいけど、とため息をつきながら自転車に乗る。軽い鞄を前カゴに投げ入れて、陽菜も後ろの荷台に座る。いやいや。

「自転車の二人乗りは法律で禁止されていまーす。今すぐ降りてくださーい」

「いいじゃん、すぐ近くなんだし。押して帰る方が怠くない?」

「まあねぇ」

 辺りに誰もいないことを確認して、ペダルを踏む。実際、陽菜に合わせて自転車を押して帰るよりは陽菜を乗っけてペダルを踏む方が楽だ。坂道もないし、陽菜って軽いし。一緒に帰らない、という選択肢が自分の中になかったことにふと気づいて、少しだけ苦笑いをする。

 ぎゅう、と陽菜が私の胴を抱きしめる。五時間目に見た手首の蕾はいつの間にか開花して、桜になっていた。私の頬に咲いているのと同じ色だった。

「昨日さ」

 風の音がうるさいせいか、陽菜は普段よりも大きな声で話し始めた。

「おばあちゃんの葬式行ったんだけど」

「うん」

「遺花が赤い椿で、ちょーきれいだった」

 いか、という響きに少しだけ緊張する。陽菜はあっけらかんというけれど、人が死んだということを実感するものだから、やっぱり少し怖い。

 女の花が完全に咲かなくなるのは六十歳くらいで、けれど枯れ始めるのはもっと早い。人にもよるけれどだいたい三十歳くらいかららしい。そのくらいになると徐々に体に咲いた花が枯れて、萎れて、色あせていく。遺花、というのは最後まで枯れないで体で咲き続けた花のことだ。

遺花は、燃えない。メカニズムは解明されていないけれど人体を火葬しても唯一鮮やかな色のままで骨と一緒に残るらしい。私たちは死ぬとき、ひとりにつきひとつ、自分の魂の色をした花を残す。

「何色かな、私の遺花」

「まだ早いでしょ」

「そうだけど。あ、ねえ見て。これ今日咲いたの」

 陽菜は自慢げにそう言って、手首の桜を見せて来た。

「由宇のほっぺたのとおんなじ」

「おんなじだねぇ」

 それだったらいいのに、とふと思った。陽菜の遺花が、私と同じ色を、同じ形をしていたらいいのに。そうしたらなんとなく、ずっと一緒にいられる気がするから。

「これだったらいいね」

 陽菜がそう言って、自分の花を私の頬に重ねた。私たち、死んでもおそろいだったらいいね。耳元でそう囁く声は甘ったるくて弱々しかった。風が強く吹いて、私たちの体から漂う花の匂いが混ざり合う。返事はせずに、ペダルを強く踏んだ。

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