《2》やはり怒り狂う第一王子とふて腐れる第二王子

 よく分からない謎パワーに気圧されて、気づけば馬車に乗っていた。向かいには不機嫌な顔をしたテオフィル。ずっとむっつり黙って、窓の外を見ている。


 味方してくれてありがとう、とは既に伝えた。テオフィルからは先ほどの多弁が嘘かのような、うなり声としか思えない返事があっただけだ。何なんだ、一体。


 私も彼と反対側の窓の外を見ることにする。


 アニメでの私は最終回の直前で死ぬ。救国の英雄として活躍し始めたクラリスを妬んで敵を彼女の元に誘導し、裏切り者として自国の兵士に殺されるのだ。


 そんな結末を回避したくて、悪役令嬢にならないよう努力をしてきた。

 国王の提案、『演じる』悪役令嬢ならば、そんな最期にはならないかもしれない。だけどテオフィルの言った通り、私は満ち足りている学生生活と友人を失わなければいけない。

 この五年間、がんばったからこそ得られた日常なのに、そんなのはあんまりだ。


 だけど彼が乱入してこなければ、きっと了承していた。断ったら両親や兄、弟妹がどんな扱いをされるか、分かったものじゃない。隣国が侵攻してくる前に、カヴェニャック家が取り潰されてしまう可能性だってある。


 今のところ、私自身は提案を拒否していない。是非を答える前にテオフィルに連れ出されてしまったから。

 今頃両親たちと王はどんな話をしているだろう。


 不安に駆られて手を握りしめると、カサリと音がした。見たら左手に紙束を持っている。

 すっかり忘れていた。

 聖女が予知夢で見た、『悪役令嬢シャンタル』の苛め一覧だ。最初にこれを手渡され、この通り演じてほしいと言われたのだった。


 マル秘と書かれた表紙をめくる。と、そこには表紙とは違った、丁寧だけど神経質そうな小さい字がびっしりと並んでいた。ぱっと見たところ、アニメと同じ内容のようだ。


「何だそれは」

 そんな問いかけと共に、テオフィルが紙束を取る。すぐに眉間のシワが深くなった。

「こんなものを実行する必要はない。どのみちあのクズはもう学園を出て行っただろう」

「……本当に脅したの?」

「人聞きの悪い。己のしたことを自覚させ、忠告しただけだ」

「……レアンドルは?」

 テオフィルは嫌味なヤツだけど、権力をちらつかせて他人を従わせたり、暴力をふるったりするような人間ではない。最後の話には違和感があった。


「今日中にシャンタルに謝罪と贖罪をしなければ実行すると言ってある」

「つまり、やっていないのね。良かった」

「良くない!」

 テオフィルの目がつり上がる。

「何故腹を立てないのだ。婚約者に対する重大な裏切りだぞ」

「だけど昔からレアンドルは私のことが苦手そうだっだもの」


 どうしても婚約は解消できなかった。周辺諸国に年がレアンドルに釣り合い、なおかつ婚約者が決まっていない王女がおらず、我が国の中でもっとも格式高い貴族はカヴェニャック家だったからだ。

 縁切りを諦めた私は、レアンドルに好かれる努力をすることにした。いずれ破綻する関係とはいえ、それまで婚約が続くのだ。ギスギスした仲は嫌だった。

 だけれどそんな思いと裏腹に、彼はいつもぎこちなかった。


「いずれ、こうなると分かっていたから」

「だとしても不義を働いていい理由にはならない。他に好きな女ができたというならレアンドルはシャンタルに償い、王家を出る覚悟で婚約解消するべきだし、お前は謝罪がないのに許してはならない。今回のことが貴族社会のモデルケースになったら、多くの令嬢が泣くことになるのだぞ」

「……あなたって、意外に真面目なのね」

 プライベートでの傍若無人が嘘のように、真っ当な意見だ。

「当然の意見のはずだ」


 手を伸ばし、テオフィルからマル秘資料を取り返す。

「国が滅びるのは困るわ」

「俺も困る」

「レアンドルとクラリスが結ばれることで回避できるなら、ふたりの恋路を喜んで応援する。私もこの婚約は解消したかったの」


 テオフィルが珍しく、間の抜けた表情をしている。

「……どうしてだ?」

「上手くいかない予感がしていたから」

 正しくは悪役令嬢になることを回避したかったからだけど。


「でも邪魔をすることが応援になる、国も救えると言われても、嫌よ。そんなことはやりたくないわ」

「やる必要はない。まだ一年半もある。侵攻の対策はこちらでする」

「『こちら』?」

 うなずくテオフィル。

「学園に帰り、レアンドルの謝罪を確認したら城に戻って父たちと話し合う。シャンタルは今まで通りの学生生活を送ってくれ」


 テオフィルは昨日まで私に散々な態度をとっていたのだ。だというのに今日はどうしてこんなにも私を気遣った言動をしているのだろう。

 不思議になって相手の顔を見つめていると、やがて目を反らされた。


「実は、な」彼は目を反らしたまま話だしたが、すぐに私を見た。「カヴェニャックの進言を聞いてから、父は極秘でユゴニオについて情報収集させている。だが我が国に戦を仕掛けようと考えている様子はみつからなかった。王が国を使って探り、白と出たのだ。カヴェニャックはつまらぬ噂に踊らされただけ、という結論となった」

 そうなのか。下手に親戚筋の情報としたことがいけなかったらしい。


「応接室に入る前、母に確認した。父は調査した事実を公表しないらしい。調査のミスを隠匿して、侵攻回避の全責任をお前に負わせるつもりなんだ。姑息すぎる。だからシャンタルは何も気にすることなく、後は俺たちに任せて構わない」

 力強い目が真っ直ぐに私を見ている。

 調査のミス、果たしてそう言っていいのかどうか。そもそも調査時点でユゴニオが戦を微塵も考えていなかったかもしれないのだ。


 再び資料に目を落とし、しばし考える。それがまとまったところで、テオフィルを見た。

「ありがとう。ではそちらは任せる。私は私にできそうなことをやってみる」

「は!?」テオフィルが身を乗り出す。「悪役なんてバカなことはしなくていい」

「ええ、もちろんそんなことはしない。正攻法でクラリスが光の魔法に目覚めるよう、やってみるの」

「どうやって?」

「クラリスに、予知夢のことを話して、それからはこれ」と『悪役令嬢シャンタルの意地悪一覧』を示す。「ヒントにして、色々一緒に試してみるの」


 再びテオフィルの手に渡る資料。

「悪役にはならずに、ということか」

「そう。できることなら予知夢の凶夢の内容を知りたい。それをなぞらないように気を付けたいから」

「よし。直ぐに手配しよう。だがクラリスと付き合うのか? お前の婚約者に手出しするような女だ」

「きっと理性を保てないほどの恋なのよ」

 アニメのクラリスは良い子だ。実際も、たぶん。彼女とは同じクラスだけど、親しくはしていない。だから表面的なことしか知らないけど、レアンドルとのこと以外は常識ある普通の女の子だと思う。


 テオフィルは何故だかものすごく不満そうな顔をしている。

「……あの女が光魔法を会得したなら、その推測を受け入れてもいい」

「意味不明だわ」

 両者にどんな関係があるというのだ。思わず笑う。反してテオフィルの仏頂面はますますひどくなる。


 笑うのは久しぶりだった。




 ◇◇




 学校に戻ったのは夕方だった。そしてレアンドルとクラリスが悲壮な顔をして私たちを待ち構えていたのだった。彼らは男女一緒に使える談話室を押さえていて、本格的に話すつもりのようだ。テオフィルの不機嫌さは最大級になった。


 四人きりの談話室は空気が重苦しく、私は潰されてしまいそうだった。クラリスは目が赤く腫れ上がり、相当泣いたことが伺える。

 目の前に置かれたカップからは温かそうな湯気が立ち上っているけれど、誰も手をつけない。私の隣に座るテオフィルは尊大に反り返り、その向かいに座るレアンドルは背筋を伸ばしているけれど視線は下向きだ。


 ふたりは一卵性双生児だから整った顔も金髪も青い瞳も同じなのに、まるで違う態度だ。


「話があると言ってきたのはお前なのに、いつまで待たせる気だ」

 最初に口火を切ったのはテオフィルだった。刺々しい口調にクラリスがびくりとする。


「すまない、兄上。まずはシャンタルと話してからと考えていたから、いきなり兄……」

「言い訳はいらない」ピシャリとテオフィル。

 レアンドルの顔に不満が浮かぶ。

「……そもそも兄上は部外者だ。口出ししないでほしい」

「部外者? お前の兄で、お前の不始末を皆に責められているのにか? シャンタルの友人だけでない、あらゆる者にお前の王子たらん振る舞いを、何故見過ごすのかと詰られる。お前は友人たちの忠告にも耳を貸さないそうじゃないか」


 レアンドルの視線がまた下がる。

「兄上はいつも正しくあろうとする。僕は付き合いきれない」

「婚約者がいるのに他の女性と交際するのは、誰が見ても正しくない行いだと思うが」

「……理由がある、と言っても兄上は納得しないだろう? だからまずはシャンタルと話したかったんだ」


 そう言ったレアンドルは私を見た。

「不義という形になったこと、君の名誉を傷つけたことは謝るよ」

「傷つけたのは名誉だけだというのか」テオフィルが口を挟む。

「だってシャンタルは僕を友人以上には思っていないだろう?」

「ならばお前は信じていた友人に裏切られても悲しくないし、名誉が傷付いていなければ問題ないと思えるのだな。なかなか寛容だ」

 兄の言葉に弟が、うっと呻いた。


「テオフィル様の」とクラリスが口を挟む。

「『殿下』」とテオフィル。

「……失礼致しました」クラリスの声が震えている。「テオフィル殿下の仰ることはもっともでございます。ただ、レアンドル殿下も深くお悩みになられたのです」

 うなずくレアンドル。「シャンタルは当初、僕との婚約を望んでいなかった。今はそれを口に出すことはないけれど、気持ちは変わっていないのだろう? 僕とてそんな思いを抱えている君と、結婚したいとは思わない。だけど婚約解消も不可能だ。悩んでいるとき、彼女に」とクラリスを見る。「出会って恋に落ちた」


 再び私を見るレアンドル。

「僕なりに長い間、それこそ何年も前から、どうすることがベストなのか考えていたのだ。答えが出ないうちに彼女に恋し、思いは通じあった。だからこれを利用するしかないと思ったんだ」


 正攻法では婚約解消できないと考えていたレアンドルは、愛しのクラリスと両思いになったことをきっかけに破談になる方法を考え抜いた。明言しなかったけれど、ふたりが告白しあったのは三日前なんかではなく、かなり前だったらしい。


 そして出た結論が、既成事実を作ることだった。


 まともに父王に交渉しても、クラリスとの恋は揉み消されて終わりに違いない。ならばなかったことにできないほど、周知の事実となればよい。いくら傲岸な父でも、こんな阿呆の息子とカヴェニャック家の大切な令嬢の婚約の継続は諦めるだろう。

 己は王子の位を失うかもしれないが、身分差のある男爵令嬢と結婚するには丁度良い。


「……ほとほと呆れるな」全てを聞き終えたテオフィルは、ため息交じりに言った。「指摘したい箇所は山ほどあるが、ただひとつにしておいてやる。カヴェニャック公爵令嬢から婚約者を奪った男爵令嬢など、まともな人生を歩めるはずがない。結婚? 日和見もいいところだ。体面を重んじた父親に修道院に入れられるのがオチ、お前なぞ疫病神扱いだ」


 レアンドルの顔が青ざめる。

「兄上には僕の気持ちなど、理解出来ない」

「ああ、出来ないね。したくもない。反吐が出る」

「テオフィル!」思わず割って入った。「言い過ぎだわ。恋をしたことのない私たちには理解しづらいこともあるのよ、きっと」


 アニメのレアンドルとクラリスは純粋に愛し合っている。純粋ならば何をしてもいい訳ではないけれど、それだけ周囲が見えなくなってしまうことなのかもしれない。初恋もまだの私には、分からないけど。


 テオフィルも正論だと思ってくれたのか、黙った。口はものすごいへの字になっているけれど。


 あの、とクラリスが声を上げた。視線が合うと、彼女は膝につくほど頭を下げた。

「シャンタル様。申し訳ありません。心の底より謝罪します。どのような理由があろうとも、あなたのお気持ちを無視し傷つけたことに代わりありません」

 レアンドルも頭を下げた。一言、

「すまない」と言って。


「許します。それにあなた方が恋に落ちることは、きっと運命なのよ」

 となりに座るテオフィルの仏頂面がひどくなるのが視界の隅に見えたけれど無視して、私は国王から聞いた聖女の予知夢について語った。


 話を聞く恋人たちの目は見開かれ、次第に頬は紅潮した。

「つまり僕たちの恋は神に祝福されたものなんだ」

 レアンドルが嬉しそうに声を上げる。

「それは……。だってシャンタル様が……」

 クラリスは一応理性が働いているようで、遠慮がちに私を見た。


 そこで傍らに置いてあったマル秘資料を卓上に乗せ、彼らのほうに押しやった。

「私はこれに沿って『悪役令嬢』を演じるよう頼まれたの」

 一覧に目を通した恋人たちは、さすがに興奮が冷めたようだ。

「酷い内容だ。父上はシャンタルにこれをやれと? だけどやらねば国は滅びる……」

「やらせないぞ」とテオフィルが力強い声で言った。


 それから彼はカヴェニャック家の進言を真と捉えて対策を練らなかった国に責任があることを、詳細に説明した。

「まだ聖女の予知した侵攻まで一年半の猶予がある。俺は父たちと相談して最善策を考える。シャンタルは」とテオフィルが私を見た。「この一覧をヒントにして、クラリスが光の魔法に開眼するようにしたいそうだ」


「シャンタル様がご協力して下さるのですか」

「ええ。この資料の意地悪な女性を演じたくないもの。それよりは普通に協力をするほうがいいわ」

「魔法科の教師にも頼むつもりだ」とテオフィル。

 それは馬車の中でふたりで決めた。どうせやるなら、とことんやろう、と。それに私たちと無関係の人間がいたほうが体裁も良いだろうということになったのだ。


「分かりました」とクラリスがうなずく。目には今までにない力が宿っている。「私、やります。絶対に光魔法を会得します。それが私なりのシャンタル様への償いです」

「僕……も、協力する」こちらはやや弱気のレアンドル。

「当然だ」叱咤の口調のテオフィル。

「決まりね」

 私の言葉にみながうなずいた。


「ただし」とテオフィル。「俺はお前たちを許してはいない。そこは履き違えるな」

「それこそ兄上は部外者じゃないか。僕たちに構っていないで、婚約者に手紙でも送って愛を育んで、味方になってもらったらどうかな」

 レアンドルは嫌味な顔をしている。だが兄は、

「それもする」

 と即答だ。


 弟はため息をついた。

「兄上は理解できないよ」

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