第35話 大商人ブラッド
――二日後。
「これが……冒険者カード!」
ルーテは、ブラッドから受け取った冒険者カードを眺める。
「ありがとうございます! ブラッドさん!」
「大切に持っていてくれたまえ」
彼は、冒険者カードを受け取る為、朝の日課を早々に切り上げて、再びメラスの町にあるブラッドの屋敷に訪れていた。
「――それでは、僕は帰ります! さようなら!」
「……ところで、キミがどこにどうやって帰るのか、付いて行って見物しても良いかな?」
「ダメです! 諦めてください!」
「ふっふっふ、冗談さ。気を付けて帰りたまえ」
そう言って立ち上がるブラッド。
「私もキミと同じく忙しいので失礼させてもらうよ」
「はい! さようならブラッドさん!」
「…………あと、たまには娘に会いに来てやってくれ。キミが忽然と姿を消してしまったと教えたら、随分と泣いていたからね」
「……分かりました。前向きに検討させていただきます!」
「やはりキミは一筋縄ではいかない相手だな。……セレストも大変だ」
最後に、ルーテに聞こえないように小さな声で呟き、部屋を後にするのだった。
応接間に取り残されたルーテは、テーブルクロスを持ち上げて机の下を覗き込む。
「……もう出てきても大丈夫ですよ。セレストさん」
「ええ、分かっているわ」
ルーテが呼びかけると、机の下に隠れていたセレストが姿を現した。
「………………」
セレストは立ち上がり、服の埃を払った後、ルーテの隣に腰かける。
「じゃあ、僕はこれで――「ちょっと! 前向きに検討するってどういうことよっ!」
突然、セレストは怒りながらルーテの頬をつねった。
「いたっ!
涙目になりながら抗議するルーテ。
「かわいい……! なにこの気持ち……!」
一方、セレストの心には彼に対する新しい感情が芽生えつつあった。
*
セレストが机の下に隠れていたのには理由がある。
――それは、ルーテがブラッドと対面する少し前のこと。
「こちらでしばらくお待ちください」
「分かりました!」
使用人の案内のもと応接間まで連れて来られたルーテは、ソファに腰かけブラッドを待っていた。
「ルーテさまっ!」
そしてすぐに、扉が勢いよく開け放たれる。
しかし、やって来たのはブラッドではなくセレストだ。
彼女はものすごい速さでルーテの座るソファーへ突進する。
そして、その勢いのまま飛び跳ねてルーテに抱きつこうとした。
「受け止めてっ!」
叫ぶセレスト。
刹那、ルーテは≪見切り≫を発動してそれを回避する。
「ええええっ!」
「――風よ舞え、アウラ」
それから、風魔法を発動させて勢いを殺し、セレストの体を優しくソファへと着地させるのだった。
「ぼふっ!」
「大丈夫ですかセレストさん?」
「むーーっ!」
ソファーに顔をうずめたまま、悔しそうにバタバタするセレスト。
どうにか顔を上げ、歓喜に満ちた表情でルーテの方を見る。
「あんな勢いで飛びついたら二人そろってダメージを負ってしまいますよ? 気を付けて――「ルーテさまぁっ!」
「わあ」
初撃をかわすことに成功したルーテだったが、結局セレストに抱きつかれてしまうのだった。
「挙動が読めません……!」
あまりにも予測不能なセレストの動きに戦慄するルーテ。
「あぁ、ルーテさま! いきなりいなくなっちゃったから……もう会えないかと思ったわっ!」
「大丈夫です。時間さえあれば割といつでもここに来られますよ?」
「……だったら毎日会いに来てっ。 その……あんなことしてあげたのは……あなただけなんだからねっ! 乙女の気持ちを踏みにじったら、ただじゃおかないんだからっ!」
「あんなこと? いきなり僕の頬に口づけしてきたことですか?」
ルーテは首を傾げながら問いかける。
それに対し、セレストはみるみるうちに顔を赤くしていった。
「その……反応に困りますし、とても恥ずかしいので、ああいうことはできれば僕以外の人に――「そ、そんなことよりルーテさまっ! この前は一体どうやっていなくなったの? みんな『急に消えた』って不思議がっていたわよ?」
ルーテに質問して強引に話題を変えるセレスト。
「ええと……そうですね。……セレストさんにだけなら、特別に教えてあげてもいいかもしれません。ブラッドさん含めて、屋敷の人には話さないでいてもらえますか?」
「とっ、特別!? も、もちろんよ! 誰にも言わないわ! わたしとルーテさま二人だけの秘密ねっ!」
セレストは特別という言葉に強く反応する。
一緒に居たイリアやミネルヴァが同じ秘密を知っている可能性は微塵も考えていなかった。
「違います。二人だけではありません」
「ああ……素敵だわ…!」
ルーテの声も、今のセレストには届かない。
それからルーテは、アレス・ノヴァを取り出してセレストに見せながら、その仕組みを知っている範囲で説明する。
「――――要するに、これを使うと好きな場所へ一瞬でワープできるんです!」
「……そんなすごいことがこの
セレストはそう言って球体を軽くつついた後、こう続けた。
「――確かに、そういうことならこれの存在はなるべく秘密にしておいた方が良いわね。特に、パパに知られたら何をされるか分からないわ」
「そ、そうなんですか?」
「ええ。……だってパパは商人だもの。こんなに面白いものの存在を知ったら、何としてでも手に入れようとするはずよ……」
セレストは俯く。
「……それで同じものをいっぱい作ってみんなに売るの。『てっぽう』の時もそうだったわ。パパの売ったものが沢山の人を……殺すの……」
(…………そういえばこの世界には鉄砲がありましたね。刀以上に入手が難しい上に、まともに扱う為には、魔法を捨てて更に色々なスキルや戦技で強化する必要がある超上級者向けの武器ですが)
「だからパパのことは好きだけど……ちょっとだけ怖いわ……」
(よくよく考えてみれば、たまにアッシュベリー商会で鉄砲と銃弾を売っていた気がします! 話が繋がりました! ……なるほど、そういった選択もアリですね。詠唱が必要ないので恥ずかしくありませんし!)
沈んだ表情で心の内に秘めていた不安を吐露するセレストに対し、心の中で物騒な企みをするルーテ。
「…………ママがいた頃のパパは……もっと優しい目だった……」
セレストはぼそりと呟き、ルーテの肩に寄りかかった。
「――やはりブラッドさんは一筋縄ではいかない相手のようですね。全くもって度し難いです!」
「変な話してごめんね、ルーテさま……」
「僕は問題ありません。それに、鉄砲だってモンスター相手に使えば結果的に大勢の人を……」
そこまで言いかけたその時、部屋の外の廊下からブラッドの鼻歌が聞こえてくる。
セレストは慌てて姿勢を正し、ルーテの方を見て言った。
「ぱ、パパが戻って来たわっ!」
「……どうしてそんなに慌ててるんですか?」
「だ、だって、ここに居るのを知られたらお勉強をサボってることがバレちゃうっ! 匿ってルーテさまっ!」
こうして、先ほどまで落ち込んでいたはずのセレストは元気になり、大急ぎで机の下へと潜り込むのだった。
*
「……ふう。もういいわ。とにかく匿ってくれてありがと」
気の済むまで頬を引っ張って遊んだセレストは、ようやくルーテのことを解放する。
「恩を仇で返されました……」
それに対して、ルーテは目を潤ませながら呟いた。
「ご、ごめんなさい。その……もう一回してあげるから……それで許してっ!」
「……何をで「ちゅっ!」
セレストは、さんざん引っ張ったルーテの頬へ前と同じように口づけする。
「ぁ……また……」
「あ、ありがとう。さっきの話……ルーテさまに聞いてもらったら少し楽になったわ。さ、さようならっ!」
そして、前と同じように走って部屋の外へ出ていこうとするが……。
「うわぁっ!」
「ぎゃあああああああっ!」
応接間からこっそりと様子を伺っていたブラッドとぶつかり、二人揃って派手に転んでしまう。
「……そんな所で何をしているんですか、ブラッドさん?」
「キ、キミがどうやって消えるのか見せてもらおうと……って、そんなことよりキミはわたしの娘に何をっ…………いや、された方か。む、むすめが……き、キスを……! 私はどうすれば良いんだっ!」
「もうパパなんか大っ嫌いっ! あっちいってっ!」
それから、ルーテはしばらくの間親子の修羅場に巻き込まれることとなるのだが、それはまた別の話である。
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